蝶々に結ばれて

オオツキ スミ

第1話 【その蝶は待っていた】

「虫と人間が戦争を始めたら、君はどちら側に付く?」

「どちら側って聞かれても、どう考えても俺は人間側だろ」

「それは今までは君が人間だったからだよね? 人間の世界に深く染まっていて、もちろん人間の知り合いも多い」

「これからも人間でいるつもりだけど」

「無事に元の身体に戻れたとしてもね、君は僕たちの世界を知ってしまったんだよ」


 馴染みのコンビニの天井にはモンシロチョウが止まっている。この店の防犯カメラを覗いているように、店内を動き回る利用客やスタッフの動向が見て取れる。


「僕たちは勝つために着々と準備を進めているんだ」

「このコンビニで?」

「たまたま今はコンビニにいるけど、世界中に仲間がいる。ほら、あの値札を見てごらんよ」

「どの値札?」

「どれでもいい。僕たちの仲間がメッセージを送っている。例えば500mlの清涼飲料水……128円。ポテトチップス158円。まだまだあるぞ、アイスクリーム198円に、サラダ398円、それに――」

「それのどこが仲間からのメッセージなんだよ」


 そのモンシロチョウの横で、カヤノは同じように天井にはねを落ち着けていた。学生が真下を通りどきりとするが、手で顔を仰ぎながら、真っ直ぐに冷えた飲み物を取りに行った。


「分からないのか。末尾の8の数字……あれは近いうちに戦争が起こるから備えておくように、と僕たちに向けられた暗号なんだ」

「そんなわけないだろ。あれはただの商品の値段だ」

「異常だとは思わないの? こんなにも世の中に8の数字が溢れているのに。7でも9でもなくて、8なんだよ?」

「きっと何か意味があるんだよ」

「そう。その意味が戦争――」

「話が飛躍すぎ。虫と人間がそもそも戦争なんかするわけないだろ」

「君が気づいていないだけで、すでに戦争は始まっている。仲間が一方的にはたき落とされ、罠を仕掛けられ、住処を奪われていって……いつまでも黙っているとでも思ってる? こっちには火の中に突っ込むような馬鹿もいるんだぜ」

「蛾のことか?」

「あいつらは本当に馬鹿だから何をしでかすか分からない。僕たちの忠告なんて無視するからね。あいつらは蝶が嫌いなんだ」

「姿が似ていても、仲が悪いんだね」


 蛾と蝶の区別の方法はいくつか存在するらしい。壁に止まったときにはねを開いているかどうか。目の前にいるモンシロチョウは翅を閉じて止まっているけど、その区分方法に当てはまらない種類の蝶もいると聞いたことがある。


「君にも一応、今は蝶だから忠告しておこう。勝てない戦いに挑むな。はねを閉じろ」

「俺は戦争なんて馬鹿げたことはやらない」

「始まってしまったら馬鹿げていてもするんだよ。蝶の僕と人間の君が、こうやって会話をしているようにね」

「それは君が話しかけてくるからだ。元の身体に戻る方法を知ってるんだろ?」

「知ってる」

「じゃあこんなところで遠い未来に起こるかもしれない戦争の話なんかしてないでさ、早く元の身体に戻りたいんだけど」

「残念だよ、君は知りすぎたんだ……」


 モンシロチョウの声のトーンが明らかに変わる。


「なんだよいきなり怖いこと言って……。君が勝手にぺらぺらと喋ってきたことだろ?」


 自動扉が開いて数人の利用客が入ってくる。店の外から熱気が入り込んできて、室温がぐんと上がった。


「最期に言い残すことはあるかい?」


 まるで悪役の台詞じゃないか。人間と虫が対立しているとすれば確かに知らなくてもいいような話を聞いてしまった。

 カヤノは人間側だと答えたし、戦争の準備をしているらしいことも聞かされた。


「待ってくれよ。いきなりそんなことを言われても……」

「僕はある」

「あるって、何が?」

「最期に言い残しておきたいことだよ。……今週ののジャンプ、読みたかったなぁ、だね。君は先の展開どうなると思う? 味方と思っていた人物に裏切られて窮地に立つ主人公。ジャンプってやつは、いっつもいいところで終わるんだ」

「蝶ってジャンプ読むの?」

「人間は読まないの?」

「読むけどさ、君は蝶だろ?」

「敵を知ることは戦いを優位に進める上で大切なことだよ。戦争はすでに始まっているんだから。このコンビニはね、立ち読みができるんだ」

「知ってるけど……」


 カヤノの自宅からこの店に来るまでの途中には、他にもコンビニが数店舗あるが、知名度に比例するようにしっかりと封がされている。


「いつもはこの時間には来るんだけどな」

「誰が?」

「常連のお兄ちゃん。いつも立ち読みしてから買って帰るんだ」 

「まさか、今週のジャンプを読むまでここから動かないつもりか?」

「もちろんそうだけど? もしも僕がこの場所から離れている間にそのお兄ちゃんが来たらどうするのさ。それに今の時間は外に出ないほうがいい。本当に死んじゃうよ? 今の君は蝶なんだから」


 窓から見える向こう側の景色は、照りつける日差しが通りに陽炎を作り出し、行き交う人間たちが流れ落ちる汗を拭いながら、その中を突き進んでいる。


 通りを歩く人の影に死の気配が見えた。この暑さでは無理もないだろう。それでも――


「元の身体に戻れたらジャンプを読みに来るから」


 その世界が終わってしまう前に、その声を聞きたいと思ってしまう。


 たとえ世の中の喧騒に掻き消されてしまうほどの小さな声でも、その声を聞いたところで結果が変わらないことを知っていても、小さな蝶の羽ばたきが、いつか遠くの地に大きな風を巻き起こすことを信じて……。

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