ある料理人と元騎士の話
たけ てん
第1話
「・・・タルツ、この10年くらいは楽しかったね。」
「そうだな。」
「俺は、もうこの国にいたくない。」
「そうだな。」
昔感じた底無し沼のようなドロドロとした感情が湧いてきて、吐きそうになった。
どこに行ってもこんなことになるのなら、もう、この国にいる意味はない。
俺たちは街を出て、そのままこの国を出ることにした。
ルスカート帝国。俺が生まれ育った国。そして俺が捨てる国。
これは男爵家の長男として生まれた俺が国を捨てるまでと、その後の話。
>>>タルツとの出会い
タルツと出会ったのは、俺がまだ貴族で13歳の頃だった。
剣技も魔術も、算術や経営も貴族だから習ってはいたが、特にこれといって秀でた才能はなかった。父の後を継いで伯爵にペコペコしながら従って生きていくことはできるだろう。
あぁ、私に剣か魔術の才能があれば、家を飛び出して冒険者にでもなったのにな。
もしくは経営の才能があれば、商人になったかもしれない。
15歳の成人まであと2年。タイムリミットは迫っていた。
確かに私は長男だが、2つ下に優秀な弟がいる。別に凡才な私が男爵を継ぐ必要はないと思っている。
かと言って、家を出て1人で生きてく勇気もない。
何か1つでも誇れるものがあったなら、違う人生だったんだろうか。平凡な自分が恨めしい。
そんなある日、父の視察という名の取り立てに付いて隣町までやってきた。
嫌な仕事は伯爵に押し付けられて、いつも父がやっている。
領民たちから恨みの目を向けられる父を見ていられず、私は逃げ出した。
森に入り、嫌なことを忘れるために深呼吸をした。
森はいいな。
嫌なことを全て包み込んで無かったことにしてくれる気がする。
私は窶れた姿で恨みの目を向けてくる者たちを忘れたくて、森の奥まで歩いて行った。
あの父の姿は、未来の私の姿なんだろう。
あんな目を向けられ、それでも伯爵には逆らえない。生かすことも殺すこともできないそんな生き地獄。
もう止めよう。考えるのはよそう。
こんな森ではなく、いっそ私のことを誰も知らないどこか遠くへ行ってしまいたい。
誰かが勇気のない私をどこかへ連れ去ってくれたらいいのに・・・。
ん?
これは血?
葉に血の跡が続いていた。
冒険者か狩人か、人じゃなくて獣のものかもしれないな。
でも、なぜか気になって、その血を辿って行った。
しばらく血を辿って行くと、血だらけの騎士服を着た男が、木の根元に力無く腰を下ろしていた。
「大丈夫ですか?」
領地の騎士だろうか?
「あ、あぁ、どうか、私のことは見なかったことにしてくれないか?
ここで力尽きるとしても、せめて騎士の誇りだけは守りたい。」
「分かった。」
『騎士の誇り』その言葉に惹かれた。
辛くて逃げ出したとか、そんなんじゃないんだろう。彼の真っ直ぐで澄んだサファイアのような瞳は、光を失っていなかった。
でも、何があってこんな森の奥に・・・。
「もう行ってくれ。私と一緒にいることが知れたら、君も危ない。もう、行ってく・・・・・」
言い終わらないうちにその人は気を失って、ゆっくり崩れ落ちた。
私は、先日習ったばかりのヒールを使った。
魔術の才能がない私のヒールなど、気休めにもならないかもしれないけど、この人をここで死なせてはいけないと思った。
魔術で水を出して、怪我をしている箇所を洗ったり、傷に効く薬草を摘んできて石で擦り潰して傷口に当てたりした。
しかしその人が起きる気配はなかった。
やはり、私では役に立てないか・・・。
私は無力だ・・・。
でも、心臓は止まっていない。呼吸は弱いが、まだ、助かるかもしれない。
日が暮れ始めたが、私はその場を動かなかった。
太陽が落ちた森は、昼間とは全然雰囲気が違った。あんなに清々しい空気だった森は、真っ暗で、全てを覆い隠してしまう。
空気もどんよりと重さを増していく。
その辺の落ち葉と、木の枝を集めて焚き火を焚いた。
攻撃の魔術なんかは使えないけど、指先に火を灯すくらいなら、私でもできるんだ。
風で揺れる木の影が、なんだかとても悍ましいものに思えて、小さな音がするだけで魔獣が出たのかと怯えたりもした。遠くで動物か魔獣の鳴き声も聞こえて、震えるほど怖かった。
気温もどんどん下がっていく。
「ウゥ・・・」
彼は少し苦しげな声を上げると、ゆっくりと目を開いた。
「分かりますか?」
「あぁ。それは君が?」
「焚き火ですか?えぇ。私が。」
「これは・・・。」
彼は薬草の汁を塗り付けた傷を眺めていた。
「あなたが眠っている間に、私がやりました。勝手なことをして申し訳ない。」
「いや、ありがとう。私は、どうやら君に助けられたようだ。
私の名前はタルツァーだ。元・・・騎士だ。」
「私はファルトゥーフです。
あなたのこと、聞いてもいいですか?」
これが、俺とタルツの出会いだった。
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