三 エルフ族の森


 その村は森の奥深くにあり、普通の人間では迷ってしまって二度と出てこられなくなるだろう。老師と少女は森の入り口で森の精霊と交渉し、エルフ族の住む村まで案内をしてもらった。うっそうと茂る長い森のトンネルを抜けると開けた場所に出て太陽の光がよく見えた。森のエルフ達が住む村に到着した。

 村の中には森の精霊が飛び交い、太い木の幹に質素な造りの家がいくつも建っている。

「ここはエルフの村のようですが、何かゆかりがあるのですか? 」

 少女は老師に尋ねた。

「古い知り合いがいてね。久しぶりに顔を見ておきたいと思ったんだよ」

 老師はルビー色の瞳を細めて言った。

 森の精霊がざわめき始め、その気配を察していくつかの家からエルフが現れ、老人と少女に対して数人はあまり関心がなさそうに、残りは興味を惹かれる目をしていた。

 エルフ達は人間と同じくらいの背丈で、肌はどの人間よりも白く、細く長い耳を持ち、ほっそりした手足、そして異性の人間ならば誰もが見とれるほどの整った顔をしていた。

 老師は周囲のエルフ達に軽く会釈しながら、村の奥へと進んでいき、少女はやや困惑した表情をしながらそれに付いていった。

 老師と少女が一人のエルフに案内されたのは、村の最奥の小さな小屋だった。妖麗な雰囲気を纏ったエルフの女性が座って何かに祈っており、少女たちに気が付くと、祈りを止めて、小さく微笑んだ。

「お久しぶりですね、ドラゴンスレイヤー。そしてこの子は初めましてですね、人間の司祭さん。あの子なら、もうすぐ来るから、少しゆっくりしているといいですわ」

「ありがとうございます」

 老人は深めに頭を下げ、少女もそれにならった。二人はエルフの村の長と向かい合う形で腰を下ろした。

 ほどなくして、ぱたぱたとした足音が聞こえ、小屋の扉がばたんと開いた。

「あら、ずいぶんと老けちゃったわね、この前まではなかなか男前だったっていうのに」

 現われたのは金髪をたなびかせてエメラルドの目を光らせた、快活なエルフだった。


「初めまして、小さな司祭さん、今回の担当はあなたなのね」

「はい、老師様と一緒に旅をさせてもらっています」

「そう、まあ、一応世界を救った人間の一人だし、いいんじゃない。でも、珍しいわね、あなたがこの試練の付き添いを引き受けるなんて」

 そういってエルフは老師の方を向き直った。老師は旅が始まった経緯を話した。

「なるほどね、試練に護衛はいらないなんて、大人しく見えて、意外とおてんばなのね」

「はい、一応は自覚してはいるのですが....」

 少女は少しお申しわけなさそうになった。

「いや、いいんだ。おかげで私も色々と発見の連続だよ」

「ふうん、あなたたち、意外と気が合うみたいね。よかったよかった」

 エルフは少しイタズラっぽい笑みを浮かべて言った。老師は軽く咳払いをして、少女はポカンとした顔をしていた。


 老師と少女とエルフの娘はしばらく他愛のない話をした後、エルフは少女にぶっきらぼうに訪ねた。

「どうして、司祭の試練を受けようなんて、思ったの。教会でのほほんと生きていてもいいじゃない」

 そう言って、いつの間にか手に持っていた、上品なつくりの盃をグビリとあおった。エルフ族にとっての酒である、あまり人間には知られていない飲み物だ。

 少女は少しの間考え、意を決したように言った。

「エルフさんは、厄災についてどうお考えなんですか」

 それを聞いて、盃を置いて勢いよく立ち上がるエルフの娘。

「いい?私たちエルフ族は森と、世界と調和して生きているの。万物には神の意志が宿っていて、私たちはそれを精霊から聞いて、この世界の意志を感じているの。そうね、それはあなたたち人間が崇める神とは違うのかもしれない。けれど、エルフと違う人間の信仰を咎めたりはしないわ」エルフの娘は大きな身振り手振りをしながら、それはまるで演説のようだった。

