第62話



「お断りしました」



 思わずガッツポーズを取り、心からのため息を吐く……、のを堪えて、渾身の「そうなんだ」を吐き出す。


 よかった……。


 ドギツい失恋を経験するところだった……。



 後藤は不器用そうではあったものの、その分、彩花をまっすぐに気遣う姿勢を見せていたし、誠実そうな男だった。


 背も高く、スポーツマンで見た目も良い。


 彩花と十分に釣り合いが取れそうな男だったからこそ、理久は気を揉んでいたのだ。


 そこで、はた、と気が付く。


 なぜ、そこまでの男性を彼女は振ってしまったのだろうか。



「ええと……。なんで、振っちゃったの? 彼、とても良さそうな子だったけど」



 ここで変なことを言って、「じゃあやっぱり付き合います」と言われても困るというか、そうなれば身体がバラバラになってしまいそうだが、訊かずにはいられない。


 すると、彩花は独り言のようにぽつぽつと口にする。



「……わたしは、恋愛がよくわかりません。以前は、好きな人同士が気持ちを確か合って、お付き合いするものだと思っていました。だから、あまり話したことがない人や意識したことない人に告白されても、お断りしていたんです」



 わかっていたことだが、彩花は今まで何度も告白されてきたらしい。


 彼女は自慢げに言うわけでもなく、事実として淡々と述べていく。


 恋愛がよくわからない、という彼女にとって、その過程はあまり誇るものでもないのだろう。


 彩花はそこで少し、首を傾げる。



「けれど、お付き合いするのはそればかりではない、と知りました。相思相愛じゃなくとも恋人同士になる方はいますし、それで幸せになる方もいます。付き合ったから好きになった、というお話も、それほど珍しいわけではないと」



 それは理久自身も感じている。


 理久も昔は、カップルというのはお互いが好きで好きで、好きでしょうがなくなって付き合うものだと思っていた。



 しかし、相思相愛から付き合いが始まるケースのほうがよっぽど珍しい。


 告白された相手にある程度のプラスの感情があれば、告白を受け入れる。そういうケースも多いと聞く。



 るかも口にしていたが、『試しに付き合ってみる』『ノリで付き合ってみる』というのも、極端な話ではないのだ。


 だからこそ、「『彩花が高校生になっても二年間、彼氏を作らない』という状況はあり得ない」、とるかが断じていた。


 そして今、彩花はそうなりえた話をしている。


 彩花は、こぼすように話を続けた。



「佳奈は、繰り返し言っていました。告白されたら付き合ってみればいい、後藤くんなら大切にしてくれる、もしダメだったらそのときに考えればいい、と」



 佳奈の顔が浮かぶ。


 大して話をしたわけではないが、彼女はむしろそういったことは言わなそうだ。


 むしろ、軽い気持ちでくっつたり離れたりする人を、嫌悪しそうなのに。


 けれど、理由はすぐに勘付く。


 きっと、理久の存在があるからだ。



 もし、理久が義理の妹である彩花に不埒なことを考えて、行動に移そうとしても、後藤の存在を感じていれば。


 何かあっても、彩花が後藤に泣きつけば。


 きっと彼は、すぐに何とかしようと動くだろう。


 抑止力や、守ってくれる存在を佳奈は欲していたのではないか。


 彩花は、そんな後藤のことを口にしていく。



「実際、後藤くんはすごくいい人です。真面目ですし、やさしいですし。告白のときも、ごまかすことも予防線を張ることなく、まっすぐに気持ちを伝えてくれました。誠実な方なんだな、と改めて思ったんです」


「……なら、なんで断ったんですか?」



 理久は言葉を絞り出す。


 彩花のことを知りたかった。



 恋愛がわからない、と言いながらも徐々に現実を理解していく中、目の前に素敵な男性が現れた。友人からも「付き合ってみたらどう?」と猛烈に押され、仲を取り持たれ、彼から告白をされた。


 そこまで舞台が整って、なぜ彩花は断ってしまったのか。


 彩花は、寂しそうにふっと笑う。



「お付き合いなんて、できません」



 その静かな答えで、ようやく彼女は自分の考えに整理がついたのかもしれない。


 あぁ、と小さく呟いた。


 しばらく、視線を宙に固定する。


 それを隠すように、彩花はぱっと笑顔を作った。



「すみません、おかしな話をしてしまいました。せっかく来て頂いたのに。今日はありがとうございました。ふたりとも来てくれて、嬉しかったです!」



 ぺこり、と彩花は頭を下げる。


 まるで、この話はこれで打ち切りだと言わんばかりだった。


 ごまかすように、彼女は別の話を振ってくる。



「兄さん。帰り、スーパーに寄りませんか? 今日、確か牛乳が――」



 強引に日常に戻すような、無理やり目を逸らさせるような。


 そんな、不可解な態度。


 そう感じながらも、理久は彼女の話に乗るしかなかった。


 上滑りするのを感じながら、彩花と冷蔵庫の中身の話をしていく。



 しかし、やはり彩花は疲れていたのかもしれない。


 電車に乗り込み、ふたり並んで座っていると、彩花は間もなく寝息を立て始めた。


 のんびりした速度の電車が、ゴトゴトと走っていく


 それほど長い時間を座っているわけではないが、寝かしておいてやろう。 


 理久はひとり、窓の外に目を向ける。

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