第120話

「俺はさ。るかちゃんのことは大好きだし、とても信頼してるし、もしいっしょに死んでくれって言われたら、きっと最終的には死ぬんだろうけど。付き合いたいとは思わない。それって、家族としての好きだからだと思うし、彩花さんが俺に向けてる好意も同じだと思う」


「うん」


「このまま、俺が彩花さんといっしょにいても、彼女は俺のことを恋愛対象として好きになることはないと思う。そういう意味では、後藤くんのほうが可能性はあるんじゃ、って考えてしまうんだ」



 彩花からの信頼も好意も、理久は感じている。


 それは日々の中で大きくなっていることは、おそらく自惚れではないと思う。


 しかし、それが恋愛感情に変わることはない。


 このままいっしょにいられるだけで満足ならば、これ以上の環境はない。


 彩花と毎日いっしょにご飯を作って、いっしょに食べて、生活をともにして。


 けれど、それを羨ましいか、と問いかければ、後藤は「わかりません」と答えた。



 そう。


 この穏やかな生活の先に、後藤が望むものはない。


 理久だって、同じだ。


 この生活の先にあるものは、それはきっと――。



「理久、大丈夫?」



 るかが理久の頬に手を当てていて、はっとする。


 るかは心配そうに理久を見つめていた。


 大丈夫かどうかで言えば、おそらく大丈夫だ。



「ごめん。大丈夫だよ。どうしようもなくなってるわけじゃない。ただ、事実としてそうだよねっていう話」



 理久の話に、るかはふっと息を吐く。


 ゆっくりと身体を起こした。


 止まったままのゲーム画面を見つめて、呟く。



「そうだね。理久は、彩花ちゃんには男として見られていない。好きになることもないかもしれない。でももしそうなるように動いていたら……、今とは違う関係になっていた。そうなっていたら、彩花ちゃんを救うことはできなかったんじゃないかな」


「…………」



 彩花を救った、なんて傲慢なことは言えないけれど。いくらかは彼女の負担を軽くできたんじゃないかとは思う。


 それは、佳奈たちの口からも語られているし、本人からも告げられている。


 結果として、彩花の平穏な生活が生まれた。


 彩花が穏やかに暮らせているのだから、それでいいじゃないか、と思わないでもないが……。


 それでも、気持ちというのは複雑で。


 必死に抑えていても、彼女を好きだと言う気持ちは、恐ろしいほどに溢れてしまう。


 日に日に、感情は大きくなっている。 



 それを振り払うように、理久は口を開いた。



「ねぇるかちゃん。俺が彩花さんからマフラーもらった話、していい?」


「やだ。もう五千回は聞かされたから」


「クリスマスにご飯食べたあとにさ――」


「聞けよ! もういいって!」



 そんな話をしながらふたりでダラダラ過ごしているうちに、彩花が帰ってきた。


 ここ最近はさらに気温が下がっているうえに、すぐに外は暗くなってしまう。


 そのうえ、彩花は自転車で学校に通っていた。


 案の定、彩花は寒そうにしていたものの、部屋に入った途端にほっとしたような顔になる。


 そして、帰宅の挨拶をしている途中で、るかを見つけた。



「ただいま戻りました……、あっ、るかさん!」


「おかえり~。外寒かったでしょ、彩花ちゃ~ん」



 顔をぱっと明るくさせた彩花に、るかは上機嫌で彼女の元に寄っていく。


 風によって乱れた彩花の髪をくしゃくしゃと撫でて、ほっぺを両手で挟んだ。


 むにゅ、と頬を挟まれた彩花は、穏やかに笑っている。



「彩花ちゃんのほっぺ、冷たいねえ。やっぱり自転車だと、風が冷たい?」


「はい。最近はすっかり寒くなっていて。るかさんの手、あったかいです」



 その言葉に、るかは「うりうり~」と彩花のほっぺを手のひらでくにくに動かし、彩花も楽しそうにされるがままになっている。


 彩花かがるかにとても懐いていることから、るかも彩花のことが可愛くてしょうがないようだ。


 しばらくじゃれ合ってから、るかは手を離す。



「彩花ちゃん、体調管理には気を付けなよ? 風邪も流行ってるらしいし。手洗いうがい、しっかりね。今、わたしと理久で夜ご飯作ってるから、着替えてきな?」


「わ、ありがとうございます。なら今日は、三人でご飯ですね」



 楽しそうに両手を合わせ、にこにこと彩花は笑う。


 言われたとおり、彩花はリビングから出て行って洗面所に向かったようだ。


 それをるかは見送り、「かわいいなぁ」と顔をほこばせたあと、キッチンに戻ってくる。


 理久は思わず、彼女に苦言を呈した。



「……るかちゃんや。ちょっと彩花さんにベタベタしすぎじゃないかね」


「えぇ? なに、変な嫉妬やめてよ。女子同士なんだから別に普通でしょ」


「そういうのは佳奈ちゃんにやったら?」


「佳奈ちゃんには……、まだ、無理じゃん、そういうの……」



 途端にるかは、赤い顔でもじもじし始めてしまう。


 自分の想い人にできないようなことを、人の好きな人相手にやらないでほしいところだが。


 そんなことをつつき合っているうちに、部屋着に着替えた彩花がとんとんとん、と階段から降りてくる。


  


 今から、この三人で夕食だ。


 彩花は受験勉強があるけれど、その合間の穏やかで楽しい時間。


 彩花の笑顔が見られるだろうし、楽しい空気に満たされるに違いない。



 幸せな時間だ。


 そんな時間が過ごせるんだから、十分のような気はするけれど。



 これはあくまで制限時間付きの生活であることは、理久もわかっている。


 彩花は三ヶ月もしないうちに、高校生になる。


 よっぽどのことがなければ、理久たちと同じ豊崎高校に通うだろう。


 るかだって言っていた。


 中学生と高校生では、恋愛に対する感覚が違う。


 新しい環境に置かれたるかが、どれほどの同級生、先輩たちに言い寄られていたかは、隣にいた理久が知っている。



 そうじゃなくとも、彩花自身が心を動かされる人物がいるかもしれない。


 後藤だって、このまま手をこまねいているとは思えなかった。



 環境は、変わる。


 ずっとこのままではいられない。


 彩花だって、前に踏み出すかもしれない。



 彩花に恋人ができて、それでも変わらずに過ごせる自信は、理久にはない。


 だからつまり。


 こんな幸せな生活が続く期間は、驚くほどにもう短くなっているのだ。


 理久はふたりの笑顔を見ながら、それをひしひしと感じていた。



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