3

 その夜、達樹は夢を見た。留梨子が実家を離れ、東京に行く夢だ。もう何度そんな夢を見たんだろう。もう見たくないのに、見てしまう。


「お母さん、行かないで!」


 だが、留梨子は立ち止まらない。どこかに行ってしまう。達樹は追いかけるが、追いつかない。そして、見えなくなる。達樹は泣きそうになった。


「ごめんね。東京に行って、稼いでくるから」

「行かないでよ!」


 達樹は立ち止まり、目の前を見ている。だが、留梨子はもうそこにいない。


「たっくん、あなたのためなのよ。ごめんね」

「そんな・・・。お母さん! お母さん!」


 達樹は目を覚ました。いつもの実家の夜だ。だが、それもあと少しだ。


「眠れないの?」

「うん」


 達樹はそのまま外に出てしまった。徳三とタエは心配そうにその様子を見ている。こんな深夜に、何をしに行くんだろう。


 達樹は夜の村道を歩いていた。村道は全く人が通っていない。家のあかりはみんな消え、夜空の星の光がよく見える。こんな風景、東京では味わえないだろう。東京は24時間眠らない街だから。


 達樹の足は、いつの間にか稲荷神社に向かっていた。あの九尾の狐に会いたい。そして、悩みを相談したい。


 稲荷神社にやって来た。茂みの中に九尾の狐がいる。また悩みを聞きたいな。


 九尾の狐は誰かの気配に気づき、横を向いた。そこには達樹がいる。まさか、今日も来ているとは。不安でたまらないんだろうか?


「大丈夫?」


 九尾の狐は達樹の頭を撫でた。こんな夜遅くに来るとは。よっぽど不安なんだろう。そして、達樹を抱きしめた。


「大丈夫じゃないよ」


 達樹は泣きそうだ。そんな達樹を見て、九尾の狐は慰めようとしている。だが、表情は変わらない。


「東京でやっていけるのか不安なの?」

「うん」


 相変わらず、東京での生活が不安のようだ。だけど、人々はみんな成長しなければならない。この村にも、多くの子供がいた。だけど、そのほとんどは東京に行ってしまった。そして、達樹も東京に行こうとしている。ますますこの稲荷神社は寂しくなるだろう。だけど、ここにとどまり、この村の豊穣を祈らなければならない。


「東京はいい所だよ。僕は誰にも気づかれずに行った事あるんだけど、とっても賑やかな所だよ」

「そうなの?」


 達樹は驚いた。まさか、九尾の狐も東京に行った事があるとは。賑やかな所だとは聞いているが、本当に楽しいんだろうか? ここはのどかで空気がおいしい。まるで東京とは正反対だ。


「きっと気に入ると思うよ」

「本当かな?」


 九尾の狐は優しい表情だ。まるで東京にいる留梨子のようだ。どうしてだろう。親近感がわいてくる。


「大丈夫大丈夫。不安にならないで。いい所もたくさんあるし」

「そうだね。そこに行ってみたい気持ちになれば行きたいけど、不安なのは生活だよ」


 達樹は新しい父の元でやっていけるのか、不安でしょうがない。新しい父に会った事がない。どんな人だろう。健司のように優しい人だったらいいけど。


「新しいお父さんって、いい人なんでしょ?」

「うん」


 だが、達樹は母から聞いた。新しい父はとても優しいと。達樹もきっと気に入るだろうと。


「だったらいいじゃない。胸張って東京に行こうよ」

「うん。でも、ここの友達と別れるのが寂しいな」


 達樹はみんなと別れるのも不安でしょうがない。今まで一緒に学んできた仲間と別れ、新しい学校でみんなと仲良くできるんだろうか?


