14「わすれていない」

 ナギサは買ってきたお風呂用品をうきうきで〈格納庫〉にしまいに行き、トラは踏み台に乗って初の手料理を披露する準備をしてくれていた。


「トラの故郷ってどこだったんだ?」

「それがよう分からんのじゃ。外国かぶれの金持ちのようじゃがな」

「そりゃ、分かりにくいな」


 エプロンをつけたトラは、料理をしながらあれこれと語ってくれた。建築様式も何種類かに分かれていて、調度や飾りの種類もいくつもあったという――そんな屋敷でも、つねに新しいものを買い続けたり、トレンドを追ったりするわけではなかったようだ。主人はお気に入りをとことん追求するタイプだったが、妻はシックなものが趣味だった。


「いま、ちょっと調べたんだけど……百六十年前からあるブランドなんだな。しかもほとんど初期型だ」

「何度か修繕はしたのう。どの時代にも腕のいい職人がおってな、よい心地じゃった」

「それ、メーカーに伝えたら泣いて喜ぶんじゃないか?」

「最後は五十年ほど前じゃからのう。若造でも生きてはおらぬよ」


 どこの国だったのか分かりづらかった理由はほかにもあって、むやみやたらと外国の客が来ていたからだという。アリスだのマリアローゼという名前に聞き覚えがある、と言ってはいたが、外国かぶれの主人が付けた子供たちの名前なのか、客の名前なのかは判然としない。


「家に来てからのすべてを覚えておるわけではないがの。四代連れ添って、世界中を旅行したわい。趣味は脈々と受け継がれておったのじゃな」

「それで、どうしてあんな浜辺に……」

「海難事故じゃ」

「あるんだな、そういうの」


 豪華客船の座礁――由緒正しい貴族だろうと、荷物を捨てて救命ボートに上がらなければ助からない、極限の状況。持ち主は友人の名前を叫び続け、しかし最後にはトランクをさえ手放す決断をした。漂いに漂い続け、五十年をかけて小さな島国の浜辺にやってきたトラは、持ち主の行く末を知らない。


「ネーツィア……。あやつは、どうしておるんじゃろうなあ。生き残ったとは思うんじゃが、どこの国の誰かも分からんようではのう」

「知らない国で、どこの誰とも分からないやつとも、こうして縁がつながったんだ。きっと、名前しか分からない誰かとだって……また会える日が来るよ」


 俺は、そんな空っぽな言葉で慰めることしかできなかった。


「ほれ、できたぞ」

「お、おお……? これってなんて料理なんだ?」

「知らん。匂いからなんとなくで再現しただけじゃ」

「そ、そうなのか」


 魚介の煮込み料理のような、煮つけと鍋物のハイブリッドのような……なんだかよく分からない料理が出てきた。画像で検索すると、「アクアパッツァ」という料理がいちばん近いようだ。今日買ったところの皿にできるフライパンを有効活用して、トラは謎料理を食卓に運んでくれた。


「匂いから再現なんてできるもんなんだな」

「見た目と匂いで、何が入っておるかくらいは分かるじゃろう。あとはまあ、焦がさんようにすればよいだけじゃな」

「いや、かなりすごいと思うぞ」

「だてに百年ものではないのでな。身に付くものはあるわい」


 食べたら再現できるだとか、そういう領域に達しているようにさえ思える。


 あっさりしていてコクもあって、いろんな魚介と野菜とを同時に食べられるぜいたくなメニューだった。付け合わせはむちむちしたお好み焼きで、こちらも不思議なうまみがあって香り高い。


「これ、どうやったんだ?」

「だしのパックの粉末と、片栗粉じゃな。安くで作れる再利用メニューじゃ」


 フランス人形みたいなビジュアルからこんな言葉が飛び出し続けるので、俺は翻弄されっぱなしだった。


「わしが内部であれこれとやっておったせいかのう……おぬしの〈格納庫〉スキルもかなり成長しておるぞ。アイテムボックスの容量も増えたようじゃ」

「自動でそこまでやってもらって、いいもんなのかな……」

「なに、わしらもただ飯を食ろうて引きこもっておるわけにはいかんからのう」

「まあなんだ、ありがとな」


 うむ、とトラは笑ってくれた。


 ポンと音がして、昼間から沈黙を保っていたメッセージアプリに動きがあった。


『昨日と同じ工場でいいと思います』


 ものすごくシンプルで事務的なひとことを送ったのは、どうやら雪見さんらしい。なぜかふたつ続けて送ってきたスタンプは、「昨日だ」「また明日!」という、文脈がよく分からないものだった。


『ゆきみんどこ行ってたん?』


 羽沢さんがすかさず尋ねると、雪見さんは『友人の家です』とこれまた無機質な答えを返す。


『うそつけオトコの家だろー』

『ばれちゃった』


 スタンプは「名推理☆」とおどけている。もう少しネットミームくさいというか、オタクっぽい感じの文を書く人だと思っていたのだが、俺の偏見だったようだ。


『買い出し連れてってやんないからなー!』

『あのひとと行くので心配しないでください』


 こっちの家を引き払うわけでもなさそうだが、しばらく彼氏の家に泊まることにしたらしい。いきなりそこまで大きな決断をするなんて、いったい何があったのか……ご家族もそうだが、大家さんに相談しなくてもいいのだろうか。もしかすると、彼女が探索者になったのは、こういう突発的な決断が原因なのかもしれない。少しばかり失礼なことを考えた俺は、いやいや、とかぶりを振った。


 何かのキャラクターが悲しそうな顔をした、どうやらキャラグッズらしいスタンプは、「忘れないでね」と念押しをしていた。


『忘れないでね』

『昨日だ』

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