第57話 鍋②

「あじゃぱー……」


 自分でも意味の分からない謎の言語を口から零しつつ、オレは王都の大通りを歩いていく。視界が少しゆらゆらと揺れているが、オレは自分が酔っ払っていることを自覚していた。つまり、正常な自己判断ができている。完璧でパーフェクトだ。にゃおーん!


 路地から顔を出す太々しい顔の野良猫に挨拶し、オレは好い気分で街を練り歩く。


 あの後、オレは冒険者ギルドでオディロンと酒を飲みながら情報交換をしたのだが、いやぁー……判断をミスったな。


 オディロンは、その立派なヒゲ面の見た目通り、ドワーフの血を引くハーフドワーフだ。カパカパ杯を空けるザルなオディロンに感化されて、つい呑み過ぎてしまったのだ。


 複雑で、しかしまろやかな舌触りと苦いアルコールの味。ポッと熱くなる舌と喉。鼻に抜ける燻製のような香ばしい香り。ドワーフの職人謹製の火酒は、たった3杯でオレを酔わせてくれた。


 悪酔いはしないらしいし、お値段はするが、酔いたい時にはもってこいの酒だろう。呑む量も少なくて済むし、逆にリーズナブルかもしれない。


 オディロンには、まだまだ付き合えと言われたが、オレはオディロンに断りを入れると、冒険者ギルドを出ていた。これからマルシェで飯を買って、姉貴の家にお邪魔するつもりなのだ。


 相手が誰であろうと、オレの家族との逢瀬の邪魔はさせないぜ。


 今回、長い間クロエと共にダンジョンに潜っていたからな。姉貴も寂しがっているだろう。そうじゃなくても心配性な姉貴のことだ。オレたちが怪我していないか、毎日心配していたに違いない。


 姉貴には、悪いことをしている自覚がある。だから、早く帰って無事な顔を見せて安心させてやりたい。


「るーるる、るるるるーるる」


 ご機嫌に鼻歌を響かせて、オレは目的地へと到着した。


「安いよ安いよー」

「旦那! よかったらどうです? ウチは品ぞろえが……」

「寄ってらっしゃい見てらっしゃい」

「ちょいと奥さん見てってちょうだい」

「らっしゃい、らっしゃい。夕食のおかずにどうだい?」


 もう日が暮れているというのに、この場所は明るく、活気に満ちているな。丁度、仕事帰りの連中と、これから夜の仕事に出る連中で賑わっているのだろう。


 いつもはそんなこと感じないのに、こうも明るいと、なんだかオレまで楽しくなってくるな。


 オレも光の市場に繰り出そうとした時、ハタと気が付く。


「やべぇな。また籠、忘れちった……」


 また姉貴に呆れられちまうが、まぁ籠なんてのは、はした金で買えるからな。大丈夫だろう。姉貴もご近所さんに籠を配って評判がいいらしいし、一石二鳥だな。


 オレは自分でもよく分からない理論を展開しつつ、マルシェの騒ぎの中に入っていった。



 ◇



「ちょわーっす」


 オレはテンションも高く姉貴の家に突撃する。勢いよくドアを開けば、目隠しのために垂れ下がった荒く安っぽい布がオレを出迎えた。


 なんだか勢いがそがれたものの、オレは布を手で弾き上げて家の中へと入っていく。布の向こうは、すぐにキッチン兼リビングだ。姉貴は竈の前で腕を組んでいるところだった。何をしているんだ?


 姉貴はオレの来訪に気が付くと、振り返ってホッと安堵したような笑みを見せる。姉貴の姿を見て、ホッとしたのはオレも同じだ。なにせ、14日も姉貴を独りにしちまったからな。


 オレは一度ダンジョン攻略に出れば、それ以上に日数がかかることがあるから慣れている。だが、いつもクロエと一緒に生活していた姉貴にとっては慣れない日々だっただろう。気の強い方の姉だが、孤独を感じた夜もあるだろう。まったく、オレもクロエも姉貴泣かせだな。反省しねぇと。


「おかえりなさい、アベル。あんたも来たのね」

「おう! 一応、顔見せにな」


 オレはそれだけ言うと、テーブルに三つ並べられたイスの一つに座る。


 姉貴はいつも、オレが来ると「おかえりなさい」と迎えてくれる。イスも三つ常備されているし、こういう細かいところで、姉貴に家族として迎え入れられている実感が湧いて、オレは心が温かくなる。


 姉貴に再会できてハッピーなオレだが、クロエの姿が見えないことが寂しく思えた。


「クロエはどうしたんだ? 先に帰したはずだが……」

「あの子なら寝てるわ。帰ってきた途端に寝ちゃって……。かなり疲れていたみたいだけど、無茶はしてないでしょうね?」


 姉貴が両手を腰に当てて、オレを睨み付けるように怖い顔をしてみせた。オレが幼い頃から見てきた、お説教モードの姉貴の顔だ。


 そんな姉貴に、オレは即座に両手を小さく上げて無条件降伏する。


「いやいやいや、そんなことしてねぇーって! クロエたちには体力が足らねぇから、そりゃ少しは負荷をかけたけどよ? 断じて無茶なんてしてねーって!」

「ならいいけど……。まったく、男の子と女の子じゃ体力が違うんだから、ちゃんと気を付けるのよ?」

「へいへい……」


 まさに、その男女の違いに悩ませられることがいくつもあったオレにとって、姉貴の言葉は耳に痛い。


 オレは、真っ黒な収納空間からマルシェで買った籠と鍋を取り出して、話題を変えることにした。


「それよりも飯にしようぜ? 今日は美味そうな羊肉の赤ワイン煮込みを見つけてよ……」

「あんた、また籠を忘れたでしょ? 便利なギフトがあるんだから、籠も入れておけばいいじゃない? それに、また鍋ごと料理を買ってきて……」

「いいじゃねぇか。細けぇことはよ」

「いい? こういう細かいところから、節約の道が始まるのよ? あんたも、お金に胡坐をかくようなマネは止めなさい」


 こっちの話題も藪蛇だったか……。オレはしばらく姉貴のお小言に付き合う羽目になるのだった。

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