趙逸他 赫連夏の文人
趙逸は学問を好み、早くにひと通りの学習を終え、
「赫連のクソどもの無道から、どうしてこのような言葉の生じようがあると言うのだ! 誰がこんな物を書いたのだ、我が元に引っ立ててこい!」
すると
「なるほど、彼の者の文辞は誤っておりまする。なれど
その発言を容れ、拓跋燾は処刑を思いとどまった。
趙逸の兄、
また趙逸の伯父である
拓跋燾が
趙逸,字思羣,天水人也。十世祖融,漢光祿大夫。父昌,石勒黃門郎。逸好學夙成,仕姚興,歷中書侍郎。為興將齊難軍司,征赫連屈丐。難敗,為屈丐所虜,拜著作郎。世祖平統萬,見逸所著,曰:「此豎無道,安得為此言乎!作者誰也?其速推之。」司徒崔浩進曰:「彼之謬述,亦猶子雲之美新,皇王之道,固宜容之。」世祖乃止。拜中書侍郎。性好墳素,白首彌勤,年踰七十,手不釋卷。凡所著述,詩、賦、銘、頌,五十餘篇。逸兄溫,字思恭。博學有高名,姚泓天水太守。劉裕滅泓,遂沒於氐。氐王楊盛,盛子難當,既有漢中,以溫為輔國將軍、秦梁二州刺史。及難當稱蕃,世祖以溫為難當府司馬。卒于仇池。初,姚萇以逸伯父遷為尚書左僕射,卒于長安。劉裕滅姚泓,徙遷子孫於建業。
胡方回,安定臨涇人。父義周,姚泓黃門侍郎。方回,赫連屈丐中書侍郎。涉獵史籍,辭彩可觀,為屈丐統萬城銘、蛇祠碑諸文,頗行於世。世祖破赫連昌,方回入國。雅有才尚,未為時所知也。後為北鎮司馬,為鎮修表,有所稱慶。世祖覽之,嗟美,問誰所作。既知方回,召為中書博士,賜爵臨涇子。遷侍郎,與太子少傅游雅等改定律制。司徒崔浩及當時朝賢,並愛重之。清貧守道,以壽終。
(魏書52-1)
夏で活躍した文人二人は、十六国春秋のところでも取り上げましたね。
https://kakuyomu.jp/works/16816927860605786408/episodes/16816927861915530037
あっちは胡方回のパパか。しかし拓跋燾って文章にも関与してたんですね。ターミネーターくらいに考えていましたが、とは言えやっぱり皇帝なんだなって思いました。
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