第20話 浮気者?

「浮気者ぉおッ!!!」


 クロエが、オレにはまったく身に覚えのない言いがかりと共に拳を握るのが見えた。その直後―――ッ!


 ドドンッ!


 リズミカルに腹の底にまで響く重い衝撃が走る。一発目は腹の中央やや左。正確に肝臓を抉るような一打。二発目は腹の中央鳩尾への一打。両打とも、狙いすましたように正確に急所を捉えている。


「ぐふぉあっ……」


 口から空気と共に意味を成さない言葉が漏れた。自然と体がくの字に折れ、遅れて腹部への衝撃が電気信号となって脳を刺激し、ようやくオレは腹部へのダメージの重篤さを知ることになる。すなわち、痛みだ。


「ぐふっ……」


 痛みにはある程度慣れているはずのオレが、堪えきれずに息が漏れ、膝から崩れ落ちるほどの強烈な痛み。今まで味わったことのない種類の痛みだ。体の内側をじりじりと破いていくような痛みと、腹が爆発したんじゃないかと錯覚するような痛み。二種類の痛みがオレを苛む。


 地面に膝を着いて、腹を両手で抱えた状態で痛みに耐える。自然と頭が垂れ、まるでクロエに傅いているかのようだ。


 本当なら、痛みに任せて地面を転げ回ってしまいたい。しかし、そんなことをしても意味が無いし、クロエたちの前だ。格好悪い姿は見せられない。……膝を着いている時点で相当情けないかもしれないがな。これ以上の醜態はさらせない。


 オレは顔を上げて、オレをいきなり殴ってきたクロエを見上げる。膝を着いたオレは、丁度クロエの顔を真正面に捉えた。


 クロエは……一瞬だけ心配そうな顔を見せたが、次の瞬間には「ふんっ!」とオレから顔を逸らした。まるで「私は怒っています」と言外に言っているみたいだ。


「いヒィッい……拳、持って……る、じゃ……ねぇか……ヒィッ」


 横隔膜が痙攣して、上手く呼吸することができず、まともに言葉が紡げない中、それでもなんとか強がって口を動かす。


 いつもは気にもならないチェインメイルのジャラリとした重さが、やけに重たく感じた。


 打撃にはあまり耐性が無いチェインメイルとはいえ、鎧の上からこれほどダメージを与えられるは……まったくの想定外だった。全身からぬるりとした脂汗が出て止まらない。


「なんだい、浮気野郎だったのかい」

「お嬢ちゃん気を付けなよ」

「やーねー、男ってのはこれだから……」


 オレは浮気なんてしていない。というか、交際している相手すら居ない。なのに、なぜ浮気者などと言われなくちゃならんのだ。訳が分からない。どうしてこんなことになっちまったんだ?


 奥様方の言葉に反論することもできず、オレはただただ痛みが引くのを耐えて待つのだった。



 ◇



「あだだ……」


 未だにシクシクと痛む腹を摩りながら、オレは王都の大通りを進み、冒険者ギルドを目指す。道の中央をいくつもの馬車が行きかい、道の端には屋台がずらりと軒を連ねているのが見える。人手も多く、時折人にぶつかりそうになるくらいだ。屋台の店主たちが客を呼ぶ声や、値引き交渉している客の声が混然と混じり合い、ガヤガヤと意味の聴き取れない音となって耳に届く。


 王都は今日も賑わっているな。景気がいいのは良いことだ。


 あの後、ようやく横隔膜の痙攣が治まったオレは、最後のパーティメンバーであるリディという少女と挨拶を交わした。だが……。


「待たせたな、アベルだ。これからよろしく頼む」

「………」

「リディ、ちゃんと握手なさい」

「……んっ」


 リディと呼ばれた少女は、イザベルに促されてやっとオレの手を取った。しかし、その体は半分以上イザベルの後ろに隠れ、まだ心を開いていないことが一目で分かる。その他の女の子と比べても群を抜いて小さな身長から、まるで警戒している小動物を想起させた。


 リディ。尻まで届く長いキラキラとした銀髪をした少女だ。前髪も目元を隠しているほど長い。僅かな前髪の切れ目からは、警戒に満ちた大きな紅の瞳を覗かせていた。


 握った手も小さく、下手に握ったら握り潰してしまいそうなほど柔らかい。


 本当に成人しているのか疑わしいほど小さな体だ。その小さな体を、白地に青のラインが入ったぶかぶかの教会の修道服が包んでいる。おそらく、丁度いいサイズが無かったんだろう。だが、修道服を着ているということは、リディは神の奇跡の体現者とも呼ばれることもある治癒の奇跡の担い手であることが分かる。


 ギフトが貰えるってことは、本人が成人していることを神が保証しているに等しい。どう見ても成人しているようには見えないが、あまりツッコミを入れると、逆に神を信じていないのかと藪蛇になりかねないか……。


 そんなことを思いながら、オレはリディの手を開放し、握手を終えた。すると、リディはサッとイザベルの後ろに隠れてしまう。これにはオレも苦笑いしか出ない。


「リディ、それでは失礼でしょう? ちゃんとしなさい」

「ゃー……」


 イザベルが窘めてもリディは姿を見せなかった。


「ごめんなさいね」

「いや、いいさ。今日初めて会ったばかりだからな。それですぐに信頼しろなんて難しいことは分かってる。まぁ、ぼちぼちやっていくさ」


 リディの代わりに謝るイザベルに手を振って返す。


 いつか、オレにも心を開いてくれるといいんだが……。

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