第19話 パチパチ
「「「「「「おぉー……!」」」」」」
パチパチパチパチパチパチパチパチッ!
気が付いたら、井戸の周りで洗濯していた奥様方が、オレを見てどよめいたような歓声を上げていた。拍手までしている奴もいる。広場と云っても、真ん中に井戸があるだけの集合住宅に囲まれた狭い広場だ。耳をすまさななくてもオレたちの会話なんて丸聞こえだったんだろうが……なんでこんなに注目されてるんだ?
「あんた、やるじゃないか」
おばちゃんと言ってもいいだろう年齢の女が、イイネとばかりにオレに親指を立ててみせる。何言ってるんだ、このおばちゃん?
「ありゃどこの誰と誰だい?」
「1人は冒険者さんみたいだけど、もう1人は……」
「ボロ着てるし、教会の子じゃないかい?」
「そうかもねぇ。でも綺麗な子じゃないか」
「あんなに綺麗なら、どっかの大店の旦那のお妾さんになった方がいいんじゃなぁい? 年も離れてるし、冒険者なんて、いつおっ死んじまうか分からないし……」
「でも見て。あの冒険者さん、地味な格好だけど仕立ての良い服着てるじゃないか。羽振りがいいんじゃない?」
「迷いどころねぇ……。あのお嬢ちゃんはどうするのかしら?」
「お嬢ちゃん、女は度胸よ!」
井戸の周りに居る奥様方が、洗濯している手を止めずに、ガヤガヤと勝手に喋っている。その目はオレとイザベルの間を行ったり来たりしていた。オレたちのことを囃し立てているみたいだが、奥様方の話を聞いていると、なんだか話が見えてこない。オレはイザベルに謝罪しているだけなのだが……妾? 羽振り? どうしてそんな言葉が出てくるんだ? 訳が分からない。
イザベルも困惑しているのか、困ったような顔で奥様方とオレを交互に見ている。その顔は、だんだんと赤みが増していき、もうこれ以上ないくらい真っ赤だ。よく見ると、目尻に今にも溢れてしまいそうなほど涙が溜まっているのが分かる。
奥様方の噂の標的にされて恥ずかしいのか、それとも泣くほどオレに対して怒りを感じているのか……。判断が付かないな。
イザベルの顔色を窺っていると、ふとイザベルの虹の瞳と目が合った。イザベルは目を見開き、これ以上ないと思われていた頬の赤みを更に加速させる。その口はなにか言葉を紡ごうとして開かれ、しかし言葉にならず、わなわなと震えている。
どれほどイザベルと見つめ合っただろう。先に目を逸らしたのは、イザベルだった。オレの視線から逃れるように、バッと下を向いて俯いてしまう。
イザベルは強気な少女かと思っていたんだが……その姿は、まるで先程までと違う。とてもしおらしい乙女に見えた。もしかすると、今までの強気な態度は虚勢で、これが本来の彼女の姿なのかもしれないな。
「叔父さん……」
頭の中でイザベルの評価を改めていると、地を這うようなクロエの声が聞こえてきた。驚いてイザベルから視線を外しクロエを見ると、まるで曇りガラスのように光の無い無機質な黒い瞳と目が合う。喜怒哀楽、情というものが窺えない仮面のような、生気をまるで感じさせない表情。なんだか本能的な恐怖を感じる姿だ。
「クロエ……?」
不安になって呼びかけると、ミシミシと音が聞こえてきそうなほどゆっくりとクロエの表情が変わっていく。眉を寄せて現れるのは、怒と哀の表情だ。クロエは怒り悲しんでいる。
「叔父さんの……ッ!」
一瞬クロエの姿が消えたように見えた。だが違う。クロエが過度な前傾姿勢でこちらに向かって駆けてきて、あっという間にオレとの距離を潰す。
オレはこれでも長年冒険者をやってる身だ。自分の間合いというものを把握しているし、相手の間合いもなんとなく分かる。オレの胸くらいまでしか身長の無いクロエだ。腕の長さが違う分、当然オレの間合いの方が広い。
しかし、そのリーチの差を活かす前に、一瞬にしてクロエに距離を詰められてしまった。もうほとんどオレにくっつくような距離だ。ここまでくると、今度はオレの間合いの広さが逆に仇となる。近すぎるのだ。
オレには近すぎて逆に力を発揮できない不自由な距離。しかし、クロエにとっては最高の間合い。
仮にも現役の冒険者であるオレの懐に潜り込むとは……ッ!
油断もしていたし、警戒もしていなかった。だが、こうも易々と間合いを潰されると、クロエのことを過小評価していたと認めざるをえない。
クロエは磨けば光るものを持っている。そう確信させるに足る鋭い接近だ。これはクロエの大きな武器になるだろう。オレはクロエの評価を上方修正する。
オレとクロエの距離は、もう密着と表現してもいいほど縮まっている。オレは来る衝撃に備えて、少し体の重心を下げた。転んでは格好悪いからな。しかし、なぜ今クロエはオレの胸に飛び込んでくるんだ? 昔みたいにタックルして抱き付いてくるのだろうか? だが、なぜ今なんだ?
先程見たクロエのガラス玉のような瞳が頭を過る。クロエの情緒が分からない。クロエはなにがしたいんだ?
その答えは二度の刺すような鋭い衝撃と共に訪れた。
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