LOS(エルオーエス)
八山スイモン
第1話 ブレイド《エル》
時速200kmを超える速さで走る車の中で、白髪の少女セーナは小さな背丈に似合わないハンドルを右手で握りながら、左手で右腕の銃創を抑える。
深い森林を覆い隠す霧雨は僅か五十メートル先すら隠しており、その速度での走行がいかに危険かは言うまでもない。僅かな角度の差だけで、崖からの転落や樹木への激突が起きうる。だが、車窓に幾重にも撃ち込まれた弾丸の痕を見れば、命の危険を冒してでも急ぐべきであることは明白であった。
車の後ろから迫るは同じ速度で走行を続ける6台の車と10台以上のバイク。どれも一般社会では決して見かけることのない軍事用のものであり、車窓からはアサルトライフルを構えた兵士が顔を出している。
そして、容赦なく放たれる弾丸の雨。戦車が通ることも想定された強固な道路すらも抉る威力を持った凶悪な暴力が風を切り、逃げる車の各所に凹みを作っていく。既にバックミラーは撃ち抜かれ、後部座席の窓は破片と化した。逃げ惑うセーナにはもはや反撃する弾丸が残っていない。
「死んで、たまるか……! こんなところで!」
気丈に言い放った言葉も、すぐにその意味を失った。
放たれた弾丸がタイヤに穴を空け、ハンドルの操作を奪われてしまう。
制御を失った車はすぐに道脇の壁を擦り、やがてガードレールを突き破り崖へと落下していった。
* * * *
「果敢な逃避行でしたね、セーナ様。ですが役目を忘れられては困る。他者を困らせてしまった代償とは、こういうことです」
追手のリーダーと務める仮面を被ったスーツの男が押さえつけられたセーナの顔を傲慢に見下ろす。
銃創による出血と痛み、そして車の落下に伴う全身の打撲と頭部からの出血により、既にセーナの意識は朦朧としていた。
それでも___今の自分の至上命題を思い出し、この状況でもなお仮面の男を睨みつける。
体が動けなくなってもなお、上から男を見下していた。
「人工生命とは思えないほどの自我の強さには感嘆せずにはいられませんね。そして思ったより頑丈で安心しました。あなたには生きてもらわねばなりませんので」
「捕らえて全てを奪うことが"生かす”ことだとでも思ってるのね。やっぱりあなたは『欠陥品』よ、ジェイル」
ジェイルと呼ばれた仮面の男の表情は見えない。
だが僅かな沈黙が、その男が確かに『人間』であることを物語っていた。
「……生かす必要はありますが、あくまで肉体と脳が機能していれば問題ありません。黙ってもらうためにも、とりあえず首は切り離しておきましょう」
「___!」
「生命維持ユニットに繋げれば、臓器だけの状態でも『生かす』ことは可能です。次に目覚めた時には役目を全うなさるよう願います、セーナ様」
ジェイルが腰から機械剣を取り出す。
通常の刀剣とは異なり、高周波振動によって対象を切断する振動剣。切断能力は無類であり、防刃シールドでも防ぐことができない。
未だセーナには身を守る術一つなく、今の状態でも既に瀕死である。
薄暗い森の闇が、徐々に広がるように感じた。
「どうか悲しまないでください。役目を果たすこととは幸福そのもの。人の幸せとは、そういうものです」
迫りくるギロチンの刃。受け入れざるを得ない、死。
___だが、突如巻き起こった爆風と衝撃が、全てを吹き飛ばす。
「__________⁉」
爆発と轟音。
セーナの腕を抑えていた兵士も、周囲に散開していた兵士も、そして処刑人であるジェイルさえも、凄まじい衝撃によって吹き飛ばされていた。
自身を抑えつけていた者と共に吹き飛ばされたセーナは、衝撃が収まった中でなんとか立ち上がり、立ち込める土煙に立つ人影を見つけた。
「……誰?」
その人物は、奇妙な出で立ちをしていた。
人の形をしているが、全身を覆う白と黒の鎧は一片の隙間なく全身を覆っており、それを纏う人物の情報を一切与えない。ロボットか何かにも見えたが、動きの滑らかは人のそれだ。
