礼志8  諸神祭祀

413 年、五精の帝のために四郊にて兆をなした。遠近は五行の數に依った。それぞれに正方形で四段の祭壇を構え、三重の土壁で囲み、四方に門を通した。伏羲ふくぎを始めとした天の神々をそれぞれの役務に応じ配した。


また黃帝こうていを祭祀した。これらの祭祀は立秋の日の十八日前に行われた。五帝のうち他の四帝は立春、立夏、立秋、立冬の日に行われた。それぞれで牛一頭を犠牲に捧げ、司主がその儀式を担当した。


また六宗、すなわち靈星れいせい風伯ふうはく雨師うし司民しみん司祿しろく先農せんのうを祀る祭壇も構え、それぞれ別に兆を行った。こちらも詳細は不明だが日にちが定められており、少牢が捧げられた。


立春の日には有司ゆうしが春を出迎えるため東郊に赴き、酒、干し肉、棗、栗を捧げて祭祀を行った。このときには犠牲や札などは奉納しない。


五岳および四瀆、すなわち北魏にとっての霊山および霊川の神を祀る廟を桑乾水そうかんすいの南岸に建てた。春と秋とに有司が遣わされて祭祀を行った。こちらは犠牲及び札も奉納する。ただし四瀆の神については牢のみを捧げた。これは古来の手続きに従ったものであるという。そのほかの北魏国内にある山川、あるいは海にまつわる諸神は合計 324 柱。毎年十月に祀官が遣わされ、各地での祭祀を担当した。


水害や干ばつなどの災害が起こったとき、牧守らは統治区域内の所定の場所にて祈祷を捧げた。それぞれ犠牲も捧げてのものである。平城へいじょう近辺の諸山川についてはみな祀ったあと祭られた。やはり洪水や干ばつの折には別個祈祷された。




泰常三年,為五精帝兆於四郊,遠近依五行數。各為方壇四陛,埒壝三重,通四門。以太皡等及諸佐隨配。侑祭黃帝,常以立秋前十八日。餘四帝,各以四立之日。牲各用牛一,有司主之。又六宗、靈星、風伯、雨師、司民、司祿、先農之壇,皆有別兆,祭有常日,牲用少牢。立春之日,遣有司迎春於東郊,祭用酒、脯、棗、栗,無牲幣。又立五岳四瀆廟於桑乾水之陰,春秋遣有司祭,有牲及幣。四瀆唯以牲牢,準古望秩云。其餘山川及海若諸神在州郡者,合三百二十四所,每歲十月,遣祀官詣州鎮遍祀。有水旱災厲,則牧守各隨其界內祈謁,其祭皆用牲。王畿內諸山川,皆列祀次祭,若有水旱則禱之。


(魏書108-8)




祭礼志はこれ、さすがに当時のそれはガチモンとして祀られてたんでしょうね。ひとまずは「この当時においてシャーマニズムはふつうのことすぎて特記されづらい」と見ておくほうが良さそう。相変わらずよくわからないですが、人力ではなすすべもない天地への畏敬をきっちり尊重しておけねばです。

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