第5話旅の道中
目的地は遠く離れたフレデリク王国の学術都市キャナン。七ヶ月を旅することになる予定だ。
ハルブレッドの森を出て、しばらく進むとヴィブレスト橋が見えてきた。湖の上にかかる大きな橋は石造りの橋だ。
はるか昔、まだ人間など住んでいない神話の時代に、エルフの手によって作られたという。ヴィブレスト橋は、数世紀が経つというのに強固な魔法に守られて変わらぬ姿を見せていた。
そこで一旦、馬を止めて後ろを振り返った。
緑に囲まれた美しい風景。ハルブレッドの森は命にあふれているように見えた。その姿を目に焼き付けるように、しばらく佇んだアレスは再び馬を進めた。
そのあとアレスは前を向き続けた。
慣れない馬上に悪戦苦闘を繰り返しながら、落ち着いたのは街道に抜けたからだ。
「アレス様、街道に出るのは初めてなのでしょうか?」
「うん、ハルブレッドの森を出たのは初めてだ」
珍しそうに辺りを見回し落ち着きのない様子を見たマルコはクスリと笑う。
森の獣道を広げただけの街道は、いたるところに木の根が張り出し、でこぼこも多かった。
「まだ道が悪いところが多いので、お気をつけください」
「おわっと!」
そう言ったそばから、馬が足を取られかけて、慌てて手綱を使う。
「ははは、森の申し子も馬の扱いはいま一つのようですな」
マルコは素早く馬を寄せると、馬体を併せて落ち着かせた。旅に出てすぐに気づいたのだが、マルコは非常に優秀だった。馬の扱いはもとより、周りを見る目が的確でそつがない。
それよりもアレスを驚かせたのは、真面目で優しいだけではなかった事だった。
最初に旅のルールを決められた。
一つは、指示には全て従うこと。次に、お互いの間で敬語は極力省くこと。それから、安全の確保が前提であるが、一日の終わりには酒と美味いつまみを用意することだ。
「これは、主人であるアレス様の役目です」
「役目?」
「さようさよう、良い主人の役目でございます。何せ騎士の身体は酒で出来ておりますからな。あははは」
と、このような調子で、意外に明るく面白い人物だった。
そして、それだけではない。マルコは博識だった。
「すごい川だ」
「あれは、グルノー川。領都オルヴォーを縦断して突き抜け、遠くはヴァイルセン帝国まで続く大河ですな」
街道は湖から流れるグルノー川に沿って作られていた。いたるところに岩が突き出し途中に大きなうねりの難所があるグルノー川は迫力があった。
初めて見た豪快な景色に心を奪われているアレスを見て。
「水運に使えれば便利になるのですが、流れが速く途中に滝もありますから無理でしょう」
こんな風に、アレスが興味を引くものを紐解いて教え導く、教師のような存在でもあった。
途中で適度に休息を挟みながら南下していく。少しずつ森の密度が薄くなっていった。天気はあいかわらず良好で、ときおり、切れ間から受ける日差しは柔らかかった。
森をぬけ街道をさらに進むと、農家の集落が姿を現した。そこで飼い葉を分けてもらい水と塩を馬に与えた。人間は持参したパンにハムを切り分けて、遅い昼食にしたのだった。
しばらくは馬の背にゆられるまま進んだ。特に面白い景色が無かったのもあるが、疲れは相当溜まっていたのだ。
「あれがブレナスの街です」
アレスが眠気をこらえながら欠伸を漏らしたとき、マルコが指さした。
アレスは目をこすりながら顔を上げ、まずマルコを見て、指先の指すその先を見た。
「うわあああ! 街! あれがそうなの!?」
「ええ、そうです」
クスクスと笑いながらマルコは「では、まいりましょう。不肖マルコが案内してさしあげましょう」と、おどけて答えた。
「もう! 意地悪だなー」
「はっはっは、早くしないと置いてゆきますぞ! 騎士マルコいざ! 参る!」
「えっ! ちょっと待って!」
いきなり高らかに告げるとマルコは馬を駆けさせた。
置いて行かれたアレスは「待って!」と叫びながら、ひたすら追いかけたのだ。
ブレナスの街は城壁に囲まれた城塞都市だ。
元々はここに国境があった。エルフとヴァルデマ国がまだ友好的でなかった頃、守りを固めていた。その後、リアと結ばれたことによって形骸化した国境だが、形式的にはハルブレッドの森は『ラーナ』のもので、いまでもクロフォード家の領地では無かった。
城壁の高さは規模の割には低い。背の丈くらいで石を積み上げた作りだった。所々に口を開けているのは、出入りに便利なのと必要性がなくなったからだろう。
城門では兵士が二人、槍を持って立っていた。向っている先はハルブレッドの森から続く街道側であり、出入りする人など当然いなかった。
城門の前で馬を降り、マルコが名乗りをあげた。
「こちらはアレス・ラーナ・クロフォード様だ。この度、領都オルヴォーに向うため立ち寄った。今宵の宿はここで取る。主君のご子息にあたられる方だ。丁重に案内いたせ」
マルコの大音声の名乗りに、慌てた兵士は俺の前に俯き頭をたれた。
「これは知らぬとはいえ、迎えも差し上げられず申し訳ございません」
「うん、突然だったからね……ええと」
アレスは突然のことに、必死で頭を巡らせた。普段は貴族らしくなんて考えたことも無い。
後ろを思わず振り返ると、ニヤ着いた笑い顔を浮かべるマルコがいた。
「ちょっ! くそぉ、はめたな」
そう小声でつぶやくと、腹を決めた。
「頭をあげよ! 先触れもなく出向いたこちらが悪いのだ。その方ら城門を守る者たちだな、役目ご苦労である。これからも頼んだぞ! さて我は休息を所望する。案内いたせ」
後ろでは噴き出しそうなマルコの肩が揺れていた。
アレスは絶対に仕返ししてやると心に決めながら、兵士に案内されるのだった、
案内を受けて進んだ先は城館だった。そこでまた代官とのやり取りに疲れ、ようやく息を付けたのはしばらくたってからだった。
父が使う城館を用意するとの言葉を、満面の笑顔を引きつらせて断った。
先触れも無しに現れたのはこちらだ、掃除の手は入れてはいるだろうが、巻き起こる混乱を想像して宿に案内させた。
宿は貴族も使う割と大きな建物で貸し切りとされた。
突然の貸し切りに、慌てる従業員を見て、城館に泊まるのと、どちらが良かったかと考えるアレスだったが、疲れていたのであきらめた。
「どうだい? 驚いたろう」
「ちょっと! 酷いよ」
「ふふふ、良い経験だったろう、これからも貴族として、この手のやり取りが必要とさせる場面が出てくるから頑張るんだな」
そう言うマルコは「おっ! 良い酒あるじゃねーか」と勝手に辺りを探し始めて、酒瓶を見つけるとグラスに注いでいた。
あきれたアレスはため息をつくと、マルコのためにつまみを用意させようと思った。
それは、主人の役目なのだからと。
翌朝、寝た気がしないアレスをチラッと見て欠伸するマルコ。文句の一つも言いたいところだが諦めた。
なんだか、この旅が始まってから諦めることが多いような気がしたアレスだった。
街を観光することも無く、急きょ仕立てられた護衛の一団を連れて領都オルヴォーに出発した。
「おお、これは楽だな」
マルコは呑気に鼻歌を歌いながら気を抜いた様子で、騎士らしさのかけらもない。
もっとも、兵士の守る隊列を襲う者など誰もいなから、怒ることも出来なかった。
途中、二泊を村で取った一行は領都オルヴォーの門をくぐったのだ。
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