7パシリ ゾルゲさんの危機は終わらない

「グハハハハハ! たった五人の足止めが精一杯で、半殺しにされて逃げ帰って来ただと! 土産も無しによくもまあ手ぶらで帰って来たもんだ」


 ゾルゲが魔王陣営に戻ると遊撃隊の存在をブリコスに報告、その後前線から戻っていたゴリアテ、アシュラン、リリーが集まり緊急会議となった。

 鬼王ゴリアテは、豪快に笑い飛ばしつつ剛腕に繋がれた岩塊を思わせる手でゾルゲの背中をバンバン叩く。


「へへへ……どーもすいません。あいつら人間の中でも精鋭中の精鋭だったみたいで、戦いに不慣れな吾輩ではとてもとても……」


「この十二将軍の面汚しが! これ一度言って見たかったんだよな。グハハハハハ」


「ヒヘヘ、仰る通りで、すいません」


 破城槌で背中を叩かれているようなものなのだが、ヘラヘラしつつペコペコする姿は平常運転のゾルゲである。


「俺らなんざ、毎度毎度数十数百数千の敵を相手にしてるってのに、五人だとよ!」


 情けねぇ! と大げさに叫ぶ鬼王の声で広間の大気がビンビンと震える。


「えー、それじゃあリリーちゃんの新作バッグはぁ?」


「いや、それどころじゃなかったというか、まだバッグ屋にすら行けてない有り様でして……」


「えーー、それじゃあなんのために人間界行ったのー! リリーちゃんぷんぷんだよー」


「いや、少なくともバッグ買うためじゃないかと思う次第でして……」


 卓上でフワフワと浮きながら目の前で腕をバタバタと頬を膨らませとんでもないわがままを言ってる駄々っ子にも関わらず、愛らしく淫靡な姿に映るのはさすが淫魔であるか。そんな魅惑などかけらも気にせず、ゾルゲはおずおずヘコヘコとしていた。


「なーーにーーそーーれーー楽しみにしてたのにーー」


「リリー殿」


「なにかしら!アシュラン」


「身侭がすぎますぞ」


「えっとぉ……はい」


 天真爛漫な淫魔の振舞がたったひとことの窘めで、卓上にちょこんと正座し大人しくなる。黒騎士を見詰めるその目は叱責されたことに対する鬱憤や立腹の感情ではなく、赤く煌く熱い眼差し。それはさらに餌を欲する雛鳥の鳴き声に似ていた。


「話を戻そう、ゾルゲ殿その者達の話を聞くに私もゴリアテ殿も戦場でまみえたことがある相手やもしれぬ。もし我々が知っている騎士や武道家であれば───あれは一筋縄ではいかぬぞ」


 アシュランに向けられた話に片目を上げ近しい過去を思い出すべく中空を睨む。


「あぁ……そういや、いくらぶっ叩いても膝ひとつ着かねぇ野郎がいたなぁ。それにあの大剣持ちや無手の野郎共も───強かったな。あいつら相手じゃおまえさん如き到底無理か」


「へへ、そうなんですよ、吾輩じゃとてもとても……」


「逆によく追い返すこところまでできましたな? もし私が言う相手ならば命も危うかっただろう」


 ゾルゲの報告にアシュランが引っかかった点はそこだった。いかに実力未知数のゾルゲといえど、人間界でも最上位であろうあの者達複数人相手に一人で足止め───自分ができるかと言えば魔剣の力を最大限引き出せばできないこともないだろうが即答は難しい。おそらく何某かを失うの必至であろう。


「ええ、まあ、そこは倒すのははなっから諦めまして、口八丁手八丁に幻視幻術を駆使して相手を惑わすことに専念すればなんとかなるものでして、そりゃ大人数の集団相手は無理ですが……」


