第11話 川のむこうがわ

 森の中で幻獣カーバンクルの子供が追い掛け回されていた。追うのは密猟者で魔法を使いながらじわじわと取り囲んでいく。


 ヴァルデマ国の南西部にあるシェラル山脈は王領で、立ち入りは厳しく制限されていた。

 そのふもとの深い森は、起伏が激しい原生林で、神代の昔から人の手は入っていない。

 と言うよりも、忌避されて誰も入らなかった。

 その理由は、森の主が幻獣と信じられていたからである。


 幻獣カーバンクルの子供は短い手足を必死に動かしていた。途中でリスからウサギに姿を変えて懸命に山に向かって走る。


 あそこに行けば安全だと信じて。


 だが向かう方向から魔法が飛んできたから躱すしか無かった。激しい音と光の中で、パニックを起こした幻獣カーバンクルの子供は本能だけで森を走り回っていく。

 そして森の住処からはどんどん離れていったのだ。


     


 


 次の日アレスはストームの背に乗り町を出た。

 マルコは姿が見えないし、ソフィは傭兵仲間と狩りに出て行った。

 それならララと遊ぼうかと思えば、ロルカが現れ連れて行ってしまったのだ。


 気が付けば一人である。


 退屈を持て余したアレスは、町の外に出ることにした。

 護衛も無しで大丈夫かと門番に心配されたが、最強の黒鬼馬と一緒なのでまったく問題は無かった。特にこの辺りは強い魔物もいないから街道よりも安全かもしれない。


 したがってアレスは、呑気に鼻歌などを歌いながら田舎道を進んでいるのだ。


 道はグルノー川の支流に沿って西に向かっていた。右手側は広々としたブドウ畑で遠くには醸造所が見えた。

 ふと、アイスワインの話を思い出したアレスは、小高い丘の上の斜面に小規模なブドウ畑を見つけた。点在するブドウの樹は緩やかに向きを変えて植えられていた。


 アレスは「美味しいワインが出来ますように」と成功を祈ると、風がささやいた様に聞こえた。


 笑顔を浮かべたアレスは、今年のワインは美味しくなるような気がしてきたのだ。


 田舎道は森の中に続いていた。


『ほう、この辺りは精霊の気配が強いな』

「うん、多いけど、たくさん弱ってる子がいるね」

 さっきから魔力を与えながら進んでいた。

 元気な風になった精霊は、嬉しそうにアレスの髪をなで『ありがとう』と呟く。


 キリがないほど弱った精霊が集まるのを見て『誰かが魔法を使いまくっているのか?』と、ストームが首を傾げた。

 アレスも不審に思ったが、近くに魔法の気配は無かった



 ストームの背に揺られること二時間くらいが立っただろうか? グルノー川の支流は大河に合流した。

 そこで道は唐突に終わってしまった。

 周りを見回して抜け道を探すが、どう見てもここで行き止まりのようだ。


「すみません。この先って道はないんですか?」

 農夫のおじいさんが道端で休んでいたので訪ねてみた。

「ああ、この道は今は通れないね」

「えっ、ええ? 道なんて無いんですけど」

 目の前は音を立てて流れる大河があるだけだ。

 アレスが不思議がっていると「あっははは、途中で切れているのは冬に凍って道になるからじゃよ」おじいさんは笑って教えてくれた。


 この先は王領で、元々は先住民の小さな集落があったらしい。

 マコールという先住民は、ヤギを連れた遊牧民で春から秋までをシェラル山脈で暮らし、秋を迎えると南下してきてフレンスバーグ近くで冬を越していた。


「わしの爺さんの頃までは、冬の凍ったアイスロードを通って町までやって来たそうじゃ」

「それって、随分と昔ですよね?」

「そうじゃな、ざっと百年以上昔の、戦が起こる前の話と聞いている。チーズが上手いと聞いてな? わしも冬に何度か爺さんにせがんで、川を渡ってみたが……。集落などどこにも無かったよ」

 そう言って、寂しそうにまた笑った。


 遠く霞む景色の向こうはシェラル山脈だろうか? 草原は戦争の爪痕を残して、どこまでも広がっていた。


     


 川沿いに遡れば川幅の狭いところがあると聞いて、見てみたいと思った。

 少し引き返した辺りで森の切れ目を見つけて「ねえ、ストーム。行ってくれるかな?」とお願いしたら『任せろ』と頷き返してくれた。

 ストームはアレスを乗せて嘶くと、力強く森の中に飛びこんでいった。


 馬は森の中では動きにくい動物だ。

 けれど黒鬼馬のストームにしてみればまったく問題は無い。


 岩を蹴り、倒木を飛び越え、ストームは森の中を縦横無尽に駆けまわっていく。

 それでもアレスを気遣って、急な動作の前には声を掛けるのを忘れない。


「凄いや! いたっ!」『アレス、喋ると舌を噛むぞ』とにかく幻獣はすさまじい生き物であった。


 


 段々と深くなる森を進むアレス。切り立った崖が見えてきた。途中で湿地に遭遇して、迂回しながら進んできたのでかなりの上流である。


『アレス、川についたぞ』

 ストームが水の音に気が付いて、遮る岩場を飛び跳ねるように降りて行った。

 川幅が狭くなって水面には所々岩が露出していた。

「岩が多いね」

『ここなら一つ飛びで渡れそうだな』

 そう言うストームだが、無理すればさっきの大河でも渡れただろう。多分アレスの事を考えてくれているのだ。


「かなり遠くまで来ちゃったね。お昼にしようよ」

 アレスは袋から燻製と干しブドウを取り出すと、半分ストームに分け与えた。お気に入りの銀の食器はストーム専用で、彼はこれでしか食べようとはしなかった。


 なんでも、家畜扱いはごめんだそうだ。

 コカトリスの燻製はピリリとして癖になる。

 塩分が多いから疲れた体にはちょうど良い。

 デザート代わりの干しブドウは、妖精果を干したものだ。甘くて食べると魔力が回復した。


「チーズも食べる?」

『それは後で貰おう』


 ラクレットチーズを見せると今はいらないと言った。溶かしたチーズに目の無いストームは、後でアレスにじっくりと焙らせるつもりのようだ。

 黒鬼馬は実にグルメなのだ。


 昼食を簡単に済ませたアレスは再びストームの背に揺られ川を渡った。


     



 そのころマルコは二人の冒険者の後を追っていた。


 酒場で朝から酒を飲んでいた地元の冒険者を捕まえて、酒を振舞いながら聞き出した。

「ああ、あの連中の事か」

「あいつら、美味い話があるから手伝えって集めてるが、この辺りの者で飛びつく奴はいねえよ」

「金になるって言われても、酒場で安酒飲んでるようじゃ、信憑性は無いわな」

 聞き出した話は、概ねこんなところだった。

 気になったのが「たぶん中の一人は裏社会の奴だ」という一言だ。


 そいつは、時々どこかに出かけて若い連中を連れてくるらしい。ギルドでソフィが聞いてきたのは多分その連中の事だろう。


 何が目的か? 冒険者崩れの連中は誘拐、盗みに山賊と搾り切れないほど何をするのか分からない連中が多いのだ。


 あちこちで聞いて歩いたマルコは、全部で十二、三人がこの町に集まっていることを突き止めた。まだ追加で現れるとしたら結構な人数を抱えていることになる。


 とりあえず中心の裏社会の奴を見張る事にしたら、お誂え向きに町の外に出て行った。


 そこからマルコの追跡が始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る