第3話 宇宙空間戦闘
歪
む
歪
む
歪
む
暗黒が支配する世界の一角にて、巨大な歪みが確認された。
近隣の宇宙ステーションやコロニー、惑星の群星圏観測施設でも、その異常現象が一様に確認された。
宇宙空間を流れる力、すなわち星々の引力や遠心力は星系の星々を規則的に動かし、そして群星圏を作り出している。時に星々を動かす力は『川』や『風』に例えられ、星系の間を流れるエネルギーの奔流として宇宙船の航行にも役立てられ、観測され続けている。
それらの川や風が、特定の区域にて突如として凪いだ。
川の中に突如として浮島が現れたかのように、曇天の中に光が差すかのように。
宇宙の一角にて、人の域を遥かに超えた力の奔流が、突如として消滅した。
群星圏の星々を動かす力の一部が流れを変え、宇宙ステーションやコロニー、宇宙船の多くが突如として航路の変更を迫られ、対策に追われることとなった。
一部の宇宙ステーションでは小惑星との衝突が避けられない事態となり、隣接する惑星国家に対し宇宙軍の出動を依頼することとなる。
結果として、その行為は星系の一部に住まう四千万人近い人口の生活に多大な影響を与えた。
それはテロ組織による過激なテロ行為でもなければ。
国家による、大規模な攻撃でもない。
たった一人の超人による仕業であるとは、『システム』に関連する者以外は知る由もなかった。
『
エルのヴェイルスーツが発動する異能の力を高め、空間を歪ませるエネルギーの全てを吸収し、紫の輝きが星のように瞬く。
エネルギーを吸収したことを示す紫の輝きはジェイルとの戦闘時とは比べ物にならないほどの輝きを見せ、あふれ出る紫電となったエルのヴェイルスーツから漏れ出す。
それは、ただエネルギーを補填する行為ではない。
宇宙に吹く風そのものを奪い___敵であるブラックバードが乗っていたエネルギーの流れを阻害することで、ブラックバードの機動力を大幅に削ぐものであった。
群星圏を飛び交う微細なデブリや小惑星の動きが一時的に停止されたことで、ブラックバードの戦闘機は動きの修正を余儀なくされる。
『航路変更要請を承認、航路の演算を再度要求する』
『演算進捗…………不明。
『ブラックバード全機、
力学の計算なくして、群星圏を動くことはできない。多少のデブリであればリブラで弾くことはできても、無数に漂う小惑星までも弾くことはできない。仮にレーザー兵器で全ての小惑星を破壊し突き進めば小惑星の爆発に巻き込まれ、それこそ航路が絶たれてしまう。
今ここに、超人の力は宇宙を駆ける死神たちを完全に足止めしてみせた。
そして、エルの作戦はここで終わりではない。
「そろそろ吸収限界だ。___
『いつでもいけるよ!』
「セーナも、いけるか」
「___大丈夫。やってみせる」
今ここに、二人目の超人が目覚めた。
OSのボディに手を添え、白き星がその本領を発揮し始める。
『
生きる星、母なる星とは異なる異星。
宇宙の新たな環境に触れたことで目覚めた、人類のごくわずかな者に発現する力、”異能”。
その中でも極めて特異であり、異能者を統べる存在となる、異能の中の異能。
それが、
異能の力を取り込むことを可能とする、人類の特異点。
セーナが生まれ持った力。
今ここに、白き力が目覚める。
セーナが取り込むことができるのは『異能の力』のみであり、エルのように宇宙空間を漂う星の引力を取り込むことはできない。
だが___エルがそれらを取り込んだことで、力は変質する。
ヴェイルスーツに取り込まれたそれは星の引力ではなく、エルという個人が支配する『異能の力』へと変換され、エル個人が自由に操る力として吸収されるのだ。
そして、エルのヴェイルスーツと接続されたOSのボディを通し、『白星』は力の吸引を始める。
セーナが吸収限界に達したエルのエネルギーの受け皿となり、容量の間エルはさらなるエネルギーの吸収を行う。
そして、本来の吸収限界の数倍、数十倍ものエネルギーを
もはやブラックバードの航路演算は未知の領域に達する。あらゆる力学を否定し
