廃月と罪少女

生來 哲学

最悪娘と底辺男

 底辺だ。

 空に浮かぶ銀の輪に囲われた蒼星を見上げながら私は呟く。

 ここは底辺だ。

 世界のもっとも高い場所にある最悪の底辺。

 人類の最終廃棄地点――廃月<トラッシュムーン>である。

 地球にあるべきではないありとあらゆる廃棄物の投棄されしもっとも高価でもっとも高い場所にある最悪の最終到達点。

 息を吸うと血の匂いと淀んだ空気が口の中に広がり、より気分を最悪にさせる。

 人類は宇宙進出の夢を廃棄した。

 真空という名の荒野に屈し、宇宙を拡張することよりも仮想空間の拡張へ舵を切った。

 故にここ――月面都市群はかつて宇宙を志した人類の夢の残骸である。

 空に浮かぶ銀環の蒼い星を見上げながら私はぼやく。

「地球。きっといいところなんだろうなぁ」




最悪娘と底辺男




 私は地球に行ったことはない。

 この月面都市で働く両親の元で生まれた生粋の月面人だ。

 生まれた時からあの蒼い星を見上げて生きてきた。

 あるいはまともに生きていればいつか一回くらいは観光で行けたかも知れない。

 だが、その夢ももう叶わないだろう。

 周囲に転がる幾つもの死体と血だまりを見下ろしながら私は改めて呟く。

「……底辺だ」

 両親が死んだのは二週間前。

 まだ十五才の私はそれだけで将来どうなるのかまったく分からない状態だった。

 両親の死の真相を知ったのが二日前。

 憎悪と共にこの世界を燃やし尽くしてやろうと思った。

 そして死に関わった主立った悪党をぶち殺したのが数分前。

「……煙草でも吸いたい気分」

 空調規制の厳しい月面育ちの私は吸ったことはないが、何度か映画で見たことがある。

 心が空っぽになった時、ひとまずは煙草でも吸って気分を落ち着けるといい……なんてことを渋い中年刑事が言っていた気がする。

「まあでも、その刑事はガキは煙草なんて吸うな、て言ってた気もするな」

 ――すべては。

 すべてはどうでもよくなっていた。

 この腐れ切った月面都市群にも一応警察機構はある。

 数日前に親を殺された小娘を逮捕することくらい月面警察ならば造作もないことだろう。政治家と繋がっている悪党を捕まえることは出来なくても、だ。

「…………」

 思考が空転する。

 血の匂いと死体の山に囲まれながら、途方に暮れる。

 毒ガスを使ったのは正解だった。

 月面都市は空気が命。故にどの建物も密閉性・隔離性が高い。だから空調をハッキングして毒ガスをばらまけば、すぐにガスが充満する。条約で禁止されてるだけあって効果は抜群だ。

 後は動けなくなった悪党どもを一人一人この手で刺して。刺して。刺して。刺した。たぶん、殺しただろう。面倒になったので確認はしていない。工事現場から盗んだビームカッターで腹をえぐられて生きてるはずがないだろう。

 やってる時はなんとも思わなかったが、今になって思うと少し快感だったかもしれない。

「いや、それは思い出補正ってやつね」

 早くも脳が過ぎ去った嫌な思い出を美化しようとしている。残念ながら嫌なことは今現在も進行中だ。

 ――問題はこれからどうするべきかだ。

 毒ガスはすべて排出した。

 部屋で動くものは他にいない。

 なら後はこの部屋を出て行くだけなのだが――、

 ――何処に行けばいいのだろう?

