8.連理の枝
まずい、お父様にたっぷり一時間は絞られる、もう二度とハシゴには登らせてもらえないかも知れない、まだ庭の木を剪定し切れていないのに、というか、この声、なんかお父様に似てないような。
まったく反省の色のないことをつらつらと一瞬で考えたのち、シルビィは着地した。
あまり痛くはなかった。
地面との間に大きなクッションがあった。
「お義父様からこちらにいると聞いて来てみれば……私の心臓止める気です?」
「テオ様」
シルビィはテオドールを下敷きにしていた。
二人の元に、メアリーが青い顔で駆けてくる。
「申し訳ありません、スターロン嬢。
虫が落ちてきたので、びっくりして一瞬ハシゴを離してしまったんです。
おケガはございませんか?」
「わたくしが勝手にやったことですから。お気になさらないで下さい、王女殿下。
冷や冷やさせてしまって、こちらこそ申し訳ございません」
帽子を渡すために立ち上がり、シルビィはよろめいた。
たちまちテオドールに横抱きにされる。
「ちょ、テオ様! 何を!」
「ふらついたので。足を痛めました?」
「ヒールが折れただけですから!」
「安静に。どこかケガをしているといけませんから」
シルビィはじたばた暴れて健在ぶりを示したが、テオドールが下ろしてくれることはなかった。
テオドールの肩越しに、遠ざかっていくメアリーの姿をちらちらうかがう。
「テオ様、大げさなことはやめてください、本当に。
最愛の方に近づかないようにする努力は分かりますけれど。
嫌われるダシに使われる私の身にもなってくださいよ」
シルビィはじとっとテオドールをにらんだ。
怪訝にされる。
「最愛の人? だれが?」
「だれって、メアリー王女でしょう? テオドール様の前の人生の奥様」
「全然違いますけど」
「王女殿下もテオドール様のことを好いておられるようですから、やっぱりお二人は結ばれるべきだと思う――って、え? 違う?」
「彼女ではありませんよ。私の一度目の人生の妻は」
シルビィは目をしばたかせた。
「え。でも、すごい美人ですし。
テオドール様、おっしゃってましたよね。美人だったって」
「私にとっては、です。世間の評価は知りません」
公爵閣下はつんと澄まして言い放つ。
シルビィは気が遠くなった。
どうやらテオドールは自分の予想よりはるかに妻を愛していた、いや、溺愛していたらしい。
「メアリー王女にやけに冷たいので。
嫌われる努力をして、近づかないようになさっているのかと」
「冷たくしていたのは、本当に嫌われたいからです。
その方が、隣国の王子との縁談が早くまとまることでしょうから」
テオドールは徹頭徹尾そっけない。
シルビィは自分の勘違いをすっかり認めた。
「結局、奥様はどなたなんですか? そろそろ教えてください」
「教えたらシルビィは、その人と私をくっつけるつもりでしょう?」
「テオ様は奥様を不幸にしたくないからとおっしゃいますけれど。
奥様にしてみたら、テオ様に出会えない方が不幸かもしれませんよ?」
「そうなら、いいんですけど」
テオドールがほほ笑む。
裏にぴったりと哀しみの貼りついたそれを見て、シルビィは心がかき乱された。
この人を幸せにしてあげたい――そんな思いが不意に湧いてきて、とまどう。
相手の都合に振り回されっぱなしなのに。
自分では完璧な幸せをあげられないのに。
一番にはなれないのに。
同情にしては重く、友情にしては熱く、愛にしては利己的な感情。
この感情を人はなんと呼ぶのだろう。
「ところでシルビィ。今日がプロポーズしてから一ヶ月目ですね」
呆けている間に、見覚えのある
一カ月前、シルビィがテオドールから求婚された場所だ。
支柱に絡みついた青紫色のクレマチスが星のように花開いている。
「最後の予言をしましょうか」
ベンチに下ろされたシルビィは、テオドールから手紙を受け取った。
今日の中身は一枚だけで、端的にこんなことが記されていた。
『シルビィは求婚を断る』
今日までアプローチされ続けてきたシルビィは、肩透かしを食らった気分になった。
急に手のひらを返されたようで、腹立ちすら覚える。
「……わたくし、断ったりしませんけど」
「え? 受けて下さるんですか?」
黙ってうなずく。
自分でも不思議だった。
どうしてうなずいているのだろう。
相手がせっかく許してくれているのだから、これ幸いと求婚を断ればいいのに。
「今までのことは冗談だったと取り消すのなら、今のうちですよ」
あんまりテオドールが意外そうにしているので、シルビィは念を押した。
「いえいえ、取り消しませんよ。ありがとうございます。嬉しいです。
どちらでも結果は同じですけど、やっぱりこの方が自然ですから」
「……どちらでも同じ?」
違和感を覚え、シルビィは手元の手紙をもう一度よく読んだ。
よくよく考え、やっと手紙の
「待ってください。まさか予言通りに断っていたら断っていたで、予言が全部的中したということで、結婚だったのですか……?」
テオドールはにこっと笑った。
「誠に残念なことに予言は外れてしまいましたけど、かまいませんよね?
だって、シルビィが自分から私と結婚したいといってくれたのですから。
もう予言とか関係ないですよね?
いやー、よかったです。私としても、最後までゴリ押しは後味悪いので」
「なんですかそれっ! 卑怯ですよっ! ずるいですよっ!」
「シルビィ、式はどんなふうがいいですか?
やっぱりガーデンパーティー風?
先日デートした植物園を貸し切ってやるっていうのもいいですよねー」
批判は完全無視して、テオドールは先々の話をはじめる。
シルビィはこぶしを握った。
「テオ様。もう負けを認めて結婚しますけれど。せめてさっきの返事を言い直させてください」
「はい、どうぞ」
「あなたの求婚なんてお断りです!」
ろくでもない相手を好きになってしまった。
シルビィはふてくされたが、花婿の抱擁を避けはしなかった。
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