宇宙そのものに不可逆の影響を与えかねないほどの暴虐。
故に、『
故に、異能。
極限まで力を吸収し、新たな星の誕生と見紛うばかりに紫の輝きが放たれる。
近隣の宇宙ステーションからでも、僅かにその光は確認された。
星のごとき力を吸ったエルが、それらを解き放つ。
仮にその力を惑星の地表に向けていれば、隕石の衝突と同様の破壊がもたらされ、星の環境が悉く変質するであろう。
それほどの破壊力が今、十機の死神に向けて放たれる。
「役目を終えろ。ブラックバード」
緊急回避行動。
旋回した十機の機体は、それぞれが大きく距離を取り破滅から逃れようとする。
仮にそのエネルギー全てを放っても、広く散った戦闘機全てを射程に捉えることはできない。半分の機体が落とされても、残った半分で反撃ができる。
味方の損耗に対しても何ら倫理的な判断を下すことなく、回避行動を取る黒い翼。
そして、それらは全てエルの計算の内である。
『システム』に人格修正をされた戦闘員たちの考えを知り尽くすからこそ、その倒し方もまた、熟知している。
___星雲が、生まれた。
セーナに預けたエネルギーを再度『返して』もらうことで、刹那の間ながら許容量を大幅に超えるエネルギーを溜め込み、ヴェイルスーツの各所に亀裂が入る。
自爆を抑えるかのように放たれた紫色のエネルギーはブラックバードが展開していたエリアへと到達し、その黒い機体に直撃することは___なかった。
命中したのは、展開エリアに存在する最大の小惑星。
巨大な惑星にすら傷を与えるほどの威力が小惑星に命中し、全長数キロメートルの岩塊が猛烈な爆発と共に砕け散る。
空気がないため、飛び散った礫は一切減速することなく、周辺の宙域に破壊の雨をもたらした。
ある礫は他の小惑星を砕き、さらなる礫を飛ばした。
連鎖する衝突が、空気なき虚空に火柱を生む。
飛び散った礫の内、結果的にブラックバードの機体に届いた礫の大きさは精々が数十センチメートル程度のものであった。
だが、その速度は音速を遥かに超える。速度が減衰することがない世界において、たかが超硬合金の機体の頑丈性など、薄皮に過ぎぬ。
演算の大半が機能を失った機体に、従来の回避能力は見込めず。
『システム』最強の宇宙空間戦闘組織、ブラックバードはエース機の十機の内七機を
* * * *
エネルギーを使い果たし、宇宙空間を彷徨うエルを回収したセーナとOS。
吸収限界を超えたエネルギーを使ったことでヴェイルスーツが一時的に焼き切れた状態となっており、基本的な宇宙空間での生命維持のみが残された状態となっている。そしてスーツだけでなくエル本人への負担も相当なものであり、スーツを取り外した下に見えたポーカーフェイスにも、今は色濃い疲労の跡が見える。
「……って、鼻血出てるわよ。すぐに休まないと」
「想定の範囲内だ。君こそ休むべきじゃないのか」
「強がりも大概になさい」
セーナが軽くエルの胸を押すと、頑健な体を持つエルが全く踏ん張ることもできず、後ろに倒れる。横の揺れにすら抵抗できないほど、今のエルは弱っていた。
「私は異能者が保有する力___『プラクト』の総量を見ることができる。あなた、既にすっからかんじゃない」
「……隠せないな」
「抵抗せず黙って処置を受けなさい。それくらいの心得はあるから」
言うや否や、すぐに包帯や薬品を取り出し頭部の出血や被れた皮膚の処置を済ませていくセーナ。手際はよく、的確に傷口を塞いでいった。
最後にティッシュで鼻血を拭き取り、肩を貸して倒した椅子まで運ぶ。
その遠慮の無さに、当のエルも困惑する。
「……なに?」
「優しいんだな」
「不親切にする理由がないんだから、親切にするのは当たり前よ」
「君はきっと、元から優しい人なんだろう。システム出身者とは思えない。さっきも……ブラックバードを壊滅させたことに、心を痛めただろ」
弱弱しくても、その目はやはり刃のように鋭く、見た者の瞳の奥底を覗いているようだった。
奥底にあるものを見通すことができない、深い深い、その眼差し。
