礼志3  始祖祭祀

397 年正月、拓跋珪たくばつけいはみずから上帝を南郊なんこうにて祭祀し、始祖たる神元帝じんげんてい拓跋力微たくばつりょくびを配した。祭壇は四段からなり、三重の土壁にて囲まれるものだった。天位を頂点と南面に置き、拓跋力微を西面に配した。五精帝を祭壇の內に配し、土壁の内に四帝を、おのおのが司る方面に配し、一帝を未に配した。


太陽、月、5つの惑星、二十八宿の星座の神、紫微垣内及び紫微垣周辺の星座である天一てんいつ太一たいいつ北斗ほくと司中しちゅう司命しめい司祿しろく司民しみんをそれぞれ土壁の中に配し、それぞれが対応する位置に配された。これら主要星座に付随する神一千神さまりをそれぞれ外壝の內側に配した。


藉には藁秸こうきつを玉には珪を四つ、幣には束帛そくはくを、牲には黝犢ようとくを、器には陶匏とうほうをそれぞれ用いた。上帝と拓跋力微にはそれぞれ犢を一体ずつ捧げられ、五方帝全員のために犢が一体捧げられ、日月以下の星神らには牛が一体捧げられた。


祭祀が終わると、いけにえの体の左側面が祭壇の南巳の地にて炊き上げられること、陽の義の通りとした。瘞地壇兆せんちだんちようの制は南郊なんこうと同じくした。



398 年正月辛酉、郊天の儀が行われた。

二日後の癸亥、瘞地が北郊で行われた。拓跋力微の妻である竇皇后とうこうごうが配された。五岳名山の神が中の土壁の内側に、四瀆の大川の神が外の土壁の內側に配された。后土こうど、竇皇后には玄牡一体が捧げられ、玉には珪を二つ、幣には束帛を、五岳らには牛一体が捧げられた。


祭祀が終わると、いけにえの右側を祭壇の北亥の地に埋めた。陰の義にしたがったのである。その2日後の乙丑に平城へいじょう周辺の五歲刑の罪が大赦された。その後、冬至に上帝を圓丘えんきゅうにまつり、夏至に地を方澤ほうたくにて祭った。このときに捧げられる生贄や幣のたぐいの内容はそれぞれの郊の祭祀と同じくした。




二年正月,帝親祀上帝于南郊,以始祖神元皇帝配。為壇通四陛,為壝埒三重。天位在其上,南面,神元西面。五精帝在壇內,壝內四帝,各於其方,一帝在未。日月五星、二十八宿、天一、太一、北斗、司中、司命、司祿、司民在中壝內,各因其方。其餘從食者合一千餘神,餟在外壝內。藉用藁秸,玉用四珪,幣用束帛,牲用黝犢,器用陶匏。上帝、神元用犢各一,五方帝共用犢一,日月等共用牛一。祭畢,燎牲體左於壇南巳地,從陽之義。其瘞地壇兆,制同南郊。明年正月辛酉,郊天。癸亥,瘞地於北郊,以神元竇皇后配。五岳名山在中壝內,四瀆大川於外壝內。后土、神元后,牲共用玄牡一,玉用兩珪,幣用束帛,五岳等用牛一。祭畢,瘞牲體右於壇之北亥地,從陰也。乙丑,赦京師畿內五歲刑以下。其後,冬至祭上帝于圓丘,夏至祭地于方澤,用牲幣之屬,與二郊同。


(魏書108-3)




うん!

まぁ理解諦めますよね!(えがお)


まぁ、ざっと拓跋力微を上天の神と同レベルの神格として祀り上げ、その妻たる竇氏を后土の神と同レベルの神として祀りました、その後はそれぞれ冬至、夏至のタイミングで祀ります、みたいなところさえ拾えればよいのでしょう。このときに拓跋力微の祭祀にあたっては天を祭壇周辺に再現し、竇氏の祭祀にあたっては地を祭壇周辺に再現した、と。


となると次に来るのは人の神の話でしょうか。

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