第6話領都オルヴォー

 ヴァルデマ国の前身は、ローレンシア大陸中央部に居住した民族集団と言われていた。

 ほぼ単一の民族で構成されるローレンシア大陸でも珍しい国だ。

 他の国は混血化が進み、様々な諸民族で形成されていたのだから不思議な事である。


 歴史としてまだ記される事の無かった先史の時代に、民族は北に大移動を繰り返した。

 研究家の一説によれば、大移動のはじまりは気候の変動による食糧不足とされていた。

 当時のローレンシア大陸中央部は集団的な社会生活のはじまりで、人口が爆発的に増えた時期に当たるからだ。


 もともと、狩猟収集のための集団が現れたころは支配階級など無く、富の余剰など作成されなかった。すべてが共有され即座に消費される。原始的な共産制のようなものだ。

 それがやがて動物の家畜化と植物の栽培などの開始により定住化が進んでいく。共同体は集合と離散を繰り返して大きくなっていった。


 数が増えて飢えた民族集団は北を目指したとされていたが、研究家の間でも意見が分かれていた。

 食糧不足なら南の温暖な土地を選ぶはず。より条件の厳しい北の辺境を目指した理由に説明がつかないのだ。


 移動は侵略的であったり、時には平和的に溶け込んだりしながら、民族集団は北方を支配した。



 領都オルヴォーは聖堂がある古い街だ。

 古代エルフ語で聖なる地を意味する『オルヴォー』と名づけられている。


 聖霊をもっとも尊いものとして信仰するヴァルデマ国では、政治的にも信仰上でも重要な要地とされていた。

 何故なら北方の地が、聖霊の住み暮らす聖地とされていたからである。


 聖堂の建設は建国以前に始まり、完成に百年の月日をかけた大事業だった。

 何度かの大火で聖堂は焼け落るが、その都度再建を繰り返している。

 不思議なことに苦難を受けても、最初の聖堂が崩れ落ちることは無かった。

 人々はそれを奇跡と呼び、聖霊に感謝をささげるのだった。


     


「久しぶりだな、元気にしてたか」

 そう言って抱きしめたのは父親のテオドールだった。

 ここは中央に建てられた城館で、テオドール・フォン・クロフォード伯爵の屋敷になる。

 クロフォード伯爵に対する世間の評価は、長年辺境を守ってきた歴戦の強者として知られていた。アレスは知らなかったが貴族の間では相当に恐れられてたりしているのだが。

「もう子供ではないのですから、抱きしめるの禁止します」

 ぷんぷんと怒るアレスには全く通用しなかった。

「ちょちょっと! 待ってくれアレス! 久しぶりに会ったのにそれは無いだろう」


 威厳も何もあったものではない。

 見た目は厳めしい顔で、体付きもがっしりした黒髪黒目の大男だったが、家族の前ではただの父親で、アレスからの評価も微妙なのだ。

 アレスの中では、母リナを頂点とした格付けが完成しており、父はそれよりもずっと下なのだ。それこそ、子供のころハルブレッドの森で見る父を村長だと思っていたくらいだ。

「おい、ルーカス。助勢しろ」

 後ろで控えていた従士らしき人が頭を下げた。

「申し訳ございません。テオドール様は子煩悩なのは良いのですが、距離感も分からず、がさつで無神経な……どちらかと言えば、あれ? すみません褒めるところは無いようでした」