セーナは、目を離すことができなかった。
「今でも、ジェイルを殺したことの嫌悪感を捨てられていない。生きるために殺したことを、悔いている」
「覚悟ができてないって、言いたいの」
「……違うさ」
震える手を隠すように、セーナは俯く。
それを全て見越した上で、エルは目を閉じた。
「どうか、そのままで」
「……え?」
「どうか、変わらないでくれ。俺みたいには、なるなよ」
言葉の真意を訊き返そうとは、思えなかった。
目を閉じ疲れを癒す恩人に、これ以上負担はかけられない。
何より、訊き返すにはまだ彼の事を知らなさ過ぎる。
きっと歳もそこまで変わらないであろう、微かに幼さを残した寝顔をまじまじと眺め、セーナもまた休息を取る。
「OS、私の端末をオンラインにできる?」
『もちろん! 暗号化もバッチリだから、安心していいよ」
「ありがとう」
『システム』に属する者は、あらゆる情報を全て特定のデータベースに保存される。当然ながら離反者のセーナには制限がかけられているが、それらの妨害を突破して盗み見る程度のハッキング技術は逃亡生活の中で身に着けている。
ブレイド・エル。その正体を、セーナは探り始めた。
* * * *
『システム』の組織構造は国家機関や軍事組織、民間企業とは大きく異なる。
統率者はおらず、最上位の権限管理者『七星』と呼ばれる七名が各々の命題に従い、下位の構成員を動かすことで組織は動いている。下位の構成員は特定の七星の部下というわけではなく、次々と発動されていく様々な『計画』に応じて必要な構成員が集められ、計画の成就のために一時的に組織として結成されることとなる。
『ブレイド』のような個人単位のエージェントもいれば、『ブラックバード』のように組織単位の構成部隊もおり、彼らはシステム傘下の直轄構成員として組織の手足となって活動を続ける。
そして、直接の傘下ではなくともその権力と財力を動員すれば宇宙を股にかけて経済活動を続ける巨大な企業集合体『財体』や、国家を間接的に動かし計画に組み込むことも可能である。
大きく分けて三階層の組織構造となっている『システム』には数多くの計画が存在し進展しているが、それらの目的は単一に絞られる。
すなわち、人類の
星系各地に散り、新たな星々を得たことによる環境の多様化。
未知の資源と長らくの放浪の旅がもたらした、科学技術の発展。
そして『異能』を始めとする、新たな人類の規格。
もはや地球で生きていた頃とは、現生の人類は何もかもが異なる。
日々受け続ける星の重力、宇宙から飛来する放射線、地球とは異なる大気構成___様々な要因が人の体を年月と共に書き換えていった。
背丈が巨体化した巨人の星、逆に小型化した小人の星もあれば、水中に住まう星、火山に住まう星、空を飛び続ける星もある。一部の星には、先住生命体と交わった半人の新種族が誕生するに至っている。
環境の変化がもたらした人類の変異は、進化論の突然変異説のごとく人類という生命種を新たなステージへと進めつつある。
そんな数万年単位の移ろいの中、それでも尚人類が分離し続ける生物種ではなく、単種の生物の群体として生きていけるよう。
人類の分離、すなわち進化を妨げず多様性を保持しながらも。
その存在を決して分かたれることなく、繋がり保持し人類という単種の生命が深化するために。
『システム』の基盤となった組織を作ったとある富豪はこの理念と莫大な遺産を遺し、組織を作ったという。
「どこまでも人のために、人という種のために。その答えの一つが、人以外のものを管理し、取り込むことだというのね」
そうして発展した、現在の『システム』の最高傑作。
人の新たな形。
人の真なる形。
人ならざる身にて、人の極致。
エルをはじめとする、計二十六名の選ばれし超人。
彼らは決して、生まれながらの超人ではなかった。異能を持たぬ、懸命に星の表面を歩くだけのか弱い生命だった。
だが、その力が___ヴェイルスーツが、全てを変えた。
その正体は流体ナノマシンとして機能する、とある超古代生物の細胞である。