 やるべきことをすべて終えてしまった。

 もうどこにもいけない。なにもすることがない。

 いっそ、自分も毒ガスを吸って死ぬべきだったかもしれない。

「ういーすっ」

 思考の空白に割って入るようにがちゃり、と部屋の扉が開かれた。

 現れたのはうだつの上がらなさそうな無精ひげの中年男性。

「……ひぇっ!」

 中年男性は死体と血にまみれた部屋をみて悲鳴をあげ――そして私を見た。

 死体達の中で佇む、血まみれの私を。

「こんばんわ、冴えないおじさん」

 怯えた目をしてその場で凍り付く中年男性があまりにもおかしくて思わず声をかけてしまった。

 おじさんの背後でバタン、と扉が閉まる。おじさんはすぐさま外に出ようとしたが扉は開かない。

 ――中から出られないようにハッキングしてたけど、外からのロックは忘れてたみたい。

 今更ながら自分の計画の穴に気づいたがもうどうでもいい。なにせ目的は達成した後だからだ。

 おじさんは何度か脱出を試みるが、やがて諦めてこちらを見つめてきた。

「……冴えないは余計、だ、ろ。その、俺はまだおじさん、じゃ、ない」

 声を震わせながら、おじさんは自己否定をしてきた。

 思わず眉をひそめる。十五の私からすればひげが生えてるやつは全員おじさんだ。たとえ十代であっても、だ。

 小首を傾げる私にびくりとおじさんは震える。

「……俺をどうする気だ」

 思わずきょとん、としたがすぐさま理解して思わずくすくすと笑う。

「ああ、そうだね。目撃者は殺さないと――」

「ひぃ」

「――いけないかなぁ」

 私の発言一つ一つに壊れた人形みたいに反応するのが面白い。

 脅しも兼ねてけん制に隠し持っていたナイフをひょいと投げる。

 ――あ。

 慣れないことをするもんじゃない。相手の顔の横をかすめたらいいなぁ、くらいで投げたナイフが何故か相手の眉間へと一直線に飛んでいく。

 ――あらら、こりゃ死んじゃったかな。

「あひぃっ」

 悪運が強いのか無精ひげおじさんは尻餅をつき、間一髪で飛来するナイフを回避した。

「へぇ、今のを避けるんだ。まあ、本気で投げてないけど」

 ――当たるつもりでも投げてなかったけど。

「でも、尻餅をついたら次は逃げられないね」

 適当にそれっぽいことを言ってけん制する。実はもうナイフを持ってないのだが、おじさんの顔がさぁっと青くなるのが面白かった。顔がにやけるのを抑えられない。

「分かった!」

 私の笑顔に何かを察したのか右手で待ったのジェスチャーをしながらおじさんが叫ぶ。

「見なかったことにしよう」

「ふうん?」

 一瞬、意味が分からずきょとんとする。

「なんで?」

「キミも察してるかもしれないが、俺は刑事だ。この場に居たことが公になれば、マフィアとの癒着がバレてまずい。

 俺も、キミも、この場にいなかった。それでいいじゃないか」

 ――あ、刑事だったんだ。

「……別にここでおじさんを殺しても一緒じゃない?」

「俺が困るんだよ! あと俺はおじさんじゃない! 28だ!」

 私は再び小首を傾げた。おじさんからは視線を外さないまま。

「やっぱりおじさんでしょ」

「……くっ」

「何が、くっ、だよ。まあいいや」

 私はつかつかとおじさんに向かって歩く。間に三つほどの死体を踏みつけながら、七歩ほどで彼の鼻先に銃を突きつけた。

「ナイフ使いじゃなかったのか」

「銃の方が好き」

「何故近づいた?」

「今度は避けられないためよ」

 おじさんの顔がぐにゃりと歪んだ。

「なんでもする」

「は?」

 真意を問いただすよりも早くがばっとその場に土下座し、おじさんが叫ぶ。

「なんでもする。だから、命だけは! 命だけは助けて欲しい!」

「うわぁ、みっともない」

「みっともなかったらダメか!」

「ダメかも知れない」

 引き金を引いた。

 銃声はなく、ただおじさん刑事の指先の数センチ横をジィッと熱光線が灼く。おじさんはひぃっという悲鳴とともに跳ねた。

「今のでおじさんは死んだ」

「……じゃあ?」

 更に私は引き金を引いた。

 顔を上げたおじさんの頬の横を熱光線が通過し、背後の壁に焦げ目を造る。

「これで二回死んだ」

 おじさん刑事の顔がくしゃりと潰れた。

 ――楽しい。

「あと何回殺そうかなー?」

「ああもう、いたぶるくらいならとっとと殺してくれ」

「あ、もういいんだ?」

「嘘です。もう勘弁してください」

「決定権はおじさんにないでしょ?」

「おっしゃる通りで!」

 ――わぁい、いい返事。

「じゃ、これから私の下僕として忠誠を誓う?」

「へ?」

 私は銃の引き金に指をかける。

「誓います。全然誓います! おじさんは貴女の下僕です。わんわんわわんっわんわんわわんっ!」

 ――うわぁ、面白いなこの人。

 これはよい下僕を手に入れたかも知れない。そんなことを思いながら私は銃口を彼から逸らした。

 一応飛びかかってくることも警戒したが、おじさん刑事は行儀よく「待て」の状態で私の声を待つ。

「ひとまずシャワーを用意して。後は隠れるトコと、食事を」

「マジっすか」

 銃口をついと向ける。

「返事は?」

「わんっ」

「よろしい。素直な犬はもう少しだけ生きててもいい」

 ――まあ追い詰められてるのは私の方なんだけど。

 行き当たりばったりの極みだ。この際なのでこのおじさん刑事を最大限に利用するしかない。

 ――ちょっと面白くなってきた。

 くすくすと笑う私とは裏腹に冴えないおじさん刑事がこの世の終わりみたいな顔して肩を落とした。

「……底辺だね」

 思わず呟く。

「へ?」

「おじさん、底辺だよ」

 何を言われたのか分からずおじさん刑事は少し考えてた後、静かに吠えた。

「……わん」

「あははははははははははっ」

 あまりにも情けないおじさんの姿に思わず腹を抱えて笑う。

 底辺だ。

 この私よりも、少なくとも一人は底辺のヤツがいる。

 そう思うだけで無限に力がわき出てくるのを感じた。

 生きる意欲がわいてくる。

「それじゃ、おじさんの市民IDでホテルを予約して。移動するよ。おじさんのアリバイは、今日はもぐりの女を買ってホテルで一夜明かしたってことで。もちろん、もぐりの女だから連絡先を聞いてないけどね」

 口早に命令すると共に私は部屋のハッキングを解除して外に出る。

 血の匂いが薄れ、新鮮な空気が鼻をくすぐった。

 これから先、どうなるか何も分からない。

 だが、もう少しだけ生きようと思った。

 少なくとも、私はまだちょっとだけ底辺ではないのだから。



つづく

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