怪盗令嬢トリッカー
石田空
アリンガム家の娘の秘密
1
夜の王都はガス灯で明るい。その中、護衛銃騎士団がバタバタと走っている。
「こちら一班、配置終了しました!」
「こちら二班!」
大通りは既に店じまいされてしまい、人通りは途絶えているものの、銃騎士団だけは並んでいる。彼らが物々しい動きをしているのは他でもない。
予告状が届いたからだった。
【ヨハネの『祈り』をいただきます☆ 怪盗トリッカー】
あまりにも軽く書かれているそれは、巷で有名な怪盗のものであった。
神出鬼没。快刀乱麻。
かの怪盗のことは好き勝手に新聞を賑わせ、それが余計に王都の銃騎士団を苛立たせていた。
怪盗トリッカーが予告状を出した品は、必ず盗まれてしまう。そのあと、闇市に出展されるのではと警戒されていたが、そこにも品はない。つまり、盗まれた品は忽然と消えてしまうのだ。
しかも盗み出すものにも脈絡がない。
有名な絵画の場合もあれば、無名の新人陶芸家の作り出した壺の場合もあるし、時にはその家の家宝と言ってもおかしくないものまで盗まれてしまう。
ただの愉快犯なのか、訳ありなのか、なにやら裏に潜んだ物語があるのか。その謎めいた雰囲気も相まって、予告状が大々的に出された屋敷には新聞記者たちまでやってきて、このところ銃騎士団の仕事は仕事どころではなくなってしまっていた。
「今夜こそは、怪盗トリッカーを逮捕するぞ!」
「はっ!」
銃騎士たちの怒りもストレスも、最高潮に達しようとしていたのだった。
****
一方時計塔の下、人が集まっているのを「ひぃ……」と息を殺して見下ろしていた。
クラシックバレエのチュチュに似たドレスを纏い、髪をひとつにアップにまとめ、顔をすっぽりと仮面で覆っている。手には真っ黒な手袋。
(最近ずっと新聞記者がうろうろしていると思ったら、次々と記事に書くから……おかげで銃騎士団のストレスが高まっちゃってるんだ……困ったなあ)
怪盗トリッカー。予告状に書かれたその名前は、祖父によって適当に付けられた名前であり、本人が名乗りを上げた訳ではない。
彼女だって、どうしてこうなってしまったのか、未だに訳がわからずやっているが、それでも責任は取らないといけなかった。
(わがままや文句を言っていても仕方がないもんね……やらないと)
彼女は覚悟を決めて、時計塔の影から躍り出た。
普通の少女であったら、時計塔から飛び降りたら投身自殺ではないかと危惧するが。彼女が飛ぶと、それはまるでバレエの跳躍のように美しく、羽根のように体重を感じさせないものへと変わる。
彼女は目的の屋敷の屋根へと飛び、窓縁に触れた。
予告状を出されているのだから、どこの窓も鍵をかけられているはずだが、彼女が触れた途端にカチャリと音を立てて鍵が外れてしまった。そのまま窓を開いて中へと転がり込む。
彼女が走ると、足音が不思議と立たない。
(急がないと……!)
そのまま駆け出しはじめた。
怪盗トリッカー。謎多き王都を騒がせる怪盗の正体は、ただ王都で暮らす夢見勝ちな令嬢である。ただ、家がちょっとだけ訳ありだという、それだけの話だ。
****
怪盗トリッカーが王都で華々しく活躍し出す数か月前。
アリンガム家では恒例の大掃除が行われていた。
「ゲホッ……どうしてこの倉庫は使用人が掃除してはならないの……っ!」
亜麻色の長い髪は、普段であったら綺麗に編み上げているが、今日は三角巾の下だった。汚れてもいいように古着を着て、その上にエプロン。通っている王立学園の同級生に見られたら「これだからアリンガムは落ちぶれたんだ」と鼻で笑われそうだと、密かに臍を噛んだ。
末娘のイヴリルの抗議を祖父のアラスターは「ほっほ」と笑った。
「本当に大切なものは、身内で見ないとわからないものだからね。なにより、大掃除の日に暇なのは我々だけなのだからしょうがあるまい」
両親は仕事で郊外に出かけ、兄や姉たちは夜会の準備で忙しい。まだ社交界デビューも決まっていないイヴリルにはよくわかっていないが、夜会の行動ひとつで家が傾いたり逆に出世が決まったりするらしい。
だからこそ、使用人たちすら立入禁止の倉庫の掃除は、既に家督を譲って隠居しているアラスターとまだ夜会に参加資格のないイヴリルしかいなかったのである。
しかしふたりだけで掃除するにしては、物が多い上に、そこそこ見る目を養っているはずのイヴリルにすら価値がよく見出せない物がたくさんあるように見えて、どうしてこれらを先祖は後生大事にアリンガム家に継承させているのかがわからない。
「でもおじい様、このいつ壊れても問題なさそうなもの、後生大事に抱えてどうなさるんですか? お兄様がこれらを継いで意味があるのかどうかが……」
「そりゃそうだね、今のご時世ではあまり意味のないものだからね」
「……意味がないのに、継承させるんですか?」
「今のご時世ってだけだよ。必要になるかどうかも、私ではわからないから」
アラスターの言葉に、ただただイヴリルは首を傾げた。
(歴史的に価値があるってことなのかしら……でも見た限り、有名な芸術家がつくったものでもなさそうだし……歴史的に価値がある技術でもなさそうだけれど……本当に?)
