Ba1t_b@Ll ー多頭の戦士ー

花野井あす

序章

1

000-L_PROLOGUE


 あれから、どれくらいの月日が経っただろうか。


 窓の外から蒸気機関車の汽笛が鳴り響き、その音と同時に彼はまなこを開いた。


 窓と対面するように、彼は静かな光を灯す三灯のペンダントライトに照らされている白いファブリックソファの上に腰掛けていた。

 視線を下ろすと、自分の膝を枕にして横たわる少年の姿。その少年もちょうど目蓋を揺らしているところであった。彼はその少年の頭を愛おしそうに撫でながら、微笑みかけた。

 

「おはよう」

「……それ言った」

 呆れたように据わった眼を向けるその少年に、彼はころころと笑った。

「まあ、此処ではおはようということで」

「なんだそれ」

 

 彼につられてか、少年もまた笑った。二人はひとしきり笑いあい、ふと振り返って部屋へ意識を向けた。

 其処はがらんとした、けれども見慣れた部屋。

 剥き出しのダークブラウンの木目調の床に、何も飾られていない白い壁。キッチンスペースには黒いキッチンカウンター以外何もなく、そのカウンターには白いティーカップが二つと、小さな黒猫のぬいぐるみが置いてあるのみだ。本当に、何も無い。

 

 彼は少しだけ寂しそうに表情を曇らせて言葉を続けた。

「此処、やっぱり静かになったね。他の皆は元気かな」

「さあ。まああいつもいるし、なんとかなってるだろ」


 素っ気なく返す少年に、彼はにっと笑いかけた。

「惚れた弱みを使うなんて悪い子だ」

「弱みを握らせるほうが悪い」

「君らしい考えだ」

 そう言って、彼は少年の髪を手で梳いた。その髪の滑らかな絹のような触り心地にうっとりしたかのように、彼は目元を緩めている。

 寝そべったままそんな彼をじっと見上げて、少年はやおら切り出した。

「それより、そろそろ駅に向かわないとまずくないか」

「そうなんだけどさ。久しぶりに君の顔が見たくて」


 名残惜しそうにまだ頭を撫でている彼に、少年は苦笑した。

「なんだそれ」

「最近ずっと顔合わせてなかったからさ」

「毎日会ってるだろうが」

 と言うと少年は上体を起こし、こつんと彼の額に自分の額を合わせた。彼は直ぐ目の前に見える夜空を閉じ込めたようなその瞳をじっと見つめ返し、そして言葉を返す。

「こっちだと会ってないもの」

「俺は何処でどんな姿だろうと、お前がお前ならなんでもいいよ」

「大雑把だなあ。でも同感。僕は僕で、君は君だもの」

 

 それはずっと、ずっと彼らが思い悩んでいたこと。

 自分とは何か。

 何が自分を自分たらしめるのか。

 その問いに苦しみ、悲しみ、時には憎しみあったものだ。そしてその問いの答えはまだ見つかっていない。

 これからも様々なものを見て、聞いて、感じて。そうして答えのない問いの答えを探して行くのだ。

 

 少年はふと彼から身を離し、ソファから降りて手を差し伸べた。

「ほら、あいつが呼んでる。早く行こう」

「そうだね」

 そう言って彼は少年の手をとり、窓の外へ視線を向けた。

 

 それは車窓だ。

 素早い速度で景色が流れ、その向こうには地平を縁取るバルトレット山脈と、その地平から天空を覆うように燦然と輝く白い星――太陽に照らされた群青の空が覗かれている。


 ぴーひょろろろ……


 一羽の大鳥たいちょうが彼の眼前を過ぎ、大空を滑るようにいく。青や緑、赤の飾り尾を持つ白い鷹だ。その鳥はその見事な翼を悠々と羽ばたかせ、太陽の周りを旋回し、虹の輪を掛けた。

 



 遠い、遠い昔。

 人々はあの太陽が世界をかたどったのだと言った。すべてが不定で不確かな世界を照らし、色や形を創り、そして個を与えた。

 そして人々は言う。

 その個を保つのがあの虹の尾を持つ鳥なのだと。あの鷹は雨という「変化」を呼び、象られた世界を「世界」たらしめているのだと。

 

 無論、それらはただの言い伝えを誰かがそう解釈しただけのことだ。だが、彼にはがあった。彼は穏やかな遠い地平の向こうへ滑空していくあの鳥を見届け、小さく「いってらっしゃい」と呟いた。


 雨が、さあさあと降り始めた。

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