005-Y_出立(1)


「ううん……」 

 寝台ベッドの上で悠は大きく伸びをした。


 窓へ視線を向けると、暖かく心地良い朝陽が差し込んでいる。窓の外を見上げれば、雲一つない青空がずうっと続いており、その中を泳ぐようにカモメたちが悠々と飛んでいる。遠くの方へ目をやると、陽の光を受け、きらきらと輝いている海の上を大きな帆船が往来していた。

 

 この世界に来て、十日目の朝を迎えていた。


 今日、ベアード商団が此処エルデンから首都イェーレンへ向けて出発する。悠もその一行に同行することとなっている。十四日遅れての出立だそうだ。


 あの後すぐに、オリヴィアの知人ハーヴェイとして悠はベアード氏に紹介され、彼の子供たちのお守りの役目を担うこととなった。

 本物のハーヴェイは負傷して任務に参加できなくなったという体にしたらしい。同じ名前で不自然では?とも思ったが、其処はゴリ押したらしい。まあ、珍しい名前でもないらしいので。(そのあたりは日本人の悠にはわからない)未だに子供たちとは会ったことが無いので、任務初日で顔合わせ、ということになっている。

 

 ハーヴェイの抜けた穴は、階級がBまたはCの冒険者をさらに五人程追加することで埋めたようだ。A級以上の冒険者は少ない上多忙で、捕まらなかったらしい。

 

 外へ出ると、眼下には今しがた硝子越しに見た街並みが広まっていた。此処は小高い丘の上にあり、景色が一望できる、

 悠はなんと無しに、十日間世話になった宿の方へ向き直った。蔦に覆われた、赤茶色をした煉瓦造りの建物で、白色の塗料で染められた窓枠が目を引く。今日でこの宿ともお別れだ。

 

「そっちへ運べ!」 

「こっちは終わったぞ!」

 

 という、男たちの賑やかな声のする方へ目を向けると、少し離れた場所で、ベアード商団の職員たちが忙しなく荷物を荷馬車に運び込んでいた。

 職員は全員で五、六人程度だ。荷馬車は四輪の二頭立てのものが四台で、いずも荷台には大きな白い布が張られている。三台の荷台の中には、幾つもの小ぶりな木箱がみっちりと詰められており、あの箱の中には外国から取り寄せた宝石や食器が梱包されているらしい。残りの一台は旅に使う天幕や食器などを積んでいた。

 

「あら。おはよう、ハーヴェイ」

 

 その凛とした声に振り返ると、オリヴィアが駆け寄って来ていた。この名前に悠は未だに慣れないでいる。

 彼女の背を見ると、相変わらずその背には大きな革袋を携えていた。あの中身が彼女一人分はあるだろう重量のある鈍器なのだと思うと、よく平然と担いでるなといつもながら感心してしまう。

 

「オリヴィアさん、おはようございます」 

「…………やっぱり慣れないわ」

 

 悠の挨拶を聞くや否や、オリヴィアが頭を抱える。あちらも悠の反応になかなか慣れないらしい。ほとんど毎日のように、このやり取りをしている。日課と言っても過言ではなかろう。


 すると突然、知らない女の子の声が差し込まれた。 

「ねえオリヴィア、この人がハーヴェイなのかしら?」

 

 オリヴィアの後ろからひょこりと、二人の子供が姿を見せた。十代前半程の少女と、十にも満たなそうな、幼い少年だ。少年の方は気弱なたちなのか、少女に寄り縋っている。

 

 二人ともとても良く似ていて、錆色の癖っ毛に翡翠色の瞳、さしてそばかす顔をしていた。

 少女は胸のあたりまである長い髪を二つに分けて三つ編みにしており、幼い顔立ちに不釣り合いな、発達した体つきをしている。一方で、少年はおかっぱ頭をしており、顔も体格も幼さがうんと目立つ。

 

 見知らぬ子供たちを前に、悠はどう反応すれば良いのかも解からず、目でオリヴィアに助けを乞う。だがオリヴィアは悠に視線を返す事なく、子供たちの方へ向き直る。

 