「ふむ……」


 疑問点はそれだけではないが、煙に巻かれそうな予感はしたので、証明しろと詰め寄るのも場違いな空気ではあるので黒騎士は一旦引くことにした。


「別魔術と同時詠唱で火龍を召喚する少女といったな。ワシが知る限り人間界で同じ真似をしよるのは棺桶に片足突っ込んだ大賢者を自称する死に損ないのクソボケハゲジジイだけじゃ。まさか後継者だというのか?」


 死霊王ブリコスが気になったのは術師側、特に魔女メルモの放った火竜には既視感がやまなかった。

 かつて、そして今に至るまで死霊王とクソボケハゲジジイとの二人は壮絶な戦いの歴史があった。どれだけ術式の手札を持つか、そしてその応用。一晩でいくつもの両陣営の食料庫である田畑を焼きつくし、互いの砦を河原に積まれた石を崩すよりも容易く瓦礫に変え、恵みをもたらす森を焼き海を荒れさせ、死人は蘇り爆散し、ついぞ決着のつかない二人の直接対決はお互い利無しと判断し、暗黙の了解で相見えることが禁止されたが───

 つい先ごろ、クソボケハゲジジイの尿結石が悪化したとかで前線から引いたことを耳にしたときは軍議の広間で自らが操る死人に胴上げをしてもらうほどブリコスは喜んでいたのだが……


「詳しくはわかりませぬが、おそらくそうではないかと。先生が、などと漏らしておりましたゆえ」


「また忌々しいのが出てきおったか……」


 白鼠色の光沢を放つテーブルをコツコツと干からびた指で叩くブリコスは何かを思案する。


「おう、ブリコスさんよ、俺らから出向いて迎え撃つわけには行かねぇのかよ!」


「馬鹿を言うなゴリアテ。我ら将軍クラス五人を抜いたら魔族側の戦線維持は難しいぞ。ゾルゲの報告が誇大であっても、もしアシュランとお主が相手した者やインポチンカス加齢臭ジジイの後継者が相手であるならば、こちらはワシ等上位五席でなければ勝負にならないであろう。それに対して人間側は五人抜けたところであの驚異の速さで築かれた巨大な要塞があるからな。アレは盤石過ぎる」


「ど畜生! うちの要塞はまだできねぇのか!」


「無茶を申すな、岩を切り出し成型するのにどれだけ時間と手間がかかると思っておるのだ」


「土魔術とかあるだろ! ほらっ、防壁とかでかってぇーの張ってるじゃねぇか! あれ使えばいいんだよ! マジ俺様天才!」


「本当に天才ねー 防壁なんて少しの間しか使えないのに建物に使うなんてリリーでも思いつかなーい。すごーいゴリアテーてんさーい」


 それまで卓上で正座して大人しく話を聞いていた淫魔がたまらずにあきれて馬鹿にした表情で鬼王を侮蔑する。


「だろ! ったく、どいつもこいつも頭たりてねぇーな!」


「脳筋だ脳筋だと前々から思っておったが、貴様の頭の中はところてんでもつまっておるのか?」


「そんな褒めるなブリコスさんよ!」


「褒めとらんわ! 術者を一生寝させずに魔術を発動させたままにするつもりかこのラッパ! だいたい小屋程度ならまだしも、一瞬でも要塞レベルを建てるのに高位の術者が何人必要だと思ってるのだ」 


「知らねえょそんなの、10人くらいか? それよりさっきのところてんってなんだよ?」


「ところてんはどーーーでもよいわ! この頭ピコピコポン!」


「自分でところてん言ったんじゃねーか」


 それなんですが──と、血圧が急上昇するブリコスに口を挟むのはゾルゲであった。


「お主までところてんの話か!」


「ええ、実はテングサの群生地を発見しまし───違いまする、資材の話です」


「なんじゃ、はよ申せ」


「人間界ではとある不思議な素材が発明されてまして、特殊な砂と水を混ぜ合わせ型に流して乾かすと硬化する石材なんですが、これを我らも使用すれば築城速度も劇的に早くなると愚考しますが如何でしょうか?」


