宋洽   中山守将

宋隱そういんの叔父、宋洽そうこう慕容垂ぼようすいに仕え尚書となっていた。拓跋珪たくばつけい中山ちゅうざんを包囲したとき、宋洽は兵を率い北圍の守りをバキバキに固めていた。ここを攻めた北魏ほくぎ軍は多くが殺されており、拓跋珪はこのことを深く恨みに思っていた。このため中山が陥落すると宋洽は殺されたし、子の宋順そうじゅん宋訓そうくんはともにタマを抜かれた。


宋洽の四子、宋宣そうせん。字は道茂どうも。中山が陥落したころまだ十歳にもなっておらず、親類らの手により、隙を見てなんとか逃げ延びた。後に范陽はんよう盧玄ろげん勃海ぼっかい高允こういんやそのいとこである高愔こういんと共に召喚を受け、中書博士ちゅうしょはくしを拝した。また兼散騎常侍けんさんきじょうじとして劉宋りゅうそう劉義隆りゅうぎりゅうのもとに使者として遣わされた。やがて冠軍將軍かんぐんしょうぐんが加えられ、中都侯ちゅうとこうに封じられ、中書侍郎ちゅうしょじろうを兼務し、司隸校尉しれいこういを仮に勤めた。446 年に死亡、司隸校尉が追贈され、簡侯かんこうと諡された。




隱叔父洽,為慕容垂尚書。太祖之圍中山也,洽率所領專守北圍。當洽所統,官軍多被傷殺,太祖特深忿恨。及城平,遂殺之。子順、訓並下腐刑。

洽第四子宣,字道茂,時年數歲,親人竊逃以免。後與范陽盧玄、勃海高允及從子愔俱被徵,拜中書博士。尋兼散騎常侍,使劉義隆。加冠軍將軍,賜爵中都侯,領中書侍郎,行司隸校尉。真君七年卒,贈司隸,諡簡侯。


(魏書33-2)




宋洽は拓跋珪の後燕攻めに際し、拓跋珪の手を大いに焼かせた、として殺されているわけですね。宋順、宋訓のその後とかも気になります。彼らに字輩が掛かってるのとかも興味深いところ。しかしこんな断片的情報見せられても「うーん拓跋珪くんの八つ当たりこわっ☆」くらいしか思えんとですわね……そして宋宣のプロフィールが数奇すぎる。ちなみに盧玄高允と言えば拓跋燾期後期の中核的人物だったりするわけです。この辺から見ても宋氏という家門がどれだけ重いものだったかが伺われます。

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