韓茂   初不傾倒

韓茂かんも、字は元興げんこう安定郡あんていぐん安武県あんぶけんの人だ。父は韓耆かんき、字は黃老こうろう。410 年前後に赫連勃勃かくれんぼつぼつのもとから投降し、綏遠將軍すいえんしょうぐんとされ、龍驤將軍りゅうじょうしょうぐん常山太守じょうざんたいしゅに転じ、仮の安武侯とされた。その後常山の九門きゅうもんに居を構え、死亡した。涇州刺史けいしゅうししが追贈され、成侯せいこうと諡された。


韓茂は17 歳にして膂力は人並み外れ、騎射を得意とした。かつて拓跋嗣たくばつし丁零ていれい翟猛雀てきもうじゃくを討伐に出たとき、韓茂は中軍にて幢持ちの役を担った。そこに突風が吹き付ける。風に巻き取られるまいと諸軍が旗を地に伏せる中、韓茂は馬上にて幢を掲げたまま、揺らがない。その様子を見た拓跋嗣おや、と思い、韓茂が所属する部隊の長を呼び、いかなる人物であるかを詳しく聞き出す。


拓跋嗣が側仕えに言う。

「しかと書き留め置くように」


間もなくして拓跋嗣のもとに呼び寄せられた韓茂は騎射の腕前を試され、そこで抜群の腕前を見せた。拓跋嗣はその腕前に惚れ込み抜擢、韓茂を虎賁中郎將こほんちゅうろうじょうとした。


後に拓跋燾たくばつとう赫連昌かくれんしょう討伐に従軍、大破に功績を挙げる。456 年の夏に太子少師たいししょうしを兼ねたが、同年冬に死亡した。涇州刺史けいしゅうしし安定王あんていおうが追贈され、桓王かんおうと諡された。




韓茂,字元興,安定安武人也。父耆,字黃老。永興中自赫連屈丐來降,拜綏遠將軍,遷龍驤將軍、常山太守,假安武侯。仍居常山之九門。卒,贈涇州刺史,諡曰成侯。茂年十七,膂力過人,尤善騎射。太宗曾親征丁零翟猛,茂為中軍執幢。時有風,諸軍旌旗皆偃仆,茂於馬上持幢,初不傾倒。太宗異而問之,徵茂所屬,具以狀對。太宗謂左右曰:「記之。」尋徵詣行在所,試以騎射,太宗深奇之,以茂為虎賁中郎將。後從世祖討赫連昌,大破之。太安二年夏,領太子少師,冬卒。贈涇州刺史、安定王,諡曰桓王。


(魏書51-1)





王に封爵されるレベルの抜群の名将! ……を、何故かまともに取り扱わない当サイト。なぜでしょうか、そう、崔浩さんがいないからですね。この辺りの人物って、例えば馮太后辺りの軍国史やりたいなら拾うべきなんでしょうね。やらんけど。


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