五大老筆頭 徳川家康

牛熊

1. 家康の上洛と降伏宣言 -1

 かの豊臣秀吉が築き上げた大阪城。持ち主に相応しい威容を誇るこの城を見上げ、一人の男は万感の思いを込めながら呟く。

 

「遂にこの時が来たか...」


 徳川家康。海道一の弓取りとも呼ばれ、秀吉に対抗できる唯一の大名として天下に知られる。

 この日、天正14年10月27日。徳川家康は上洛し、豊臣秀吉に謁見するため大阪城内を歩いていた。



 家康はこれまで秀吉と争い続けてきたため、今回の上洛は実質的な降伏宣言であると周囲は見ている。

 そして、これまで家康が秀吉と戦を続けてきた経緯を考えれば、謁見の際に何らかの処罰が下されてもおかしくはない。


 最悪切腹を命じられる可能性すらある。


 しかし、恐れを全く見せず堂々と胸を張りながら歩く家康を前に、家康を一目見ようと馳せ参じた人々は驚きを隠せず、周りの者とこれはどういうことかと騒ぎ合っていた。



「あれが徳川家康殿。小牧・長久手で秀吉様に勝利したと噂の...」


「しかも、その後も上洛の要請を拒否し続け、秀吉様が懐柔のため親族を送り込むまで折れなかった」


「天下人たる秀吉様を相手に、そこまでの気概を見せられる人物は他には居らぬぞ」


「あの堂々とした立ち振舞いを見よ。怯えるどころか、今にも踊りだしそうなほど軽やかな足取りをしておる」


「昨日は豊臣秀長様の邸宅に泊まられたらしい。儂なら生きた心地がせんわ...」


「供回りの話を聞いたか?数万の大軍に加え、かの徳川四天王を連れてきている。何かあれば一戦交える覚悟に違いない」



 流石は徳川家康と褒め称える周囲の声を聞き流しながら、当の家康は案内役の指示に従い城内を進む。

 廊下を歩いている間、徳川家の嫡男に生まれ、戦国の世を駆け抜けてきた日々を思い出す。

 そして、この先に待ち受ける将来に思いを馳せながら、秀吉が待つ場所へと進む。


 しばらく歩いた後、秀吉やその家臣、諸大名が一堂に会する広間に足を踏み入れる。

 まさしく四面楚歌といった状況。無礼を働けば即座に首を刎ねられる空気が漂っていた。



 しかし、家康は気にする素振りを見せず、そのまま秀吉の前まで進む。

 そして正座し、畳に擦り付ける勢いで頭を下げながら大声で叫ぶ。


 「徳川家康、御要請に従い馳せ参じました!」


 まさしく全面降伏といった姿勢を見せる家康に対し、周囲が驚きの声を上げるよりも早く豊臣秀吉が応える。


 「家康、大義であった!」



 この上洛と謁見の際のやりとりにより、家康は秀吉に降伏し傘下に収まることが明らかとなった。


 徳川家に勝利した豊臣の権勢が高まると共に、争ってきた相手に潔く忠誠を誓う姿を見せた徳川家もまた周囲からの評価を得た。

 

 この後、家康は秀吉の忠実な配下として働き続け、最終的に豊臣政権の中枢を担う五大老の筆頭に任命されることとなる。

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