第11話 ヤバい

「たぶん、こっちのほー! 精霊とお話してるんだってー」


 ジゼルに連れてこられたのは、王都の北に広がる草原だった。王都の北門を抜けたオレたちは、王都の外に築かれた露店街を通り抜け、ここまでやってきていた。


 時たま草原を走り抜ける風が、草花を波のように揺らし、歩いて火照った体を冷やしていく。胸いっぱい呼吸すると、濃い緑の匂いと土の匂いにむせ返りそうになるほどだ。


「風が気持ちいい」


 クロエが風に攫われた黒髪を手で押さえ、気持ちよさそうに穏やかな表情を浮かべていた。少女が大人への階段を上る今しかない貴重な過渡期。まるで絵になるような美しさだ。むしろ、絵にして宿に飾っておきたい。いつでもクロエの姿を見れるなんて最高過ぎるだろう? 今度、絵師を連れてきて、クロエを描かせよう。


 オレはそう心に強く誓う。むしろ、なぜ今まで思いつかなかったのか不思議なほどだ。可憐なクロエの一瞬を絵にして閉じ込める。それはとても素晴らしいことに思えた。


「ぐっ……」


 チクショウッ! なぜオレは今までクロエを見るだけで満足していたんだッ! 絵として残しておけば、クロエの成長を感じられるだけではなく、今はもう過ぎ去ってしまった幼いクロエとももう一度会えたというのにッ!


 自分の愚かしさに眩暈さえしてくる。オレは片手で顔を覆って、過去の己を悔いた。


 しかし、とても残酷なことだが、時の流れを戻すことは誰にもできない。神にさえ不可能だ。今のオレにできるのは、未来に目を向けること。それだけだ。


「よしっ!」


 オレは後悔を捨て前を見る。過去を悔やんでも仕方がない。今からでもできることをしなければ……!


「えー……。急に苦しそうにしたり、急に立ち直ったり、アベるんってばどうしたの? 頭の病気?」

「たまにこうなるの。気にしないで……」

「いったいどうしたのでしょうか……?」

「まぁいいや。あーしちょっと周り見てくるねー」


 ジゼルが失礼なことを言うが、努めて無視する。今、オレは重大な岐路に立っているのだ。


「今からでも、遅くはないか……?」

「な、なに……?」


 オレは見つめられて恥ずかしそうに顔を少し赤らめているクロエを見つめ続ける。上目遣いでオレを見てくるクロエの破壊力に目を離せなくなっていたのだ。あぁ……このクロエの表情も絵にして留めてしまいたいッ!


 問題は山ほどある。絵師の伝手も無いし、絵の相場も知らない。しかし、一番の問題は、クロエが許してくれるかどうかだろう。オレはクロエに意に反して嫌われたくはない。もし、クロエが反対するなら、泣く泣くクロエ絵画化計画を止めるつもりだ。


 まずはクロエに訊いてみよう。全てはそれからだ。


「クロエ……」

「ちょっ!? マジッ!? マジヤバいって!」


 オレがクロエに問いかけようとしたその瞬間、ジゼルの大声がオレの言葉を掻き消した。なんなんだ、あの女はッ! オレがどんな気持ちでクロエに声をかけたと……ッ!


 思わず、振り返ってジゼルを睨むと、ジゼルはオレの視線にも気付かないほど慌てていた。その顔は焦燥感に埋め尽くされ、悲壮感さえ滲ませている。なにかよくないことが起こったのだと瞬時に理解させられた。


「何があった?」

「ヤバい! ヤバいってマジで!」


 問いかけるオレに帰ってきたのは、ジゼルの中身がなにもない叫びだった。緊急事態というのは分かるが、それ以外の情報が欠落している。これでは、何をすればいいのか、どう対処すればいいのかが分からない。初心者冒険者に多い失敗だ。これは報連相の大事さから教育せねばなるまい。


 オレはジゼルに駆け寄ると、その細い両肩に手を置いて、軽く前後に揺らした。ジゼルの頭が前後に揺れ、その緑の瞳がオレの顔を映す。


 ジゼルの目の焦点が合ったのを確認したオレは、敢えて落ち着いた口調でジゼルに尋ねる。


「落ち着け、ジゼル。いったい何があった?」

「あ……」


 ジゼルの強張った表情が少しだけ緩み、その大きな目の端には涙の粒が浮かぶ。


「ジゼル、何があった? お前はどうしてほしんだ?」


 早く内容を喋れと怒鳴りたい気持ちを抑え、オレはゆっくりとジゼルに問いかける。パニックになった奴に怒鳴ったって無駄だ。まずは落ち着くように誘導しなければならない。


 ジゼルの緑の瞳に理性の光が戻るのが見えた。


「助けてほしいッ! ベルベルとリディたんを助けてッ!」


 ジゼルの言葉に、クロエとエレオノールが身を固くするのが見えた。共通の知り合いか? それとも、紹介すると言っていたパーティメンバーだろうか?


「こっち! こっち来て!」


 ジゼルがオレの腕を掴むと、グイグイと引っ張っていく。おそらく、口で説明するより、実際に見てもらった方が早いと判断したのだろう。オレはジゼルに手を引かれるまま走り出す。オレたちの後を追って、クロエとエレオノールが駆け出すのが視界の端に映った。


 クロエとエレオノールの顔は、共にひどく強張って白い顔をしている。二人にとっても、とても重大な事件が起きているのだと理解する。


 なにが起こっているのかは、まだ分からない。クロエに火の粉が降りかからねばいいが……。オレはクロエを護ることを再度己に固く誓った。




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