「なんじゃそれは?」


「泥壁とかレンガとはちげぇのか?」


「ええ、違いまする。膠灰(こうかい)と申しまして───」



 生物堆積岩という岩と……


 砂と水と骨材を……


 乾燥に数日……

 


「なんと、そのような技術が───そういえばどこぞの古代遺跡で謎の粘土に似た物質によって石材が接着されていたという報告があったが、それに近いものかもしれぬな」


「おそらくそれは膠泥(こうでい)という膠灰(こうかい)の一種ですな」


「早速とりかかるぞ。手の空いてる種族を集め配合の研究をさせよ。ワシの分霊を記録がかりにするといい。妖鳥族と獣族には材料の手配、火術の得意なものや水妖族、石人族にも声をかけておくのだ。築城は一時休止でよい。ゾルゲでかしたぞ!」


「は! ありがとうございます」


「なんだよ、てめぇ! やることやってんじゃねぇか!」


「へへ、いや、どーも。痛いですって」


「……」


 ゴリアテに何度もバンバン背中を叩かれるゾルゲに目をやり、その場を静かに退席するアシュランの脳内には別のなにかが絡みあい引っ掛かっていた。


 ところてんではない。



 ◇    ◇    ◇    ◇    ◇



 軍議が行われているのは最前線から徒歩で三日程歩いた距離にある巨大な要塞であった。元々人間が築城したものを魔族が陥落させ、手直しして使用している。


 その回廊を会議が終わったゾルゲは自室に戻るべくブラブラと一人で歩いていた。元来将軍クラスには身の回りを世話するお供の者や、部下が付き従うもので、要塞内とはいえ一人で歩くということはあまりないのだが、ゾルゲは役目上情報の漏洩を無くすためと共の者をつけることを固辞していた。


 混凝土の提案は少し早かったか? いや、軍事技術は明らかに人間側が加速度を上げて増している…… 魔族は科学技術は乏しいが、身体能力や不死性や飛行といった特殊能力を持つ。これに科学技術力が混ざると人間側はものの数ではないだろうし。調整が難しいですなぁ。


 ゾルゲ殿、と声をかけるのは『魔剣のアシュラン』背中に背負う両手持ちの大剣は、一度鞘から抜いたが最後、持ち主の能力を大幅に引き上げ、一定量の血を吸うまで敵味方関係なく斬り刻むまで使用者を乗っとるという呪われた魔剣だ。アシュランはこの魔剣を膨大な精神力によって自在に扱える唯一の人物であった。だがこの魔剣は消耗が激しいため、普段は左腰に携えた抜き打ちをしやすいよう緩やかな曲線美を見せるサーベルを使用していた。このサーベルのは少年時代親代わりだった在野の無名の剣豪が持っていたとある異国の剣を模倣し特別に拵えた一振りだ。


「ん? おーアシュラン殿、もうおやすみになられたかと思いましたぞ」


「これから前線に戻ります。その前にゾルゲ殿にお伺いしたいことがありましてな」


「これはこれはお疲れ様です。吾輩のように人間界でフラフラしているだけの者とは大違いでございますな。して、なんでございましょうか?」


 と、ゾルゲは一步足を踏み出す。踏み出しには警戒心をまるで感じることのない何気ない一步であった。


「とんでもない。実はどうしても見たいものがありまして……」


 見たいもの? と気の抜けた表情でアシュランの二の句が発せられる前にもう一步踏み出した。


「はい、ゾルゲ殿の実力を───」


 

 黒騎士の立像がぶれた。


 幻灯機によって映写された映像がほんの少しだけぶれた程度


 首を捉えた


 柄に手をかけたときには


 勝負は決している


 何百何千何万回と磨きあげた一閃


 落としたコインを拾うよりも自然な動作になるよう身体に叩き込んだ

 

 わずかな殺気さえも流れない


 初動からの事前察知は不可能


 その一閃は───

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