「そういうあなたは、どうなの?厄災について、神を崇める身でしょう。神を悪く思ったりしないわけ?」

「私は、神の御意志で、人間が試練を乗り越えることでより良い存在になっていくためのものだと解釈しています。ですから、神は私たちを見ている、と言えばよいのでしょうか、もしくは期待の表れかと思うこともあります。うーん、面と向かって言葉にするのは、難しいものですね」

 少女は少し困ったように、首を傾げて頬に手をやり、ポリポリとかく仕草をした。


「で、あんたは?ドラゴンスレイヤー?」


「私は、神に対してどうこうといった思いはないさ。ただがむしゃらに目の前のことでいっぱいいっぱいだった」

「それは昔のあんたでしょう。もう人間にしては歳食ったんだから、何か感じたことでもあるんじゃないの?」

「いやいや、人間そんなすぐには成長しないよ」

 老師ははのらりくらりとエルフの娘の質問をかわしていく。

「全く、あんたってやつは、英雄のくせに、釈然としないのは相変わらずね」

「まあまあ」

少女が割って入ってその場を落ち着かせようとしたが、彼らにはこのやりとりがが懐かしく思えていた。

 族長のエルフが持ってきた盆にはお茶が入り、それぞれに湯呑が配られ、エルフの娘は不思議な祈り方をしたのちに、恭しくそれを口にした。少女はそれを見て、慌てて見様見真似で同じ動作をして、湯呑を口に運んだ。そして少し不思議そうな顔をした。

「ちょっと人間の口には合わないかもね、エルフ族の伝統のお茶だから」

「いえ、そんなことは。でも。不思議な味ですね」

 エルフはまたいたずらっぽい笑顔に戻った。

「これを飲むと、落ち着く作用があって、エルフは気持ちを落ち着けたいときや、瞑想したり、ものを考えるときに役に立つのよ」

「なるほど、確かに、気持ちが落ち着いて、思いに素直になれる気がします」

「よかった、口に合ってくれて。そこの年寄りは、相変わらずあんまり好きじゃないみたいだけどね」

 エルフの娘は例のいたずらっぽい笑みを浪士の方に向けた。少女もつられて老師の方を見やった。

 そこには少ししかめっ面に近い顔をした老師がいた。少女はエルフの娘と顔を合わせ、思わずぷっと噴き出した。

「いや、こればっかりはちょっとな」

 老師の苦笑いはむなしくお茶の湯気と一緒に霧散してしまった。


「いえ、すみません。老師にもそんな一面があったなんて知らずに思わず」

 少女はまだ笑いをこらえている様子だった。エルフの娘はお腹を抱えて笑っていた。

 しばらくの後、エルフの娘はやや神妙な面持ちで少女に尋ねた。

「そういえば、あなたの今回の試練のきっかけを聞いてなかったわね。良ければ教えてくれるかしら」

「はい、これは身の上話でもあるのですが。私は孤児で、教会に拾われました。教会では様々なことを学ばせていただきました。私はそんな協会に恩返しがしたいと思っていました。そしてそのうち、厄災のことも。厄災を鎮めることができれば、人々は平和に暮らせます。そしてそれが教会の使命です。ですから今回の試練に臨んだわけです」

そうやって少女が言葉を紡ぐ様子を、老師は目を瞑ってお茶を啜りながら聞いていた。

エルフの娘は湯呑をタンと置いて、

「なるほどね。なかなかいい根性してるわ。あなた」


「エルフさんは、万物には神の御意志が宿っていると考えていらっしゃいます。私たちは、万物は神が作り出したと信じています。でも、大本をたどれば、神に行きつくという点で、我々種族の違いはあれど、同じような部分があると思うんです。」

