第10話 国境の街フレンスバーグ
領都オルヴォーを出発して一月。国境の町フレンスバーグに到着した。
ここは焼いたワインと呼ばれる、蒸留酒が有名な町だ。
「本隊は全部残るが、付いてくる顔ぶれは変わるかもしれん」
ここで商隊はいったん解散して組みなおす事になった。ジュリアンの本隊がここで蒸留酒を仕入れるからである。
フレデリコは便乗した商人を連れて商人ギルドに向う、護衛料の清算をするためだ。
先を急ぐ商人たちはここで別れ、ギルドで別の商隊を探すことになった。
アレスたちは引き続きジュリアンの本隊と行動を共にする。再出発は一週間後の予定だ。
「ワインの取り合いで戦争? そんなに凄かったの?」
「おう、この辺りは蒸留酒で有名だが、百年前のワインは凄かったらしいぞ」
アレスは、収穫祭の時期にフレンスバーグのワイン蔵から、樽がたくさん届いたのを思い出した。
「そう言えば母さまが、普段飲みには充分だけど物足りないって言ってた」
去年の収穫祭の夜の事である。
*****
「リア様、いかがでしょうか? 今年は随分と工夫を凝らしましたぞ!」」
酒焼けした鼻をひくつかせてベンジャミン・スミス男爵は胸を張った。
彼はフレンスバーグの領主であり、歴史に残った人物の子孫でもある。
百年ほど昔に、ヴァイルセン帝国との紛争が起きた。
寒冷な気候のためにブドウ栽培としては北限に位置するフレンスバーグ。厳しい気候条件のために黒葡萄が色付くことができず、安物ワインと言えばフレンスバーグ産と言われていた。
『貴族の価値はワインの価値』と言われるくらいだ。当時の領主は肩身の狭い思いをしていただろう。
それが覆ったのは、寒波に襲われた年の事だった。
例年よりも冬の訪れが早くブドウが凍ってしまった。当時の領主は農民救済のために、そのブドウをすべて買い上げたという。
ベンジャミン・スミス男爵のご先祖様である。
破産寸前まで追い込まれた領主は凍ってしまったブドウでワインを造った。僅かでも売れれば助かるぐらいの気持ちでだ。
偶然か神の気まぐれか、凍ったブドウは甘く美味しいワインと変化を遂げた。
アイスワインの誕生である。
その後、領主に感謝する酒造の努力と、身を切ってまで領民を助けた奇跡のワインは評判になり、取り合いに発展した。
取り合いになれば、それを独占して製法を奪おうと企むものが現れる。ヴァイルセン帝国の貴族が戦争を仕掛けた。
激しい戦いは周辺を巻き込み拡大を続け、二十年の長きに渡ったのだ。
史上もっとも愚かと言われ、何も得ることの出来なかった戦争は『アイスワインの戦い』と呼ばれた。
ヴァルデマ国が勝利してワインの製法は守られたが、アイスワインに適したブドウは全滅しており、品種違いでは昔の味の再現は無理だった。
「うーん……まだ違うかな」
「あら? ぶどうジュースは今年も美味しいわよ」
「……そうですか、ありがとうございます」
カルロッテの無邪気な言葉も空しく、がっくりと肩を落とす、ベンジャミン男爵。
復興を遂げるのはまだ先のようだった。
*****
失われたアイスワインを飲んでみたかったと嘆くマルコ。
その姿にアレスは思わず笑った。
まだ秘密の話だけれどハルブレッドの森で今年仕込む妖精ワインはアイスワインだ。
アレスの出発前にドリュアスは「居候聖霊と呼ばれることを脱却する」と宣言した。
子供たちの呆れた視線に耐えられなくなったらしい。
何をするかとこっそり覗けば、「アレスが帰ってくるまでに、美味しいお酒を仕込んでおく」と、何やら村人を巻き込んでいたのだ。
アレスの留学期間は五年を予定していた。行きかえりの時間を含めれば七年になる。
三年熟成させ、四年寝かせて最高のワインを作ると宣言した。
そんな中でベンジャミン男爵の話を聞いたドリュアスは「貴腐ワインのつもりだったけど、アイスワインも良いな。うん、それを作ろう」と言った。