「おい! ルーカス! 言いたい放題だな。アレスは初見かな? 俺の秘書で従士のルーカスだ」

「アレス様、ルーカス・アードマンです。不肖ながら政策秘書官を承っております」

「アレスです初めまして」


 ルーカスは口は悪いがかなり有能で、テオドールとも仲が良いようだった。その距離感は絶妙ともいえた。

 聞けば騎士学校からの仲で、伯爵家を継ぐときに引っ張ってきたという。

「楽をさせると言われてきたのですが、一向に約束を果たしてもらえません」

 手伝うときの約束で、何時でも自由に発言しても良いと言われたそうで、こうして身内だけの時は毒舌が止まらない。

「体の良いストレス発散でございます」

「なんて……自由なんだ」

「ははは、こう見えて場所はわきまえるからな。文句のつけようはない」

「それよりアレス様。ハルブレッドの森を離れても大丈夫なのでしょうか?」

「大丈夫って? なにが」

「あそこは貴重な資源の宝庫。精霊様から与えられる魔晶石が無ければ我が領は立ちゆきません」


 ハルブレッドの森から産出される物は一部を除いてクロフォード領に送られていた。魔晶石は魔道具を作る上で欠かせないし、聖霊樹トネリの実は魔法薬の原料だった。その他にも普通では手に入らない秘薬など精霊から分け与えられる物は多かった。

 そのすべてはアレスにどうぞと持ってくる精霊からの贈り物だった。

「ドリュアス先生は大丈夫だって言ってました」

「ドリュアス先生とは例の聖霊様か? リアからは話を聞いている」

「森の仲間全部に話したわけじゃないけど、大体は了解してもらったし」

「仲間とは精霊様たちですか?」

「ええとね、妖精も一杯いるし、奥には幻獣も住んでるよ」


 ハルブレッドの森の奥には幻獣がいる。もっとも、奥に招かれたのはアレスだけで、リアすら見たことは無いのだが。

「うんと深い森の奥だから、面倒くさいと出てこないけど、ピレスに事付け頼んだから大丈夫だと思う」

「ピレスとは?」

「あれ? お父様には話したことなかったっけ」

「初耳だな。と、言うか森の中での話はリアから聞いたことくらいだ」

「そっか、ピレスはフクロウの妖精で賢者だよ。僕が名前を送ったんだ」

「あはは、テオドール、凄すぎて信じられませんよ」

「まったくだ。何時の間にやら我が家の息子は賢者様までお友達らしい」


 それから二人は、夕食の後までアレスから森の様子を聞いた。

 その後互いに話し合い、納得いったのは夜も更けた頃の事だった。


     


「本当に大丈夫なのか?」

「だから、ギルドに行くだけだから大丈夫だって」

 アレスはマルコを連れてギルドに向う事にしていた。

 領都オルヴォーには辺境で取れる資源を求めて多くの商人が商隊を引きつれてやって来る。

 丁度、魔法薬の原料が取れる時期で、その中にはフレデリク王国の商人も当然いた。

 来るということは帰るということだから、ギルドでフレデリク王国の商人を紹介してもらって同行させてもらう算段だった。その交渉はマルコに任せた。もし行き先が合わなければ近い所まででも良い。

 その場合は改めて商隊を探す事になるだけだ。


「でもなあ」

 テオドールがごねているのはギルドに同行させろと言っているのだ。

 春の時期は出荷が重なって人が多い。

 人が集まればトラブルも多くなるものだが、この領都では巡回の兵を増やして対処していた。

 この手の交易都市ではかなりの治安の良さだった。

 それでも心配なのかテオドールは護衛を用意すると言った。


「ダメだよそんなの! 護衛なんかついたら台無しだよ」

 アレスは口を尖らす。わざわざ目立たないように平民の格好をしていた。マルコは皮の鎧に銀の胸当てで傭兵の様に見せている。

 どちらもマルコと話し合って決めたのだ。

「そうですな、兵士を用意して護衛させれば安全でしょう。ですが、先々の事を考えれば身分を隠した方がよろしいのではないですか?」

 テオドールの庇護下では安全だが、その力が及ばない他国ではどうだろうか? とマルコが言った。

「ふう……仕方がない、諦めるとしよう。だが商隊の事はこちらでも調べさせるぞ」

「もちろん、そうして頂ければ助かります」

 信用の裏付けはテオドールに任せた。具体的にはルーカスが調べるが、お手の物だそうだ。


     


