第53話 切り裂く闇④
「「「「「………」」」」」
王都。教会の一室。王都の喧騒から離れた静かな真っ白の病室の中には、まるで鉛でも流し込んだかのような重たい空気が流れていた。
室内に居る者は、いずれも汚れた武具に身を包み、深くうなだれている。ブランディーヌ率いる『切り裂く闇』の面々だ。
彼女たちの姿は、まるで敗残兵のようにボロボロだった。
敗残兵という表現は、これ以上ない適切な表現かもしれない。彼らは、レベル7ダンジョン『女王アリの尖兵』から、命からがら逃げ伸びてきたのだ。
そんな土や血に汚れたボロボロの見た目の彼女たちだが、彼女たち自身は無傷の健康体だ。ここ、王都の教会で、高額な費用と引き換えに、傷を癒してもらったからである。
しかし、優れた治癒の奇跡をもってしても、彼女たちの心までは癒せなかったらしい。
「敗退か……」
濃い緑髪を生やした巨漢、セドリックが苦々しく零す。彼は、『切り裂く闇』でタンクを任されている。敵の攻撃を一身に受ける彼は、自身の、そしてパーティの力不足を誰よりも感じた一人だろう。
「拙僧は、皆が撤退できただけでも御の字と考える」
岩を転がしたような低い声が病室に響く。筋肉に盛り上がったパツパツの修道服を着た巌のような男。グラシアンだ。彼はパーティの生命線たる治癒の奇跡の使い手である。今回、『切り裂く闇』のメンバーが欠けることなく王都まで撤退できたのは、彼の力によるところが大きい。
しかし、そんなグラシアンの力をもってしても、全員が五体満足のまま撤退することは叶わなかった。彼も教会では上位の治癒の奇跡の体現者だが、人体の欠損を治癒できるほどの力は無かったのだ。
それ故に、『切り裂く闇』の面々は、王都の教会の世話になっている。
そのことを口惜しく思いながら、グラシアンが口を開く。
「それにしても、ブランディーヌ嬢の撤退時の指示は、芸術的ですらあった。おかげで拙僧たちは、こうして命をつないでいる。まっこと頼もしい限りである」
普段、口数の少ないグラシアンが、敢えて明るい調子で言葉を紡いだ。この沈んだ空気を換えようとしているのだろう。
「そうだね。さすがは僕たちのリーダーだ」
「あぁ、あんたになら、俺は一生ついていけるぜ。今すぐ抱いてやってもいいくらいだ」
「てめぇ! どさくさに紛れて何言ってやがる! だが、ブランディーヌのおかげで助かったのは事実だ」
クロードが、ジョルジュが、セドリックが、口々に明るい調子でブランディーヌを褒め称えた。彼らにとってブランディーヌは、自分たちを絶望の淵から救い上げてくれた命の恩人なのだ。
しかし、当のブランディーヌ本人は、俯いたまま苦虫を嚙み潰したような顔を浮かべている。彼女にとって、皆から絶賛される撤退時の指示は、過去のアベルの忠告をなぞっただけに過ぎない。
ブランディーヌの中で、アベルへの敗北感が積もっていく。
「あれは……」
全てアベルに習ったこと。
しかし、未だ心の奥底で燻るアベルへの侮蔑と反抗心からか、ブランディーヌには、その一言が口に出せなかった。
ブランディーヌをはじめ、『切り裂く闇』の面々にとって、アベルとは、パーティの寄生虫であり、冒険者ギルドに巣くう巨悪だ。そうでなくてはならない。
そんなアベルのことを少しでも正しいと認めてしまえば、ドミノ倒しのようにアベルの主張が全て正しいことになり、自分たちの主張が、夢が、間違いであったことが突き付けられてしまうような気がしたのだ。
今更、そんなことは認められなかった。
暗い顔で黙ってしまったブランディーヌ。『切り裂く闇』の面々は、ブランディーヌがダンジョン攻略失敗の責任を感じているのだと思った。
ブランディーヌを除くメンバーにとっても、今回の失敗はさすがに堪えていた。あとほんの少しでも間違えば、自分たちが死んでいたかもしれないだから当然である。
