1. 家康の上洛と降伏宣言 -7

「あそこをな、東日本の一大拠点にしようと考えておるんじゃ」


「一大拠点?小田原ではいけないのでしょうか」


「小田原は悪くないが、周りが山だらけで土地が限られておる。大都市を築こうとするには開発の余地が無い。それに、江戸には多くの川が流れておる。川から海、海から他都市といった物流の面で都合が良いんじゃ」


「物流ということは商売のためですよね」


「その通り。今の日本は畿内に経済圏が偏り過ぎておる。関東だけではなく、九州や地方の都市も開発を進めていく。そうして各地の都市と畿内が繋がることで、物や金が動くよう仕向ける」


「江戸を開拓し、畿内と交易しろということですね。その指揮を取るため徳川に江戸に入れと」


「金が動けばそれに乗じて仕事の需要が生み出され、人々の懐も暖かくなっていく。土台さえできてしまえば、後は雪玉が転がるように日本は発展していくじゃろう。それに、戦の世が終われば軍備にかかっていた金の流れが止まる。金の流れが止まれば仕事はなくなり、経済は縮小する。そうなれば民の不満が積もっていくのは避けられん」


 言われてみれば当然だが、各地に大都市を作って畿内と結びつけようなどと、よくこんなことを思いつくな。


 戦がなくなるのであれば、秀吉殿のお膝元である堺あたりへの影響もかなりのものになる。

 米に鉄砲、その他必要だった物資が売れなくなれば、潰れる商人も出てくるだろう。

 それを見越して事前に手を打っておくということか。


 商売が得意な秀吉殿らしいといえばらしいが、普通は土地を治める者が考えることであって、自分の領地でもない土地をどうこうしようなどとは思わない。

 最終的には自分が儲かる形にするつもりだろうが、地域を発展させる以上、他の大名も反対はしないだろう。



「なるほど。とはいえ江戸は湿地帯だらけです。全部埋めようとすれば、とんでもない費用と人足が必要になります。ましてや畿内への道を整備するとなれば...」


「良い。というか、費用と人足をかけられることが重要なんじゃ」


 はて、秀吉殿は何を考えているのだろうか。

 

 どこの大名も金と人は限られており、無い袖を振って大名は軍や領地を整えている。

 先日の地震の際、徳川家領地の復興にかかった費用を考えると今でも腹が痛くなる。


 他の大名も似たような懐具合だろうから、出費が少なくすむならそれに越したことはないだろう。

 


「...謀反を防ぐため、大名が溜め込んだ財貨を削りたいということでしょうか?」


「その通り。加えて、浪人や農家の三男坊などに仕事を与えたい。戦国の世が終われば仕事を失う者が大量に出る。それを放置すれば治安の悪化を招くのは目に見えておる。それに、不届き者がいざ戦を起こそうとしても、浪人などが居らねば頭数は集められん。江戸の開拓事業となれば、人手がいくらあっても足りん。まさにうってつけよ」


「なるほど。徴兵や武具の発注などがなくなれば、食うに困る者は出てきますね。そして、蓄財が無くなれば戦を起こすことは難しく、人が居らねば兵も集まらない。各地の大名の力を削りつつ、治安を維持できるとなればこれは好都合」


「単に金を出せと言っても反感を買うだけじゃろう。だが、こういった形であれば従う者も多い。ましてや河川や湿地帯の整備ともなれば、自領の整備のためにも喜んで協力するじゃろう」


 

 自分も削られる側の大名ではあるが、秀吉殿が言っていること自体は筋が通っている。それに、飯さえ食えれば人はそう簡単に悪事を働かないのが真理だ。

 大名達も不満に思うかもしれないが、それは我慢できる程度の不満に留まるだろう。


 浪人崩れの野盗がいるのは仕事が無く飯が食えないからだ。

 農家の三男坊などにしても、耕す田畑がないまま追い出されればろくなことをしない。


 そういった者たちを取り締まるのにかかる金も馬鹿にならない。

 仕事の無い人間をかき集めて、開発事業に放り込めるのであれば処理方法としては理にかなっている。

 


 江戸だけではなく各地で道路整備や河川整備も行うとなれば、仕事が無くなるということも当面無い。

 出費が嵩む大名達も謀反を起こす余裕がなくなる。そして気がつけば豊臣家の治世が当たり前になっていく。

 そんな世で生まれた子供達は豊臣家に反抗しようとすらしないだろう。


 これで太平の世が続くのであれば、のんびり余生を送りたい儂としては反対する理由がない。

 というか、土いじりが趣味の儂からすれば、江戸の開拓だけをやっていたいというのが本音だ。



「江戸を開発し、各大名の力を削ぎつつ、民に仕事を与える。各地で同じ施策を進めれば、自然と収まるところに収まると。なるほど、得心致しました」


 どうやって天下を取るのかではなく、既に天下を取った後をどう治めるのかを考えているあたりが恐ろしい。

 周りで話を聞いているウチの家来などは話についていけておらず、忠勝などは酒を飲むだけの置物となっている。


 問題に対処するのではなく、発生する前に潰して自分の都合の良い結果に導く。これが農民から天下人にまで成り上がった秀吉殿の本領か。


 天下を取った人物は過去に何人もいるが、天下を取ってすぐに失った者も多い。維持できてこそ初めて天下人と呼ぶのであれば、秀吉殿は間違いなくそう呼ばれるに相応しいだろう。

 

 そして、その秀吉殿に従うことこそが、徳川家の平穏な将来に繋がっていることは疑う余地もない。


 長いものには巻かれろ。優秀な指導者には足を舐めてでもしがみつけ。

 今こそ信長殿相手に身に着けた振る舞いを発揮する時だ。


 秀吉殿の手を両手でしっかりと握り、目を合わせる。


「この家康、感服致しました。そして豊臣家が天下を治めることを確信致しました。関東の件につきましては何なりとお申し付け下され。今の徳川が求めるのは領地ではなく、平穏な世の訪れです」


「うむ、何かと頼むことは多かろうが、ぜひ力を貸して頂きたい。西は豊臣、東は徳川で治めればきっと上手くいくじゃろう。まずは家康殿に相応しい官位を手配しよう。他に必要な物はあるかね?」


「お恥ずかしながら、秀吉殿の陣羽織を所望致します。言葉ではなく目に見える形で権勢を示さねば、関東の荒くれ者たちには通じません。また、秀吉殿が今後合戦の指揮を執らずともよいよう、徳川が勤めることの意思表示とさせて頂きたい」


「なるほど。では、物は手配しておくので、明日の謁見の際に改めて申し伝えて欲しい。各大名にもよく伝わるじゃろう」


「ありがとうございます!何卒よろしくお願いします!」



 豊臣家に問題があるとすれば、それは秀吉殿への過度な依存と一門衆の少なさだろう。

 秀次殿が後継者の予定だが、権力の移譲の際にはどう考えても混乱が生まれる。


 秀吉殿もいい歳だ。人はいつか死ぬが、秀吉殿には可能な限り長く生きて貰わねばいかん。

 これまでのように戦地に赴き続ければ何があるか分からん。

 天下を手中に収めながら、本陣に敵軍が突撃して討たれるようなことがあってはならんのだ。


 その危険性を考えれば、戦の指揮くらいいくらでも代わりを務めよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る