王都で生きていく以上、年相応には英才教育を受けているはずのイヴリルですら、倉庫に保管されているものの数々の価値が見出せず、ただ困惑しながら掃除を続けていた。
棚の埃を埃たたきで落としていき、床をモップで磨いていく。棚に載っているものを、掃除の済んだ場所に移動させ、溜まっている埃を拭き取っていく。単純作業だが、なにぶん倉庫が広い上に、物が多いものだから、たったふたりで本当に終わるのかどうかも怪しい。
終わりの見えない作業にうんざりしつつも、今度から掃除をしてくれている使用人たちにはもっと優しくしないとと心に決めるイヴリルは、ようやく棚を一列掃除を終えて、次の列へと進む中。
「あら……?」
綺麗な化粧箱を見つけた。極東風に模様が塗りこまれた木製の化粧箱は物珍しく、現代使いが普通にできそうなものだった。
「素敵……でもどうしてこんな綺麗なものが倉庫に?」
塗りが美しく、幾何学模様も植物らしき模様で見栄えがいい。それを持ち上げて、アラスターに持って帰っていいか聞こうとしたとき。
その化粧箱が「カチャッ」と音を立てた。
「あら……?」
よくよく見たら、この化粧箱には仕掛けが施されているようで、順番通りに開けないとそもそも中身が確認できないような代物だった。
「塗りも綺麗だけれど、仕掛けまで施されているのね。でもそこまで厳重に中身が出ないようにしているものって、いったいなんなのかしら」
いい加減単純作業に飽き飽きしていたイヴリルは、こっそりとアラスターの現在地を棚の間から顔を覗かせて確認した。イヴリルの掃除している現在地より反対側をモップで拭いているのを確認してから、化粧箱の仕掛けを解く遊びをはじめた。
天井と蓋を確認したり、側面が開くかどうか、引いたり押したりして確認していく作業は面白く、まるでパズルみたいだと息を弾ませる。
何度か挑戦していく内に、だんだん仕掛けが解けていくのに気付く。そして。
「あっ、やった! 開いた!」
カチャンッと音が開いて、とうとう化粧箱は開いた。
なにが入っているんだろうと、ワクワクしながら中を開いた途端に、薄暗いはずの倉庫全体が光り輝くほどの光量が、化粧箱から溢れ出た。
「えっ、キャア……!」
「むっ、イヴリル!?」
光の洪水には、さすがに別の棚の掃除をしていたアラスターも気付いて駆け寄ってきた。そして、光が溢れ出た途端に、倉庫の中身がフワリ……と浮き上がるのを確認した。
「……なんということだ」
倉庫のなにがなんだかわからない品々は、止める間もなく全て浮かび上がったと思ったら、光が消えるのと同時に忽然と姿を消してしまった。
辺りは元の薄暗い倉庫になったと思ったら、あれだけひしめき合っていた棚が空っぽになってしまった。
「あ、あの……おじい様……?」
「……イヴリル、お前は大変なことをしてしまったのだよ。いや……このことを伝えていなかった私の責任かな」
「え……?」
訳がわからず、イヴリルはペタンと尻餅をついてしまった。
おろおろとしている彼女に視線を合わせるかのように、アラスターは膝をついて言い含める。
「あれは我々の先祖の品。それの封印が解かれて、王都中に散らばってしまったんだよ?」
「王都中にって……今、品が全部浮いて……」
「あれは魔道具。我らの先祖は、代々王宮魔術師だったからね」
それにイヴリルは口をポカンと開いてしまった。もし化粧箱の仕掛けを解かなかったら、アラスターは自分をからかっているのだろうと思って笑い飛ばしていただろうが、現状空っぽになってしまった倉庫を見て、とてもじゃないが「嘘だ」と一蹴することができない。
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