「なるほどね、あなた、やっぱり面白いわ。気に入ったわ」

 エルフの娘はパンと膝を叩いて立ち上がり、

「それじゃあ、ちょっと面白い場所にいきましょうか」

「面白い場所?」


 老師と少女はエルフの森を歩いていた。前には鼻歌交じりに大きく手を振って楽しげに歩くエルフの娘がいた。その足取りは軽く、花の綿毛が舞うようにご機嫌に見えた。

「老師様、エルフさんは一体どこへ行こうというのでしょう」

 少女はわずかな不安と、それを上回る期待の入り混じった声で老師にささやいた。

「さあ、私もわからないよ。だが、彼女は嘘をつく性格ではないからね、期待していいんじゃないかな」

 老師の声にも、好奇心が混じって少し楽しそうな雰囲気だった。

 森をやや長く歩いて、一行がたどり着いたのは、森の中とは思えないほど開けた空間の、一面に広がる湖だった。

「ここよ」

 エルフの娘は少し誇らしげに胸を張って、さあ刮目しなさいと言わんばかりに、湖の方に手を伸ばして紹介した。湖には村の中では比べ物にならないほど多くの精霊が飛び交い、それらはさまざまな色や形をしていて、ここは神の国なのではないかと思うほどだった。

「きれい...」

 少女の口からは自然にその言葉が出、その後息を飲んだ。老師もほう、といった様子で湖を眺めていた。

 エルフの娘は自信満々に、例によって大きな身振り手振りを交えて説明を始めた。

「エルフ族は時々、この湖で湯浴みをするの。ここにはより多くの精霊や、澄んだマナが多いから、私たちは心の浄化のためにここにくるの。ただ眺めてるだけでも充分に心が澄んでいくんだけど、湯浴みをするととっても気持ちがいいのよ」

 彼女が湖に近づくにつれて、ご機嫌だった足取りがさらにご機嫌になっていくのを感じていた二人は、納得した様子でお互いの顔を見合わせた。

「本当に、とても綺麗です。こんな素晴らしい場所で湯浴みができるなんて、とっても羨ましいです」

 少女が少し興奮気味に言った。それを聞いたエルフの娘は少し首を傾げた後、にやりと笑い、おもむろに少女の肩を掴んだ。

「何言ってるの、今からここで湯浴みをするんじゃない。ほらほら、早くその司祭の衣装脱いで脱いで」

「え、ええ!?」

 少女は驚嘆の声をあげ、両腕を自分の体を守るように巻きつけ、恥じらった。

 そんな少女の恥じらいをものともせずに、エルフの娘は少女に襲い掛かり、瞬く間に司教の服を脱がせてしまった。と、同時に自分の服もぱっぱと脱ぎ捨ててしまい、瞬く間に下着姿の娘が二人になってしまった。

「な、何をするんですか!」

 少女の抗議は虚しく泉に響いた。

「ほらほら、こっちこっち」

 エルフの娘は少女の手を引き、じゃぶじゃぶと泉に入って行った。

「そーれ」

 娘は少女に掬った水を浴びせ、はしゃぎはじめた。少女の顔に水がかかる。

「もう、やりましたね」

 少女もつられてなぜか楽しくなってきて、娘に水を浴びせ返した。

 しばらくの間、少女と娘が賑やかに水遊びをしているはしゃぎ声が静かな森に響いていた。

 少女はふと我にかえり、自分が裸同然の格好でいることに、それも老師がいる前で我を忘れて飛び回っていたことに気がつき、ひどく顔を赤らめた。

 しかし老師の姿はなく、きょろきょろと辺りを見回すと、まだはしゃぎ足りない様子のエルフの娘が言った。

「ああ、あいつのことなら、大丈夫よ。あの旅の時から、相変わらずね。せっかくなんだし、もう少し遊んでいきましょう」

 少女はキョトンと不思議そうにエルフの娘の顔を見やった。

 少し離れた木の影で、湖に背を向けてふうと一息ついている老師の姿があった。老師はエルフの娘の不穏な笑みを見逃さず、素早く湖から離れていた。

「やれやれ、変わってないものだ」

 老師は空を見上げ、森の風に乗って流れてくる二人の少女のはしゃぎ声をため息混じりに聞いていた。


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