「これは驚いた。まさかあなた……『エル』ですか?」
衝撃によって飛ばされた兵士たちが倒れ伏す中、最も強く吹き飛ばされたであろうジェイルは平然と起き上がりこちらに歩み寄ってくる。半分ほど剥がれた仮面から覗いた表情は処刑人としての感情の抜け落ちた顔ではなく_____まるで肉食動物が狩りの対象を見つけたかのような、好奇心溢れる笑みを浮かべた。
「モノクロ色のヴェイルスーツ……なるほど、あなたが"裏切りのブレイド"ですか。ようやく私の出番が回ってきたのですね」
「哀れだな、ベルトス・ジェイル」
モノクロ姿の鎧の男は、男の声をしていた。
最初に放たれた突き刺すかのような言葉に、ジェイルの表情が消える。
「他者を弄ぶお前自身が、弄ばれることを受け入れるとはな」
「……それは捨てた名前だ。ベルトスなどという愚かな賢者は、もう存在しない」
「楽にしてやる。かかってこい」
有無を言わせぬ鎧の男の言葉に、ジェイルは怒るでもなく、腕を広げ興奮を肉体で体現していた。
ジェイル腕を広げると、突如としてスーツの下から液体のように蠢く流体性の物質が湧き出した。金属質の質感を持ったその物質はベルトスの全身を覆うと、やがて鎧の男と同じように光沢のある鎧となった。緑と黒のグラデーションカラーを纏い、鋭利さを備えた姿は、この森の死神のようにも、森に住まう魔物のようにも見えた。
「ブレイド同士の対決を体験できるとは。実のところ、あなたのことは羨ましく思っていましたよ!」
ジェイルが踏み込み、二人の腕が衝突した。
車が正面衝突したかのような衝突音。踏み込みの速度は人間の限界など遥かに超越し、鍔迫り合いを続ける二人から発し続けられる音響は猛獣ですら恐れをなして逃げ惑うほどのものであった。
そして始まる、超人同士の格闘戦。
回し蹴りの一撃が受け止められ、衝撃がセーナと周囲の兵士たちの体を浮かした。
反撃の拳が三度受け止められ、衝撃が森の木々を揺らした。
突き出された肘が受け止められ、踏ん張る足が地面にめり込んだ。
両雄の拳が真正面から衝突し、両者は数十メートルも吹き飛んだ。
計測不能の力がぶつかり、高度な格闘技の応酬が繰り広げられる。
僅か1.6秒の間に、至近距離で大砲が撃ちあったかのような色濃い戦いの痕が森に刻まれた。
「卓越した戦闘センスと近接戦闘能力‼ いいですねぇ、いいですねぇ‼ やはり戦いとは、そういうものでなくては‼」
「戦いが楽しいか、ベルトス・ジェイル」
「ブレイドでありながら戦いの悦楽すら理解できないとは。裏切り者の感性とは、やはりその程度のものということですね」
跳び上がる二人。跳躍は高さ五十メートルに達し、空中で再び技の応酬が始まる。
セーナにとっては目で追うことすらできないぶつかり合いは猛烈な打撃音を轟かせ、一撃で戦車すら叩き潰す攻撃が何十回にも渡って相殺され続けた。
二人はやがて組み合ったまま崖の斜面に落下するも、その衝撃がなんともなかったかのように平然と立ち上がり、再び相対した。
「流石は天才。単純なスペックでは私より遥かに上のようだ。余裕がないようで癪ですが、戦いとはそういうもの。奥の手は切れるうちに切っておきましょう」
ジェイルのスーツが輝きを帯び、金属質の体表が不規則に蠢き出す。蠢きはやがて落ち着いていったが、微細な振動音が鳴り始め、ベルトスの立っていた地面が砂と化して崩れ始める。
高速で間合いを詰めたジェイルが繰り出す拳撃。鎧の男は難なくそれを防御するが、拳を受けた鎧はひび割れ、男は弱弱しく膝を突いた。
「……っ」
「高周波振動による
続けざまに撃ち込まれる連撃。一秒間に十二回もの打撃が叩き込まれ、その度に常人であれば内臓が破裂するほどの衝撃が鎧の男の体内を巡る。
「あぁ、これだけ打ち込んでも立ち上がる、立ち上がる‼ なんという生命力‼」
「力の使い方がデタラメだ。こんな使い方をすれば、振動がお前自身にも返ってくるだろう」
「あなたを叩き潰す喜びのためであれば、正当な代償と受け入れましょう」
