楽志3  三代の衰え

夏殷周かいんしゅうの偉大なる三代の時代が過ぎ去り、邪なる音が間絶え間なく産みだされ、儀礼も徳もない散漫な音楽ばかりが奏でられるようになった。


しゅうが衰え、諸侯が争い、軽佻浮薄のものや佳き人と偽るものが現れ、悪徳のもたらす災害がはびこり、その邪悪なるを競い合って正しきことを忘れ去り、いたずらに楽器の種類ばかりを増やし、礼を蔑ろとした。あるものはこの邪な音を奏で心に悪を芽生えさせ、あるものはこの邪な音を叩いて良からぬ心を育てた。


春秋晉しゅんじゅうしん平公へいこうは『清角せいかく』を聴いて重病にかかったと言う。文侯ぶんこうは古楽を聴くと眠くなると言うので、ていそうせいえいの音楽ばかりを聴いて古楽を重んじなかった。これによって正しき樂が欠け落ちたのがわかる。


大いなる樂は風俗を正すものであった。世と共にその表現手法こそ変わったものの、治國の音は安寧をもって樂とし、亡國の音は哀切の思いを音に表わしていた。時と共に盛んに奏でられる曲こそ変わったが、音楽そのものが絶えることはなかった。春秋呉しゅんじゅうの公子季札きさつはは諸国の音楽を聴くことで各国の栄枯盛衰を占い切ったという。これは感性及び知識の深さを裏付けるものであろう。


樂が真に廃れたのはしんによって滅ぼされたことによる。経典は焼かれその志すべき内容の継承は絶え、もはや三代の昔に示されていたはずの義を辿ることは叶わぬ。以降人々は安っぽく、俗っぽい音を求め、聴きやすい音楽ばかりを求めるようになった。古に示された音楽、用いられた楽器のたぐいは、もはや消失するのを待つばかりとなっていった。




三代之衰,邪音間起,則有爛漫靡靡之樂興焉。周之衰也,諸侯力爭,澆偽萌生,淫慝滋甚,競其邪,忘其正,廣其器,蔑其禮,或奏之而心疾,或撞之不令。晉平公聞清角而顛隕,魏文侯聽古雅而眠睡,鄭、宋、齊、衞,流宕不反,於是正樂虧矣。大樂感於風化,與世推移,治國之音安以樂,亡國之音哀以思,隨時隆替,不常厥聲。延陵歷聽諸國,盛衰必舉,蓋所感者著,所識者深也。樂之崩矣,秦始滅學,經亡義絕,莫探其真。人重協俗,世貴順耳,則雅聲古器幾將淪絕。


(魏書109-3)




清角

韓非子十過に載るエピソード。https://kakuyomu.jp/works/16816927859749598839/episodes/16816927861382915592

晋の平公が琴の達人である師曠に「この世でもっとも悲しい音楽」とされる清角を強引に奏でさせたところ晋では日照りが三年続き、平公もずっと熱病に苦しまされた、らしい。


魏の文侯

礼記らいき楽記がくき

「魏文侯問於子夏曰。吾端冕而聽古樂。則唯恐臥。聽鄭衞之音。則不知倦。」

 文侯が孔子こうしの文章題一とされる弟子、子夏しかに訊ねている。古楽を聴くと眠くなって仕方ない、鄭や衛の音楽は楽しくて飽きない。なんやろねこれ。

 これに対して子夏は古楽は調和が取れてるから素人が聴くと退屈に聞こえる、鄭衛の音楽は調和を破るものだからわかりやすい、と答え、更にこう言っている。

「鄭音好濫淫志。宋音燕女溺志。衞音趨數煩志。齊音敖辟喬志。」

 鄭の音楽はえっち。宋の音楽はひよわ。衛の音はロック。斉の音はパリピ。

 ここから、「だから正しい音楽を聴こうね」と子夏は説くのだが、それに対する文侯の返答はない。魏書的には「戦国時代のこの逸話からしても正しい音楽は既にどんどん擲たれてたのがわかるよね」と言いたいんだろう。


季札

左伝さでん襄公じょうこう二十九年。に出向いた呉王ごおう寿夢じゅぼうの末っ子季札きさつがいろいろな国の音楽を聴いて各国の栄枯盛衰をズバズバ言い当てた。くっそ長いので略。


四季四書五経に載る人物のエピソードとかも全部拾い上げたいよなあ。史書に載らん話多すぎじゃない? けどそれをやるのはちょっと負担がヤバすぎるので。あー、けど索引を拾えばいけなくもないかなあ。まぁ将来やれたらやりましょう。

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