23「被害者」

 服を買うとき、満腹でいるのはよくないらしい。ばあちゃんが言うには「体形が変わると服を選びにくい」、じいちゃんに言わせると「満足しているといいものが選べない」ということだった。そんなわけで、朝食は軽めに済ませた。二人の言うことにも眉唾なネタはあるので、なんでも守っているわけではないが、これは一理あるなと感じたことがある。


 メッセージを飛ばしてお隣を訪問する旨を伝えると、「いまダメ」と返ってきた。女性の一人暮らしなのに、そんなにヤバいものを隠しているのだろうか……などとくだらないことを考えていると、すぐにドアチャイムが鳴った。


『ごめんねこみっち、ちょい遅れたー』

「いやいや、大丈夫。あんまり朝早く行ってもだしさ」


 扉を開けると、いつもよりしっかりメイクしているらしい匂いがした。目元がラメのようにきらきらしていたり、くちびるがぷるっとしている。


「ああ、メイクしてたのか」

「だよー。どうよ」

「いや、女の人の顔まじまじと見たことないしなあ……」

「そうだったねー……まあいっか、行こう?」


 微妙な空気の仕切り直しをするように、羽沢さんは俺たち三人を車に案内してくれた。スペースがかなりあるライトバンだが、乗れるのはせいぜい五人くらい、乗っている人を隠せるほどガラスの色も濃くない。


「どしたん?」

「ああ、いや。なんでもないよ」


 隣に住んでいる人を疑うのは勝手だが、隣ならいろいろ分かりやすすぎて隠せないだろうな、という考えに思い至った。彼女にはトラやナギサたちとの会話が聞こえていたから、こんなに近い距離で〈格納庫〉を開いたらトラも感知するだろう。


「二人とも、今日はなに食べる?」

「ん。がんばったから、美味しいのいっぱい」


 羽沢さんが尋ねると、ナギサは即答した。お金にはかなり余裕があるが、オークションでは抑え気味にして、外食をするぶんのお金も残しておいた方がよさそうだ。


「お寿司とかどうだ? 好きなだけ取れるし」

「おー、いいじゃん! やっぱしパパ成分増えてきてない?」

「めちゃくちゃ頼ってるから、お礼はしないとな」

「よいのう。楽しみにしておくぞ」


 語らいながら車に乗り込み、俺たちは小滝に向かった。


「そういや、羽沢さん。今日も雪見さんは帰ってきてないんだよな?」

「お泊まりっていうか、入り浸ってるね。帰る気ないっぽいよ」


 駐車場から発進した車の中で、言うべきか言うまいか、俺は迷った。


 ナギサは窓の外を見ているが、この前よりはかなり静かだった。トラは沈黙していて、何かを待っているように見える。


「帰ってくると思うか?」

「どうしたの。めっちゃ真剣だけど」

「このあたりで、行方不明事件が起きてるだろ? 一回帰ってきて、その後にいなくなるって言うから……もしかして、なんて思ってさ」

「そのハナシしたのって、気付いたから?」


 ドスの利いた低い声が、運転中の彼女から漏れ出てきた。


「え、いや」

「ニュースとか見たんでしょ。読んだよね」

「少しは……」

「ごめんね、ウソついてて。あたしが探索者になったの、それが理由なんだ」


 思っていた流れとちょっとズレてきたので、ニュース記事でも詳しいものを見てみる。するとそこには、彼女が言った通りの情報があった。


「羽沢、リリナ……」

「あたしの二番目のお姉ちゃん。就職ぜんぜん決まんなくて、探索者になったんだ」


 そういえば、就活で足踏みしている俺の様子を「お姉ちゃんもそうだった」と言っていた。四人きょうだいで一番下が男、長女がホステスをやっている――情報は、すでに揃っていた。


 行方不明者の一覧に書かれている名前は、彼女の姉のものだった。交差点に止まった車内で、静かな独白がひどくまぶしい朝日を浴びていた。


「ニカ姉ぇに甘えてたとこもあると思うけど、ちょっと引っ込み思案でさ。高校卒業の前に適性アリって出てたから、選択肢には入れてたみたい。引っ込み思案なわりに、けっこう有名企業しか受けてなかったらしくてさー……」

「俺にもめちゃくちゃ刺さって痛いんだが」


 だろーね、と彼女は笑う。発進した車は、するりと交差点を曲がった。


「探索者の方は、けっこういいスタート切れたみたいだったの。夏ごろからやっとだったから、めっちゃギリギリなんだけど。冬くらいまで楽しそうだったんだけど、お正月に里帰りしてこなくて……近いんだよ、実家? ふっつり途切れちゃった」

「進学、しなかったのか……」

「推薦受かってたんだけど、辞退させてもらった。リリ姉ぇ探さないとって思ったら、大学なんて行ってる場合じゃなかったから」

「そ、それで――なんか分かったのか?」


 捜索を開始した、と発表されたのはごく最近のことだ。独自に調べていたとしても、そう多くは分かっていないだろう。


「今はまだ言えない。そっちは、何か分かったの? ゆきみんのこと言ったってことは、もう……」

「いや、全然だけど。でも、俺も分かったことがあったらすぐ連絡するよ」

「分かってるとは思うけど」「分かってる」

「……なら、いいや」


 端末を取り出そうとしていた、ということは――彼女が考えていたことも、俺と同じだと考えていいだろう。まだ名前のないこのパーティーの中に、裏切り者がいる。連絡をするなら個人的に頼む、という意味だろう。そして、最悪の想定だと思っていたことも、おそらくは事実に変わってしまっている。


 雪見さんは、すでに敵の手に落ちている。半ば以上確信に変わったそれをお互い口にしないまま、車はバイパスに入っていった。

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