鎧の男の言う通り、ジェイルもまた振動によってふらついていた。恐らくは、軽い脳震盪の状態となっているだろう。
「僅かな時間ですが、久方ぶりの闘争は快感でした。では、最大の敬意と、最大の侮蔑を込めて、あなたを殺すとしましょう」
跳び上がるジェイル。鎧の輝きがさらに光を放ち始め、不気味な振動音がさらに細かく刻まれ始める。霧の森を晴らす緑色の光が鳴動し____強烈な振動波が地面に立つ鎧の男へと降り注いだ。
それは触れれば鼓膜が破れるどころか一瞬で頭蓋骨が砕かれるほどの破壊の奔流であった。攻撃を受けた地面や木々すらも粉々に砕かれ、砂嵐となって周囲を砂塵で覆い尽くした。
単なる空気の振動であるにも関わらず、大地を掘削していく圧倒的な破壊力。
生物どころか星の存在すら否定するかの如き攻撃の中_____
鎧の男は、砕かれていく地面に立ちながら、平然と上を見上げた。
「……⁉ バカな、ヴェイルスーツすらも破壊する振動波だぞ‼」
鎧の男のモノクロ色のスーツもまた、透明な光を放ち始めていた。蠢くスーツの表面は浴びせられる振動をものともせずに力強く鳴動し、スーツ全体に紫色の光を浸透させていく。
ベルトスが攻撃を止め、地面に降り立つ。圧倒的な破壊力をもたらす振動波を放った代償として、既にスーツを覆っていた緑色の光は消え失せていた。
「なるほど、衝撃の吸収ですか‼ 相性最悪とは、処刑人の仕事とはそういうもののようですねぇ‼」
「吸収だけじゃない。終わりだ、ベルトス・ジェイル」
全身に走る紫電に満ちた、スーツによって吸収された衝撃のエネルギー。
力はやがて鎧の男の右手に凝縮されていき、戦いの中で蓄えられた衝撃が迸る紫電となって放たれた。
宇宙船の分厚い装甲すら一瞬で撃ち抜く絶大なエネルギー。両手を交差させ真正面から受け止めるベルトスの鎧すら、衝撃によって徐々に剥がれ落ちていく。
「くっ……フハハハハハッ‼ 素晴らしい、実に素晴らしい‼ なるほど、私ではやはり勝てないようだ‼」
ジェイルは既に鎧の大半を失い、顔の半分以上が露出した状態であった。口から零す血は負った傷が致命傷とまではいかずとも、十分に戦闘不能状態と呼べる重傷の状態であったが、それでもなおジェイルは嗤い続けた。
「仕方ありません。あなたを殺すことはできませんが、せめてセーナ様だけでも連れ去るとしましょう。満身創痍の状態であっても、か弱い少女一人であれば_____」
そこで、ジェイルの言葉は途切れた。
代わりに零したのは、大量の吐血。
首を貫いた高周波ブレードは僅かな抵抗もなく肉を食い破り、その命脈を確かに断ち切った。
「あなたは、そのか弱い少女に殺されるのよ」
ジェイルは振り返ることもできず首を落とされ、血飛沫と共に崩れ落ちた。
ブレードを構えたセーナの長く美しい白髪に、血の雨が降り注ぐ。
「はぁ……はぁ……」
セーナはブレードを捨て、弱弱しくも立ち上がりこちらに歩み寄るモノクロ色の男へと近づいていく。
周囲に散開していたジェイルの兵士たちも、指揮官の欠損に伴い撤退しており、既に追手の影はない。
男は戦闘が完了したことを悟り、鎧を外し始めた。
鎧は部位ごとに分かれることなく、液体のように蠢き、男の肌の内側へと消えていく。中から現れたのは、引き締まった黒いミリタリーウェアに全身を包んだ、青髪の男。
露わとなった素顔は身長に反して幼さの残る、まだ青年と呼べる姿であった。
壮絶な戦闘後にしては落ち着いた表情をしていたが、くすんだ青髪以上に際立つ赤色の瞳からは強い意思を感じずにはいられなかった。
向かい合う二人。
紅と青、見つめ合うセーナの青い瞳と、青年の赤い瞳。
霧に包まれた深く暗い地で、彼らは出会ったのだ。
「私はセーナ。助けてくれたことに感謝します。あなたの名は?」
「エル。ブレイドナンバー12番、コードネーム《
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