「星系文明初期に存在した超古代文明、それを滅ぼした一体の怪物。宇宙の彼方から飛来した、超生物、その死骸……それを人の身に宿し、強制的に異能を与えられた存在が、ブレイド」
ブレイドとして選ばれた者は、多くが人の域の極限に達した者であるという。
例としてブレイドのコード『J』のジェイルは、かつて犯罪組織が支配した星にて、たった一人でその組織の構成員を殺して回った稀代の殺人鬼であったという。星を支配する悪を憎み、人々のためにたった一人で血に染まった英雄として、その星においては歴史に残る存在であった。そんな人物を拾い上げ、力を与えシステムの執行者として正義を行わせたのだ。
人の極限に達した者に、さらなる力を与え、人ならざる域にて人として生かす。
それが、人類の進化と深化を目指す上で、重要な指標になると七星の誰かが考え、ブレイド計画は実行された。
ならば、エルは。
離反者故か、その情報はセーナであっても抜き取ることが叶わなかった。
たった一人で、この計画を半壊させた、怪物の中の怪物。
その男は今、セーナの横で大人しい休息についている。
宇宙船は既に群星圏の中心部に位置する大規模宇宙ステーションに近づいており、停泊の準備に入っていた。
ようやく、広々とした空間で足を延ばすことが叶う。
『停泊中の宇宙船警護は僕がやるから、二人は安心していいよ! 何かあったら、僕の名前を呼んでね』
「ありがとう。OSは優しいのね」
『そう感じてくれると嬉しい。僕の人格は、エルから学習して生まれたものだから、エルが褒められたみたいに感じるよ』
「……彼を、学習したのね」
「余計なことを言うな、OS」
眠っていたかに見えたエルだったが、目を瞑ったまま刺々しくOSを蹴り飛ばした。コミカルに吹き飛んだOSは宇宙船内を『ワー!』と言いながら転がった後、再びセーナの横に落ち着く。
「…………寝て、なかったのね」
「目を閉じたのは単に回復効率がいいからだ」
「あの傷でよく意識が保てるわね」
「ヴェイルスーツの機能だ。ある程度の傷は自動で修復するようにできている」
そう言って、エルは砲撃を放ったことで最も損傷が酷かった手の平をセーナに見せた。処置をした際には焼け爛れた悲惨な状態となっていたのだが___
再び目に映った手の平は焼け爛れた痕がなくなり綺麗な状態であったが、代わりのようにいくつもの亀裂のような模様が入っていた。よく見ると、鋼色の機械じみた色合いをしている。
「ブレイドの体は、既にヴェイルスーツを構成する生体ナノマシンと融合している。破損した細胞は直ちにナノマシンによって補強される仕組みだ」
「それだとナノマシンが足りなくなるんじゃ?」
「ヴェイルスーツは元は生物の細胞だ。栄養を取り込めば分裂して増殖する。情報には既に目を通しているだろう」
そう言いながら、ブレイド専用の高濃度栄養剤を口にするエル。セーナが既にシステムの情報を読んだことも既に見越していた。
なんでもかんでも見越しているかのようなエルの態度が……セーナは少し、面白くない。
「ブレイドはみんなあなたみたいな感じなの?」
「……何がだ」
「無愛想、一方通行、デリカシー皆無。総じてコミュニケーション能力の欠如」
「必要な会話は十分に、」
「してないわよ。あなた、私のことは知ろうとしないのね」
「システムのデータベースで事前にある程度は」
「気を遣えないやつ。こんな狭い船内で会話すらしないなんて。気まずいったらありゃしないわよ」
「……宇宙ステーションに降りたら、何か食べたいものとか」
「もう手遅れです! 食べたいのはフライドポテト、以上!」
不貞腐れたセーナはそのままエルの逆方向を向いたまま黙ってしまった。流石に自身にも非があると認めざるを得なかったのか、エルの表情にも僅かな困惑が浮かんだ。
それが、二人が初めて、今の立場を気にすることなく交わした会話だった。
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