アレスが「出来るの?」と聞いた。
ハルブレッドの森は暖かいからぶどうが凍る事は無いからだ。
「アイスワイン? だろ、氷結ワインにしたら良いじゃん。別に自然に凍らせる必要ないから」
魔法で凍らせて、水分を除いたら同じだという。
それから、精霊にぶどうを持って来させて品種を確かめていた。
妖精のブドウは、百年前のワインより絶対に美味しいくなるはず。
アレスは出来るまで黙って置くことに決めた。その方が何倍も楽しくなると思ったからだ。
*****
フレデリコに紹介されて『精霊の止まり木』という宿を取った。
名前が示す通り、アレスは精霊の気配を感じて楽しげに笑った。
精霊が多いのは安全な証拠で清潔な場所だからだ。
「美味い酒と肴がある店を教えてくれ」
酒好きのマルコらしく宿に飛び込むなり酒場の場所を訪ねていた。
「ソフィが戻ってきたら飲みに行こうぜ」
その顔には笑みが張り付いている。
「また飲むの」
「当然だろ、情報集めないとな」
アレスは半目になって睨んだ。
マルコは傭兵団に合流してから言葉使いを変えた。本人は「演技演技」と言っているがアレスは密かに疑っていた。
こいつ、今まで猫をかぶっていたのかと……。
どう見ても今の姿は本性にしか見えないからだ。
馬を廓に預けてソフィが戻ってきた。ついでにギルドを回って情報収集してきたという。
「さすがはソフィ、誰かさんと違って凄いね!」
ちくりと嫌味をマルコに返して、集めた情報を聞くことにした。
「おい! 誰かって誰だ! 俺か? 俺じゃないよな?」
「はいはい。後で相手するから黙ってて」
「俺の扱い酷くないか」
「にゃにゃっ」
騒ぐマルコを挑発するように、ララが『ちょっとじゃま』とマルコを押しのけた。最近のララはマルコに若干塩対応なのだ。
「おいっ! お前もか」
ソフィは「ララのおやつを食べるからでしょう」とくすっと笑う。
ララはそうだとばかりに「にゃっ!」と鳴いた。
ララのおやつは干し肉とドライフルーツで、どちらも精霊の贈り物をアレスが仕込んでいる。何時でも食べれるように用意してたら、マルコが酒のつまみにしてしまうのだ。
「自業自得」
ただそれだけなのだ。
ギャーギャーうるさいマルコは放って置いて、アレスは話を変えた。
「ギルドではどんな感じだった」
「ああ、傭兵ギルドは何時もの感じだったが、冒険者の方は変だったぞ」
ソフィが言うには新顔が多くあらわれると聞いたそうだ。それも単なる通過と違って、滞在する者が増えてるそうだ。
「そいつはおかしいな。この辺りは旨味がねえぞ」
マルコが言うように傭兵ならともかく、冒険者が国境に滞在しても仕事が無い。
この辺りは魔物が少ないからだ。まだ国境を越えたヴァイルセン帝国の方が多いくらいで、大抵の冒険者は通り過ぎていく。
逆に傭兵はここまでくれば、護衛の仕事にありつけるから滞在する者も多かった。
もちろん冒険者でも護衛につくことはある。行商人や農家が雇うからだ。
そういった連中はもっと南か北の町で仕事にありつくのだ。
フレンスバーグは酒造りの町で冒険者など雇うことはありえなかった。
「仕事が無いのにずっと居るって、みんなお金持ちなのかなぁ?」
ちょっとずれてるアレスをスルーして二人の会話は続いた。
「魔物を狙うならダンジョンのある東に行くね。あたしの国ならそれなりの大物も多いからさ」
この近辺の冒険者はアイグル・ザセクソン五王国で仕事を探す。小国群ならダンジョンもあるし、森で魔物を仕留めても良かったからだ。
「な? おかしいだろ?」
「もしかして、お酒が好きなだけとか」
「ちょっと探ってみるか」
「ねえ、聞いてる?」
能天気なアレスはともかく、嫌な予感にマルコは調べることに決めた。
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