崔浩23 天文に見る南征

崔浩はまた、天文に関する事項を述べ、この南方作戦のタイミングががまずいことを語る。


「天文が、五つの不祥を語っております。

 一つ。害気が揚州ようしゅうの領分に漂っていること。先に挙兵をするのはよろしくございません。二つ。今年の干支は午、これは自らの首を絞めると言うこと。先に兵を発したものが傷つきましょう。三つ。斗牛の星宿にて日蝕が起き、昼にも星が見えました。飛ぶ鳥も落ちたそうです。こうしたときには衰亡の機運がまとわりつきます。四つ。火星が翼宿軫宿を隠しました。乱による損害に警戒すべきです。五つ。金星が見えてこぬうちに攻め曜とすれば、敗れると言われております。

 およそ国を盛り立てる君主とは、まず人のことを見、次いで地勢を見、その上で天徴を見るもの。故にこそあらゆる事業を見事に為し遂げ、国は安んじその生涯も全う致します。今、劉義隆りゅうぎりゅうは統治体制を新たとしましたが人事が噛み合っておらず、また天災にもしばしば見舞われております。そして水軍を北上させようにも、水は涸れ上がっております。人事、天時、地利、すべてが揃っておらぬのです。なにひとつとして噛み合っておらねば、そも自らの身すらあやうきもの。にもかかわらずどうして他国を攻めるだけの余裕がございましょうか。

 しかし、こちらが虚声を挙げれば警戒を強めましょうし、こちらも相手の警戒に応じた動きを示さねばなりませぬ。お互いがお互いを咎め立てるべく推測して動き、否応なく争乱を巻き起こすこととなるのです。兵法としても、災いを分散した上で害氣を受けるべきです。いまは軽々に動くべきではござらぬ」


こうした崔浩の言葉の甲斐もなく、拓跋燾たくばつとうは公卿らの言葉を覆しきれなかった。崔浩はなおもこの作戦を押しとどめるべく言葉を尽くしたが、採用されることはなかった。こうして陽平王ようへいおうの杜超をぎょうに駐屯させ、琅邪王ろうやおう司馬楚之しばそしらを潁川えいせんに駐屯させた。そして劉宋側もこの動きに最大限の警戒を示し、到彥之とうげんし清水せいすいから黄河こうが入りさせ、流れを遡り西方に進む。そして兵を分け黄河南岸を守らせ、西の潼關どうかんまで至った。




浩復陳天時不利於彼,曰:「今茲害氣在揚州,不宜先舉兵,一也;午歲自刑,先發者傷,二也;日蝕滅光,晝昏星見,飛鳥墮落,宿值斗牛,憂在危亡,三也;熒惑伏匿於翼軫,戒亂及喪,四也;太白未出,進兵者敗,五也。夫興國之君,先修人事,次盡地利,後觀天時,故萬舉而萬全,國安而身盛。今義隆新國,是人事未周也;災變屢見,是天時不協也;舟行水涸,是地利不盡也。三事無一成,自守猶或不安,何得先發而攻人哉?彼必聽我虛聲而嚴,我亦承彼嚴而動,兩推其咎,皆自以為應敵。兵法當分災迎受害氣,未可舉動也。」

世祖不能違眾,乃從公卿議。浩復固爭,不從。遂遣陽平王杜超鎮鄴,琅邪王司馬楚之等屯潁川。於是賊來遂疾,到彥之自清水入河,泝流西行,分兵列守南岸,西至潼關。


(魏書35-23)




あ、これ到彦之の北伐(黄河中流域にまでめり込んでこそきたものの作戦失敗して撤退中に到彦之が病を得たため後詰めを檀道済だんどうさいが務めたやつ)なんだ。黄河にまで抜かれてるってことは崔浩の言うとおり「南鎮守将がなすすべもなかった」って感じですね。


そんなことより司馬楚之しばそしのこのときの動きはどんな感じだったんでしょうね。あと魯軌。個人的にはここに崔浩さんが「已然之效(ドヤッ)」ってなったことについての結果が知りたい。いや劉宋侵攻の結果に較べれば圧倒的に些事なんですが。

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