「ええ、クレア、デニス。彼がハーヴェイよ。ビシバシ顎で使ってちょうだい」

 何を言っているんだ、この人は。だがそんなニコニコ笑顔のオリヴィアの背後でクレアは、

「ふうん?」

 と言って、悠の頭の先から足の先まで、じろじろと眺めてくる。あまりにも無遠慮なものだから、悠は名状しがたい居心地の悪さを感じた。


 確かに初対面なである為、警戒されても可怪しくはない。だがこれはどちらかと言うと、値踏みされているような気がする。悠はひとまず、二人の子供たちと成る丈目を合わせぬようにしながら、オリヴィアに耳打ちをした。

 

「あの……。この子たちは……?」 

「ベアードさんのお子さん達よ。女の子のほうがクレアで、男の子のほうがデニス」 

「ああ、この子たちが」

 

 改めて、悠は二人の子供たちを見る。クレアはこちらの出方を伺うようにして警戒している。デニスは見知らぬ男を前に怯えているのか、その小さな体を震わせながら俯いている。 

 この子達こそが当面の世話を任された子供たちなのだ。くれぐれも失礼のないよう、気を付けねばならない。悠はクレアやデニスに視線を合わせるべく、やおらその場に屈み、微笑んでみせた。 

「僕がハーヴェイです。宜しくお願いしますね」

 

 すると、クレアが口をへの字にして悠を指さして言った。「その肌の色、異国人?」更には、「それに、まるで女の人じゃない。男の人なのに、ひょろひょろとしているわ」とまで言う始末。

 

 なんとも礼儀のなっていないことか。これは叱るべきなのか。助けを求めてオリヴィアの方に目をやると、オリヴィアは気不味そうに頬を掻いて言葉を継いだ。

 

「……ハーヴェイは骨格が細いだけなのよ。筋肉はちゃんと付いてるわよ」 

「可哀想ね。こんなのじゃあ、お嫁さんも見つからないのではないかしら?」

 

 こんな小さな子供に結婚の心配をされるとは露ほども思っていなかった。それゆえに悠は衝撃を受けずにはいられなかった。

 それに、悠から見たハーヴェイは十分に美男子だ。しかしながら、この世界では異なるらしい。この言い草からすると、骨格の細い男は女性に人気が無いようだ。悠は妙なところで文化の差を実感する。

 

 すると、おもむろにオリヴィアが口を開く。 

「どうせ性格的に難があるから、大丈夫よ」

 

 まったくもって、フォローになっていない。それになによりも。性格云々の話は、彼女の知る「ハーヴェイ」のことを指しているのであろうが、こうも直接目の前で言われると、精神的に来るものがある。

 

 悠が意気消沈していると、クレアがぐいっと詰め寄ってきた。 

「とにかく、しっかり弟の面倒を見てちょうだいね?」 

「は、はい。よろしくお願いします……」

 

 悠が世話をする相手には無論、彼女も含まれているのだが。悠はあえて言及しないでおいた。この小生意気な少女の気質を見るに、下手に触れると悶着の発端と成りかねない。

 

 悠はちらりと、クレアの後ろで萎縮してしまっているデニスに視線を移した。

 デニスは、故人となった時の自分の妹と同じ年頃である。それ故に彼を見ていると、悠は懐かしい気持ちにならずにはいられなかった。妹とは異なり、デニスは男の子であるものの、それでも尚、何処か親近感が湧くものだ。


 デニスを怖がらせぬよう、悠はもの柔らかな口調で声を掛ける。 

「デニスさん。僕とお友達になってはいただけませんか?」

 

 悠の細心の注意が功を奏したらしい。おずおずと悠の元へ僅かに近寄って、小さな声でデニスは言う。 

「ハ、ハーヴェイ。ぼくね、お馬さん見たい」

 

 デニスの唐突な申し出に、悠は面食らった。こればかりは悠の一存では決めかねる。オリヴィアに相談するしかない。 

「いいですか?オリヴィアさん」 

「どうせ私達の馬の世話もあるし、いいわよ」

 

 拍子抜けにも、オリヴィアからはあっさりと許しを得られた。

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