第11話『失を糧に変える才』
昨日から、シンの様子が変だ。
シンは元々真面目な性格で、ボクの鍛錬にもついてきた。
知識を乾いたスポンジのように吸収し、定着させる。
そんなシンは更に真剣になった。
ボクはというと......あまりよくない。
どうにもやる気が起きず、無力感に身が弛んでいる。
昨日はずっと、究極級の治癒魔術を調べていた。
図書館にヒントは無かったし、治癒術師は高い。
途方に暮れて家に戻り、死んだように眠った。
今までずっと、ずーっと、ボクはリタと競ってきた。
リタはボクよりも近接戦が上手い。
実力を磨きあう最高のライバルだったのだ。
「ホノン、何してるの?」
「ん......シンは何をしてるのかなぁって」
食堂の窓からシンを眺めていると、リタに話しかけられた。
朝食を摂り終わったのに、どうも腰が重い。
窓から陽が差して、空の食器がきらめく。
「ボクは"諦めきれない"っていう言葉で、逃げているのかなぁ」
暖色に染まった外とは対比的に、食堂は寂しい色に包まれている。
「なにか大きなことを成すっていう力が止まっちゃった」
宛てなく置かれたホノンの指が、乾いた机を撫でる。
「全主の塔主は無理かmッ、
――ぁぼぼぼ!?」
ホノンの頭に大量の水が落ちる。
その銀髪は水浸しになり、直毛が貼り付く。
リタはホノンの上にかざした手を平らにした。
コツンと、リタのチョップがホノンにぶつかる。
「でっ、溺死させる気!?」
「ホノンが本当に無理なら、今ので溺死してたね」
リタは水を吸ったホノンの髪を鷲掴みにする。
そのまま縦横無尽に掻き回し、めちゃくちゃに。
ホノンの髪は理解できない芸術のような状態になる。
「あの場において、私達の注意は疎かだった。
ホノンは私より経験値が高くて、野生の勘も鋭い。
一番最初に気がつくべきだったのは、ホノンだった」
困惑の後、ホノンは氷の刃で胸を刺される。
容赦の無いリタの言葉に胸が軋む。
「事実、悪かった。事実、ダメダメだった。
私の右足は無くなった。これは変わらない事実。
ホノンは失敗したんだ」
後悔に歯を食いしばり、悲哀に嗚咽する。
リタの強い視線に耐えきれず、目を逸らす。
いや、逸らせなかった。
「全部受け止めて、もう一度立ち上がれ。
負を一息に正に戻す必要はない。それは無理。
だから一度、負の果てに落ちろ」
リタに両頬を掴まれ、目を合わせる。
「
ホノンの瞳に、ギラギラした炎が灯った。
===
「シン!」
振り返ると、ホノンがこっちを見ていた。
どこか吹っ切れた顔をしている。
家の方に目を向けると、リタが寝室に向かうところだった。
「もう大丈夫なのか?」
「うん! リタに言われたんだ。
"負の果てに落ちろ"って!」
「......それは罵倒じゃないのか?」
ホノンは腕を背に回して伸ばし、体を曲げる。
そこに立っているのは、いつもと変わらないホノン......
ではなかった。
「だから言い返したんだ。
"ボクは全部を背負って塔に登る"って!」
その顔から影は消えきっていない。
明暗を併せて持つその顔は、光を際立たせる。
ホノンの強かさに奥行きが生まれた。
「大地の果てるその瞬間まで、ボクは絶対に負けない」
そうして俺とホノンは、互いの腕を磨きあう。
選定戦を目前に控えた今、戦闘の感覚は極限状態に。
既に強いホノンさえ、拳の一振りの度に成長し続ける。
指の皮一枚にも満たない成長と、手札の隠匿。
2人ともその状況に気がつき、焦る。
俺はリタに教わった技をホノンに隠し続けているのだ。
★★★
扉を開ける。部屋に入る。
左足の靴を押さえて外し、右足に手を伸ばし......
その指は空を切った。
「......疲れた」
私は軽くなった体を持ち上げ、ベッドに倒れ込む。
物理的な肉体の減量に対し、精神はベッドに深く沈む。
自分の中の何かがマットレスに溶けていくのを感じる。
私はよくやっていると思う。
片足を失っても悲嘆に暮れず、仲間を鼓舞する。
足の無い違和感を噛み潰して生きている。
「よく、そんな風に思えるな」
己に問う。思考の虚妄を。
本当はボロボロな心を取り繕っている。
誰よりも分かっている自分の心を、偽って生きている。
管から流れ込む"生"を錯覚したことはあるだろうか。
誰もいない部屋。誰も聞いていない声。
意味なんてないかもしれない言葉。
声に出す必要なんて、ありはしない。
「......苦しい」
漠然とした感覚は上手く表現できない。
蜘蛛の巣に囚われた蛾のような気分といえばそれらしいか。
とても、とても、生きづらい。
息が詰まる。
それでも......
私はベッドの上で体をズラし、小机の上に手を伸ばす。
そこにあった本を手に取り、
赤色のアスターが私を見ていた。
「けど、私はまだ生きている」
その言葉を発した時、私の小さな火が揺れた。
栞になったアスターに生命力なんて無い。
それでもなぜか、私はアスターから生気を手に入れたように感じる。
"諦め"は停止を意味しない。
岐路に立ったことを、鮮明に意味するのだ。
★★★
「ついにこの日がやってきたね」
ホノンが腰に手を当て、その建物を見上げる。
俺は日差しを手で遮りつつ、ホノンに倣う。
未だ勉強中であるこの世界の文字でこう書かれている。
『全主・雪原 タワーズドラゴン選定戦』
銀髪の子供と黒髪の青年。
どこか奇抜な、どこか平凡な二人組。
そんな俺たちはこの日を迎えた。
平和を齎す最強の10名たるタワーズドラゴン。
そんな希望の星が、この大会で決定する。
その事実を認識し、皆が騒ぎ昂ぶる。
タワーズドラゴン選定戦が始まった。
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