第二章
第59話 切り裂く闇⑤
「クソッ! クソッ!」
ブランディーヌが腕を組みイスに座ったまま、まるで地団駄を踏むように床を蹴る。彼女は、ここ最近ずっとイライラしていた。
その原因はいくつかある。
レベル7ダンジョン『女王アリの尖兵』へ挑戦して、無様に敗退したこと。
いつまで経っても彼らのパーティ『切り裂く闇』へのパーティ参加希望者が現れないこと。
周りの冒険者たちが、自分たちを嘲笑っているように感じること。
それらが代わる代わるブランディーヌの神経を逆撫でているのだ。
「クソッ!」
地団駄では収まらず、ついにブランディーヌがテーブルの脚を蹴った。ガタッと大きな円卓が揺れ、円卓の上に置かれた酒の入ったグラスが揺れる。グラスの中に入った琥珀色の酒が波打ち、ちゃぽんと音を立てた。
淑女を自任するブランディーヌには、珍しいほどの口汚さと、素行の悪さだ。普段通りのお嬢様言葉で取り繕う余裕さえないほどに、彼女が追い詰められていることの証左かもしれない。
「まぁまぁ、落ち着かれよ」
ブランディーヌの向かいに座った巨漢の青年、セドリックがブランディーヌをなだめるように声を上げ、ズレてしまった円卓の位置を直した。
「その通り、怒りは容易く目を曇らせる。先日の教会での一件を思い出されよ」
次に声を上げたのは、筋肉でピチピチに盛り上がった修道服を着た偉丈夫だ。グラシアン。その修道服が示す通り、彼は教会の人間である。教会の壁をぶち破る騒ぎを起こしたブランディーヌには、若干の苦いものを感じていた。
しかし、怒りは容易く目を曇らせると言うが、現在進行形でありえない夢想に目を眩ませている彼らの口からそんな言葉が出るのは、滑稽以外の何物でもない。
夢想。
彼らは、未だに自分たちが英雄になる夢を見ている途中なのだ。功績や、それに伴う称賛に飢えている彼らには、その甘美な夢を振り切ることは難しいようだ。
「チッ! 分かってるわよ。うるさいわね」
「………」
仲間であるはずのパーティメンバーにまで毒づくブランディーヌ。こんな幼稚な者が、自分を含めて五人もの命を左右する存在かと思うと、眩暈を感じることだろう。
「ブランディーヌ。気持ちは分かるけど、人や物に当たるのは止めなよ」
「チッ!」
パーティの参謀役を自任するクロードの言葉に、ブランディーヌの舌打ちが飛ぶ。クロードは、予想していたとばかりに軽く肩をすくめてみせた。その様子もブランディーヌのイライラを増幅させる。
「でよ? 問題はこれからどうするかだろ? どうするんだリーダー? まーたレベル7ダンジョンに潜るのは、御免だぜ?」
意外にも、建設的な意見を出したのは、『切り裂く闇』の中でも最も軽薄そうな男だった。ジョルジュ。黒いぶかぶかの服に身を包んだ男。イスの上で膝を立てて座っており、病的なまでに細い手足は、今は服の中に隠れている。
ここは、王都の大通りに面した豪華な屋敷の一室。彼ら『切り裂く闇』は、アベルをパーティから追い出した記念に屋敷を購入し、パーティの拠点としていた。
この冒険者の聖地とまで呼ばれる王都で、頭角を現した高レベル冒険者パーティとしての自負が、ブランディーヌたちにはあった。
アベルには、もっと質素な家にするべきと反対されていたが、質素な家では『切り裂く闇』の威光を世に示すことができない。ブランディーヌたちは、唯一反対意見を述べていたアベルを追い出し、その次の日には、少し無理をしてこの屋敷を購入したのだった。ブランディーヌたちは大いに満足したが、全ては彼女たちの見栄のために過ぎない。
しかし、その虚飾が今、ブランディーヌたち『切り裂く闇』を困窮へと追いやっていた。
全ての原因は、レベル7ダンジョン『女王アリの尖兵』の攻略に失敗したからだ。
ブランディーヌたちは、パーティの誰もが『女王アリの尖兵』の攻略の成功を疑っていなかった。今まで、ダンジョンの攻略に失敗したことがないが故の慢心だった。
ブランディーヌたちは、『女王アリの尖兵』の攻略で得られる富を所与のものとして考えていたのだ。完全に、捕らぬ狸の皮算用である。
だが、現実は彼女たちの夢想とはかけ離れていた。
『女王アリの尖兵』の攻略に失敗。それどころか大怪我を負い、教会での治療で多額の出費を余儀なくされてしまった。屋敷の購入にも費用がかかった上でのこの出費。大きな出費が重なり、彼女たちが6年の冒険者生活で築き上げた資金も枯渇していた。
もうとっくに後がない状態。今後どうするべきか、今まさに将来を左右する話し合いの場が開かれていた。
「分かっていますわ。わたくしも、レベル7ダンジョンの攻略は……今はまだ難しいと判断します。今はまだ……」
今はまだ。顔に悔しさを滲ませて、そう強調するブランディーヌ。彼女の中で、まだ『女王アリの尖兵』の攻略失敗は、受け入れられていないのかもしれない。
「じゃあどうする?」
「……レベル5に行っとく……か?」
「「「ッ!」」」
ジョルジュの口にしたレベル5という言葉。それは、ブランディーヌたちにとって禁忌だ。嫌でもアベルの最後の忠告を思い出してしまう。
「レベル5になんか行けるわけないでしょうッ!」
濃い紫の髪を振り乱して、ブランディーヌが絶叫する。紫に塗られた唇の端が切れれ、赤い血が滲むほどの全力の叫びだ。
ブランディーヌたちは、アベルを追放する際、少しでもアベルを貶めようと、大勢の冒険者の前で追放した。当然、アベルの最後の忠告も、大勢の冒険者が耳にしたことだろう。
そんな中で、レベル5のダンジョンを攻略するというのは、アベルの言い分を認めることに等しい。万座の中で恥をかくことになる。栄えある冒険者パーティ『切り裂く闇』に、そんなことは許されない。
「次は、レベル6のダンジョンを攻略します。これは決定事項です!」
ブランディーヌは、追い詰められた状態でも、意地でもレベル6のダンジョン攻略に拘った。そして、それに賛同するように『切り裂く闇』のメンバーも首を大きく縦に振る。
だが、彼女たちの胸の中には、不安も芽生えつつあった。あのアベルが、わざわざ最後の忠告としてレベル5のダンジョンを挙げたのだ。自分たちには、レベル5のダンジョンが相応しく、レベル6のダンジョンの攻略は難しいのではないか。
そんな不安から目を逸らし、ブランディーヌたちの会議は進んでいく。
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