第86話



「お、お母さん……、そんな、兄さんを責めるような……」



 おどおどと香澄の腕を引っ張る彩花に、香澄は小さく首を振った。



「お母さんは理久くんを責めてるわけじゃないの。責めてるのは、気を付けずに食べ続けた彩花だけ」


「うっ……」



 胸を押さえ、苦しそうにする彩花。


 慌てて、理久も口を開く。



「いえ、すみません……。そんなこととは知らず、俺もいっぱい彩花さんに食べてもらっていたので……」



 そう言い訳すると、香澄はゆっくりと頷く。


 ようやく小さく笑みを浮かべて、彼女は穏やかに言葉を返した。



「うん。彩花から聞いてる。いろいろと彩花を気にかけてくれてありがとう、理久くん。わざわざお夜食まで作ってくれていたんでしょう? 本当にありがとうね。でも、このままだと彩花はこうなっちゃうから」



 香澄は再び、スマホの画面にあの写真を表示させる。


 そこに彩花の悲鳴が重なった。


 さすがに、彩花があれだけふくふくになってしまうのは、理久としても悲しい……。


 香澄はふっと息を吐き、静かに言葉を並べた。



「だからまぁ、お夜食はもう控えてもらおうかなって。あと、間食もしないようにしてもらいたいかな」


「わ、わかりました……」



 そうするしかないだろう。


 彩花は一瞬、「えっ!?」と残念そうに、本当に残念そうな顔になったが、ゆっくりとお腹を擦った。


 それで、仕方がない、という結論に至ったらしい。


 しゅーん、という言葉が似合う表情で、肩を落としている。


 香澄は頬に手を当てて、ふぅ、と息を吐いた。



「いっそ、晩ご飯も減らしてもらったほうがいいのかもしれないけど……」


「えっ!?」



 今度はしっかり声が出た。


 彩花は香澄を見て、嘘でしょ!? という顔をしている。


 香澄は微妙な顔になり、彩花に目を向けた。



「いえ、彩花がいいならいいのよ? でもあなた、元の体型に戻りたい、って言ってたじゃない? それなら、量を減らしたほうがいいんじゃないかって。間食をやめただけじゃ、戻るのも時間が掛かると思うの。一度量を減らして慣れてしまえば、今後も楽に体型を維持できるし」



 香澄の言っていることは正しい。


 間食をやめたところで、多く摂っていたカロリーが元に戻るだけ。


 それだけでも体重は元に戻るかもしれないが、その速度はきっと緩やかだろうし、下手をすれば減らない可能性さえある。



 だから、より確実なのは食べる量を減らすこと。


 けれど、それは彩花にとって耐え難いものらしい。


 何なら、今までで一番悩んでいる。 


 葛藤の表情がすごい。


 だからこそ、香澄も「どうする?」と問いかけている。



「………………っ」



 彩花はしばらく悩みに悩んでいたようだが、ぐっと拳を握って顔を上げた。



「あ、朝走ります! う、運動して、その分カロリーを消費するから……! だから、ご飯の量はそのままで……っ」


「……まぁ。彩花がそれでいいのなら」



 晩ご飯の量を減らすのは、どうしても譲れなかったらしい。


 第三の選択肢を提示し、香澄もそれで納得したようだ。


 まぁ確かに、食べる量を減らすより運動するほうが健康的だ。



 受験生がそれでいいのか? と思わないでもないが、現状の彼女はかなり受験勉強も順調だ。支障が出ればやめるだろうし、そこは信頼されているのだろう。


 ではこの話は終わり……、となりそうだったところに、理久は手を挙げる。


 どうしても、このままでは終われなかった。



「そ、それ。俺もやります。彩花さんが食べ過ぎたのは俺のせいだし、俺もちょっと運動不足だったから……」



 その言葉に、彩花は目を丸くした。


 彩花を太らせてしまったのは、理久の責任だ。


 喜ぶ彼女を見たくて、香澄が気を付けたことを無視してしまったから。


 それならば連帯責任で、その業を負いたかった。

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