「まずは情報を集めましょう」

 マルコが言うのには、先に冒険者と傭兵ギルドで情報を集めるそうだ。

「どんな?」

「冒険者ギルドでは魔物の情報を、傭兵ギルドでは盗賊の動向です。どちらも人の多い今なら最新の情報を集められるはずです」

「さすがはマルコ、凄いや」


 城館から歩くことしばらく、奇妙なものが見えてきた。

「ねえねえ、あれなに?」

 小高い丘の上に、こんもりと盛り上げられた様な建物だ。

「ああ、あれはモット・アンド・ベーリー城です」

「お城? どう見ても草に覆われた小山にしか見えないよ」

「ははは、あれでも防御力は相当なものです。」

 詳しい説明を聞いたが、丘の周辺を掘り出されて堀を作り、小山に盛り土をして天辺に塔を建てた簡単なつくりだった。

「利点はすぐに作れることでしょう。それに地下に張り巡らされた通路で一帯を要塞化しているようにも見えます」

「へー、そうなんだ」


 そんな話を聞きながら歩いていくと、石造りの建物が見えてきた。中に入ると冒険者で溢れている。

 アレスは初めて見る冒険者たちの姿に、目を丸くしてキョロキョロと見回していた。

「あまり見ない方が良いです」

 マルコに指摘され「あっ、ごめんなさい」と小声で謝る。

 それでも獣人の耳に目が釘付けで、マルコに肘でつつかれて我に変える始末だ。

「獣人を見たのは初めてですか?」

「う、うん」

 呆れた顔のマルコはそれ以上は言わなかった。


 カウンターで冒険者の相手をしていた女性が開いたので、マルコはそっと近づいた。

「マルコだ。久しぶりだが情報が欲しい」

 胸元から銀の板を取り出すと女性に見せながら聞いた。

「まあ、上級の冒険者が来たのは何年ぶりでしょう。マリテと言います。それで、どのような情報でしょう?」

「そうだな、南にかけての魔物の情報を知りたい。出来ればフレデリク王国までの全部があると助かる」

 そう言って、カウンターの上に金貨を一枚置いた。


「この辺りは領主様のおかげで常に兵が巡回してますから、街道沿いに魔物の出現情報はありません」

 女性は素早く金貨を隠し持つと、にこりとした笑顔で答えた。

 それからもいくつか情報を聞き取り、女性に礼を告げて終わらせた。

「魔物の兆候は特に無いそうです」

 マルコは続けて傭兵ギルドに向った。

 傭兵ギルドは離れた場所にあった。扉は開け放たれてと言うより引きちぎられたように見えた。

「壊れていない?」

 びくびくしながらアレスはマルコの袖を掴んだ。

「こんなもんです。まあ、ここまで派手なのは景気が良い証拠でしょう」

 マルコはそんな事を言いながら中に入っていく。辺りは散乱したイスとテーブルの残骸が転がり、気絶した傭兵の足を引きずる女の姿が見えた。


「ひっ! ここって酒場か何かなの?」

 アレスは鼻を抑えて顔をしかめた。むせ返るようなお酒の匂いに耐えられなかったからだ。

「おい、酒をもってこい! 飛び切り上等のキツイやつだ!」

 マルコは大声で店員に声を掛けると、無事な椅子を二つ起こしてアレスに座るようにうながした。

 冒険者ギルドでの振る舞いと、あまりに違うマルコの様子だ。

 アレスは凄いと思った。

 周りにいる傭兵と比べてもマルコが醸し出す雰囲気は一流のものに見えた。

 一斉に静まり返る傭兵たちは息を飲んでいるようだ。


 そこに。

「はい、どうぞ東トランス王国産の蒸留酒で飛び切りのキツイやつだよ」

 ドンとテーブルに置かれたのはジョッキ。

 そして目の前には、さっき男の足を引きずっていた女がニヤリと笑っていた。


「そこまで威圧しなくても何もしないよ。それより、こっちの子供は何が良いの? 気分が良いんだ、驕るよ坊や」

 そう言ってアレスにウインクを送る。

「ソフィ・デュラクだ。さっき、絡んできた馬鹿の懐から出た金さ、パーッと飲んで使っちまおうよ」

 赤い髪の獣人は皮の鎧を身に着け、背中には大きな剣を背負っている。歴戦の傭兵に見えた。ソフィの口角が上がると、唇から牙を覗かした。


 それがアレスと傭兵ソフィ・デュラクとの初めての出会いだった。

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