しかし、いつも文句や恨み言の捌け口なっていたアベルはもう居ない。
彼らは、ダンジョン攻略失敗の鬱憤を晴らすことができずに悶々とすることを余儀なくされていた。彼らにも、仲間であるブランディーヌに不条理に当たらないだけの、ほんの僅かながらの良識はあったのだ。
だが、なにかあればすぐにアベルに当たり散らし、溜飲を下げることに慣れ過ぎていた彼らは、ここで留まるということを知らなかった。
「まったく、今回はアベルにしてやられてしまったね」
そんな言葉を吐いたのは、青い豪奢なローブを着た魔法使い。クロードだった。彼は、その無駄によく回る頭で、今回の失敗の原因をアベルに擦り付けることを思い付く。
パーティ内に溝を作らず、外側に敵を作って、パーティの仲をより強固なものにしようというのだ。
「アベルにしてやられた……どういうこと?」
それに飛び付いたのは、他ならない『切り裂く闇』のリーダー。ブランディーヌであった。
「思い出してごらんよ、ブランディーヌ。僕たちがレベル7のダンジョンを攻略することに決めたのは、アベルのクソ野郎が煽ったからだ」
『最後に一つ。次にダンジョンに行くなら、レベル5のダンジョンに行くといい。そこで自分たちの実力を確認しておけ』
ブランディーヌたちの脳裏によみがえるのは、アベルの最後の忠告だった。
普通なら、なんの不思議もない、ただの忠告。しかし、ブランディーヌたちにとっては、自分たちの実力を下に見るアベルの気に入らない挑発文だった。
「あの挑発があったから、僕たちは自分たちの実力を示そうと、レベル7ダンジョンへの挑戦を決めた。……そう、僕たちはアベルのクソ野郎に、気付かない内に誘導されていたんだ」
「ッ!?」
クロードの穴だらけの穿った言葉は、しかし、ブランディーヌの心をがっちりと掴んだ。彼女は、夢が覚めて押し寄せた認めたくない事実を前に、立ち往生したまま進めないでいたのだ。そんな彼女にとって、ジェラルドの抜け道ともいえる理論は、また彼女を夢の中へと誘う補助輪となってしまった。
ブランディーヌが、アベルの正しさを認めかけていたことも、それに拍車をかけた。
アベルのことを、ただの能無しから、実は自分たち以上に有能なのかもしれないと気付き始めていたブランディーヌ。彼女にとって、アベルが自分たちを罠に嵌めるほどに狡猾だったというクロードの考えは、とてもしっくりときたのだ。
そして、ブランディーヌたちは、自分たちが決定的にアベルに恨まれているという自覚があった。その自覚が、アベルが自分たちを罠に嵌めることを、とても自然なことだと錯覚させた。
この考えならば、アベルの評価を上方修正しつつも、自分たちの評価を下げずに済む。これまで通りアベルを憎み、自分たちが正義を成す立場で居られる。
自分たちが英雄になるという甘美な夢が、再びブランディーヌたちの脳を甘く侵していく。
「そういうことね……ッ!」
ブランディーヌは迷いの晴れた顔に憤怒の表情を浮かべて立ち上がる。
そして、背中に背負った大剣を右腕で引き抜くと、病室の壁に叩きつけた。
ガゴンッと大音が響き、大剣を打ち付けられた病室の壁が砕け跳ぶ。その様子を不機嫌そうに眺め、辺りが騒がしくなる中、クロヴィスは『切り裂く闇』の仲間へと振り返った。
「皆! すみませんね! 今回は、アベルにしてやられたようですわ。この借りは、いずれアベルの野郎を追い落とすことで返してもらいましょう! わたくしたちが冒険者共の、冒険者ギルドの奴らの目を覚ますのです!」
「「「「おう!」」」」
かくして、ブランディーヌたちの虚構だらけの妄想は続いていく。アベルへの恨みを高めながら……。
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