夏の残り香
五味
星明に落ちる
「星ってどうしてあんなに眩しく輝くんだろ」
「地球の裏側で昇っている太陽の光を反射しているんだろう」
「…そういうことじゃァないのよね」
不満をポツリと呟いた私に、その人はどういう意味か測りかねているらしくすっかり黙りこんでしまう。
その人と私の間には人が3人くらい座れるかどうかという間が空いていた。
私は鈍く星の光を反射するアルミ缶を片手に静かに揺れる銀波の海と、星を満遍なく散らした空の曖昧な境目にぼうっと目をやって堤防の端に座っていたが、夏にしては着込んだ少し怪しい風体のその人はただ後ろ手を組んでそこに佇んでいた。
「あんたと私じゃァ星の見え方が違うのさ」
「…見ているものは同じだろう」
「きっとそうだろうね、あんたにはあれが、太陽の光を反射するガスの塊だなんてものにみえるだろうけど、私にはもっと…ずっと夢のあるものに見えるんだ」
「…そういうものか」
「あァそういうものだね」
しばらく波の音や虫、蛙の鳴き声が私とその人の間を漂う。そこで私は初めてその人の顔を盗み見た。私はその人の顔が恐ろしいくらいに整っていることに気がついて、まさか狐や妖の類じゃぁ無いかとぼんやりと考える。
「なぁちょいと不思議なあんた、名前は?」
少しの沈黙の後に、やっとその小さな口が開いた。
「
「…随分珍しい名前だね、ここの人じゃ…無いだろうな、この島は狭いし噂好きしかいないから」
視線をゆるりと海の方に移して独り言のようにそんなことを呟く。
海は変わらず銀を写し、空も眩く輝いていた。今日は新月だったからいつにも増して輝いていた。
「…名前は」
「ん、私?」
「あぁ」
「私は
「…日向、日向はこの島の人間か」
その言葉の真意は汲めなかったが、私は特に気にすることなく答えた。
「あァ、うんそうだね」
「この島には若い人間があまりいないようだが」
「大人んなったら、みぃんな本州に出稼ぎに行くから、ここにゃあ若いのがいないのさ」
「日向は出稼ぎに行かないのか」
「行かないの」
子供みたいな口調でそんなことを言ってアルミ缶の中のアルコールを飲み干した。ふわりとした酔いが鼻から抜けていく。
「色々とあるのよ、私にも、家族にも、この島にも。私をこの島に残らせる理由なんてたァくさんある」
「日向が外に行きたければ行けば良いだろう」
咎めるようにそちらに視線を向けてみたが紀南は動じることなく視線の先をどこか遠くへとやっていた。私の小さな抗議も意に介していないらしいその様子に仕方なくため息を吐く。
「兄がとっくに逃げ出したから、私はもう逃げらんないのよ。船で逃げようにも船頭は親と仲良しだから船に乗った瞬間に密告されるだろうね」
脱獄犯みたいに泳ごうにも本州は遠いし、船以外で他の場所に逃げ出す方法はない。
まるで亡命だなァなんて思って自嘲する。
こうしてなにも考えずに海と空を眺めるのも、一種の諦観によるものだった。
古臭い確執を大事に抱えて生きる親族と私の意見はまるで合わず、あの場所は私にとってただ己の枷をまざまざと見せつけるための鳥籠に過ぎない。
私はこのまま、ひとりぼっちでこの島に取り残されて死んでいくのだろう。
「なら私と来るか」
「…エ」
驚いて、私は思わず持っていたアルミ缶を手放してしまう。酔いも醒めて「あっ」と口から零れ落ちた声の後に、カランカランという軽薄な音がしてアルミ缶はテトラポットの隙間の闇に消えていってしまった。
「あァやっちまった、あんたがおかしなことを言うから…」
「あれが欲しいのか」
「欲しい訳じゃァないが…あんた本当に変わってる…な…?」
視線をテトラポットの闇から上げて紀南に向けると、紀南の細くて長い指が先程私が落としたアルミ缶を吊るしていた。
間違えようがない。
あれはこないだ、本州に行った同級生が送ってきたもので、この島では売っていないものだったから。
「…あんた、それ」
「私にも星の見え方を教えて欲しい」
「えぇ…?」
「私にはそれが分からない。あの星は太陽の光を反射する天体のそれ以上でもそれ以下でもないんだ」
私にアルミ缶を差し出す紀南は作り物の様な完璧な微笑みを貼り付けていて、紀南が人では無いのではないかという冗談のような憶測に現実みを持たせてきた。
「どうすれば星がそれ以外に見える」
「…はは、あんた何者だ?
そういやァ旅行客なんて噂も聞いてない…地球に迷い込んだ宇宙人か何かかしら」
「宇宙人…か、あながち間違ってはいないだろうな」
「……」
「……」
冗談なのか違うのか、その整った顔で言われては全くもって曖昧になってしまった。
「…どおりで」
驚きすぎて1周回って冷静になって、私はようやくアルミ缶を受け取ると、よっこらせと立ち上がる。
「それじゃあ星は眩しく見えないかもなァ」
「何故だ」
紀南は心底不思議そうに首を傾げたが、私はなんだかおかしくて笑ってしまう。まだ酔いは醒めていないかもしれない。
「虫にとっちゃ道路の向こうは広大で、私にとっちゃァ本州は広大だ。だけど本州の人にとって大陸は広大で…大陸の人にとって、宇宙は広大だろ?」
「…」
「したら、大陸の人は大陸のことを何とも思ってなくて、本州の人は本州にいることを何とも思ってなくて、私にとって道路の向こうに渡る事なんて何とも思わない
…だから、宇宙人には宇宙は狭いんじゃねェかな」
考え込む素振りを見せる紀南に私はまた少しだけ笑って空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
夏の匂いが私を再び夢見心地に誘いこもうとする。
「だか日向は、道路の向こうの全てを知らないだろう」
「…?」
「大陸の人間は本州の全てを知らない、
本州の人間はこの島の全てを知らない、
日向は道路の向こうの全てを知らない…
同じように、私も宇宙の全てを知らない」
「……あぁ、なるほど」
ストンと腑に落ちる。
風が私の頬を撫で、目が醒めるような心地になって私は紀南の方を向いた。
「いいなァ、私も連れてってよ
丁度、見るだけじゃつまらなくなったや」
「眩しくは見えなくなったのか」
「……いいや、まァ」
言葉を1度止めて空を見上げる。
月は影となり姿を隠し、川を作り上げている無数の星たちが、まるで手の届くほどに近く感じた。
「私が日の陰を望むのは親不孝かしら」
「名は付けた者の願いだ。
…願いは、叶っても叶わずとも、誰のせいにもならないからな」
「そういうものかァ」
「そういうものだ」
結局、私の枷の鍵は私が持っていて、枷を外して困るのは私の嫌いな人達だった。
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