第88話

「兄さん。今日の晩ご飯は何を作りますか?」



 夕方。


 今日もふたりで、夜ご飯を作るためにキッチンに立っている。


 いつものように彩花に尋ねられたが、理久はすぐには答えなかった。


 スマホを操作しながら、彼女に告げる。



「彩花さん。今日は新しいレシピに挑戦しようと思っています。なので、普段と違ってちょっと手間取るかもしれませんが、ご容赦ください」


「わっ。新しい料理が食べられるんですか?」



 彩花の顔がパッと輝く。


 その表情がどうなるか不安になりながら、彼女にスマホの画面を見せた。


 そこにはレシピが載っている。



「これを作ろうと思うんです」


「豆腐ハンバーグ……?」



 こてん、と彩花は首を傾げる。



「彩花さん。豆腐ハンバーグって食べたことあります?」


「いえ、ないです。兄さんは?」


「俺もないんです。だから正直、おいしいかどうかはわからない」



 正直なことを言うと、理久は豆腐ハンバーグに良い印象はない。


 なぜ、わざわざ豆腐を混ぜるのか。


 そこは普通に肉のハンバーグでいいのではないか? 


 余計な手間を増やしてまで、肉に別の素材を入れる必要はあるのか?


 そもそも、豆腐でハンバーグってなんじゃい。



 そんな感じである。


 だというのに豆腐ハンバーグに挑戦する理久を不思議に思ったのか、彩花は再び首を傾げる。



「ではなぜ、豆腐ハンバーグを……?」


「豆腐ハンバーグって、低カロリーでお腹に溜まりやすく、しかもタンパク質が多く摂れるそうで。すごくダイエット向きの食べ物らしいんです」


 


 スマホを眺めながら、理久は話を続ける。


 そこには、ダイエット向きの料理をたくさん調べた履歴があった。


 そのひとつが、豆腐ハンバーグだ。



「俺は、彩花さんにはお腹いっぱい食べてほしい。でも、ダイエットもしなくちゃいけない。それで、俺にできることは何かって考えたら、痩せやすいご飯を作ることかなって。でも、これでおいしくなければ意味ないと思うんです。ご飯はおいしくなくちゃダメだ。だから一旦食べてみて、ダメそうだったらもう作るのはやめるので――」



 そこで顔を上げる。


 彩花はこちらをまじまじと見ていた。


 その表情を見て、理久の口がつい止まる。



「――――――――」



 彼女の顔は赤く染まり、目を見張っていた。


 大きな瞳がふるふると揺れて、理久の姿を映している。


 ただ茫然としたような表情で、理久を見ていた。


 両手を合わせ、口元を隠しながら。


 その瞳に、吸い込まれそうになってしまう。



 その表情が何を物語っているのか。


 理久にはわからなかったが、彼女が言葉を失っているのは伝わる。


 彼女はしばらく固まっていたが、彩花さん? と声を掛けると、はっとして我に返った。



「あ――、ありがとうござい、ます、兄さん。そこまで考えてもらって……」



 深く頭を下げる彩花に、慌てて手を振る。


 そんなに恐縮されるような話ではない。



「いや、全然。そもそも、俺にも責任の一端はあるし。それに、おいしく作れるかどうかはわからないんです。これでおいしかったら、そのありがとうを受け取りますよ」



 そう。成果が出なければ意味がない。


 だというのに、彼女はしばらく顔を上げなかった。


 どこかぎこちなくなった彼女とともに、調理に入る。


 いざ料理を始めると彩花は普段どおりになったが、それでも緊張感のある調理になった。


 作ったこともなく、おいしいかどうかわからない料理。



 その時間をふたりで乗り越え、いざ実食となった。


 テーブルの上に並んだ、豆腐ハンバーグ、サラダ、スープ。


 いつものように向かい合わせで座るが、今日は普段のように穏やかな食卓ではなかった。


 ふたりとも緊張しながら、今日の料理を見下ろす。



「おいしくなかったら、ちゃんとおいしくないって言ってくださいね。食事が楽しくなくなったら、本末転倒ですから」


「はい……」



 ぎこちなくふたりで手を合わせたあと、早速豆腐ハンバーグに箸を入れる。


 ネットのレシピどおり、鳥ひき肉を使い、さっぱり和風ソースをかけてある。


 それをおそるおそる口に運んだ。



「……………………」


「……………………」



 ふたりして黙々と口を動かしたあと、ごくん、と飲み込む。


 しばらくしてから、感想を口にした。



「普通のハンバーグよりやわらかいし、肉の味もそこまで感じられない。結構淡泊な味わいではあるけど……」


「そうですね……、かなりあっさりしていますが……」


「でもこれ……、結構おいしいね?」


「あっ、そ、そうですよね! おいしいです! 兄さん、どっちかな……? ってちょっと焦っちゃいました……」


「俺もです」



 お互いに苦笑しながら、豆腐ハンバーグを改めて見やる。


 さっぱりした味わいが和風ソースと合っていて、十分においしい料理に仕上がっていた。


 これで低カロリーなのは、かなりの発明なんじゃないだろうか。



 おいしい。


 問題があるとすれば。



「今日ハンバーグだよ~、って言われてコレが出てきたら、ちょっとだけ、ん? ってなっちゃうかもしれませんけど……」


「そうですね……」



 彩花の意見に頷く。


 肉のハンバーグの代替品と考えると微妙な気分になってしまうが、ひとつの料理として考えると、ちゃんとおいしい代物だった。


 彩花は嬉しそうにご飯を口に運び、ん? という表情になる。


 小さく首を傾げて、お茶碗を見下ろした。



「兄さん。これ、お米も普段のものとは違うんですか?」


「あ、そうそう。なんか低糖質? カロリーが低くておいしいご飯なんだってさ。どうかな、と思ってましたけど、これも普通においしいですね」



 理久も食べてみたが、それほど普段のお米と違いもない。


 それに喜んでいると、彩花がこちらをじっと見ていた。


 じぃん、とでもしてくれたのか、彼女の表情が少しだけ切なげなものに変わる。


 唇もわずかに震えた。


 そして、すぐに頭を下げる。



「ありがとうございます、兄さん……、こんなにも、いろいろと……」


「いや、全然大したことじゃないので。気にしないでください」



 それに、お礼を受けるのはまだ早い。


 彼女のダイエットが成功しないかぎり、理久のちょっとした心遣いは意味のないものに変わってしまう。



 だからせめて、少しでも力になれるように理久は協力したいと思う。


 料理のレシピを探すのも、材料を変えるのも、以前の自分なら絶対にしなかっただろう。


 それだけ、彩花の力になりたい、と理久自身が思えたのだ。

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