「でも、また会えるんでしょ? 盆休みとか年末年始で」

「そうだけど、いつも会えなくなるってのが」


 突然、九尾の狐は達樹の頬を叩いた。今まで優しかった九尾の狐が、どうしたんだろう。達樹は顔を上げた。九尾の狐は厳しい表情だ。見た事がない表情だ。


「いつまでもおじいちゃんやおばあちゃん、お父さんやお母さんがいられないように、人は別れを経験しなければならないんだよ」

「おきつねさん・・・」


 達樹は気合が入った。留梨子も徳三もタエもみんな、父や母、祖父や祖母などがいて、彼らとの別れ、もしくは永遠の別れを経験しているはずだ。なのに、強く生きている。なのに、どうして自分はそれでも不安なままなんだろう。このままでは自分は成長しない。これから、いろんな出会いや別れを経験していくのに。


 だが、すぐに九尾の狐は元の優しい表情に戻った。まるで今さっきの表情が嘘のようだ。


「友達ともいつか別れなければならないんだよ。じゃないと、成長しないよ」

「そ、そうだね」


 達樹は実家に戻っていった。九尾の狐は温かい目で達樹を見ている。これで少しは元気になれただろうか?




 それから数日後、小学校では終業式があった。そして今日は、達樹のお別れ会だ。いろんな思い出があったけど、今日までだ。


 終業式では、達樹が来年度から東京の小学校に転校すると話した。それほど大きな出来事なのだ。今まで当たり前のようにいた達樹が今日限りでいなくなる。


 終業式の後、達樹のクラスではお別れ会が行われている。と言っても、先生たちと少しの生徒だけだ。ここは生徒数が少なくて、全生徒がお別れ会に参加する。


「今日でお別れだね」


 1年生の田中は寂しそうな表情だ。だが、また東京に旅行に行ったら、会いたいな。


「東京でも頑張ってね!」

「うん・・・」


 達樹は少し寂しい表情を見せている。だが、先日ほどではない。少し立ち直っている。九尾の狐に出会って、だんだん見つめ直してきた。これから僕は、東京に行き、大きく成長していくんだ。それを、遠い場所から見守っていてくれ。


「寂しい顔しないでよ!」

「わ、わかったよ・・・」


 達樹は少し笑みを浮かべている。生徒はみんな、達樹を見ている。達樹に会うのも、明日までだ。今日、この学校に達樹がいるのを、目に留めておこう。


「東京はいい所だよ! 僕も行ってみたいなー」


 2年生の中村は東京を思い浮かべている。東京は名所がたくさんだ。スカイツリーに浅草に。いつか再会して、一緒に行きたいな。


「本当?」

「浅草に、スカイツリーに、東京タワーに、あと、お台場に行ってみたいよ」


 達樹は考えた。しばらくは春休みが続く。それまでは東京の名所を巡りたいな。そして、少しずつ東京の生活に慣れないと。


「そうだね。いつか来てね。そしたら、一緒に巡ろうよ」

「うん」


 と、中村は中学校の修学旅行を考えた。恐らく、東京に行くだろう。その時は、中学校になった達樹にも会いたいな。そして、これまでの出来事を語り合いたいな。


「中学校の修学旅行で東京に行きたいな」

「もし、修学旅行で東京に行ったら、会おうよ!」


 その隣には唯一の同級生の山川がいる。今まで一緒に学んできたけれど、今日までだ。


「山川くん、東京に行っても元気でな!」

「うん・・・」


 だが、達樹は泣きそうだ。今日限りでみんなと学べなくなるからだ。会えなくなるからではない。


「どうした? 不安なのか?」

「みんなと学べないのが辛くて」


 その時、先生が達樹の肩を叩いた。寂しいけれど、それを乗り越えて成長してほしい。これは、大人になるための試練なんだ。


「辛いけど、それを乗り越えなければならないんだよ」

「そうなの?」


 達樹は顔を上げた。先生は笑みを浮かべている。まるで最近よく会っている九尾の狐のようだ。


「人は出会いと別れを通じて成長していくんだよ。だから、別れが必要なんだよ」


 その時、みんなが集まってきた。達樹に握手をしようとしているようだ。そろそろお別れ会も終わりで、本当の別れが近づいてきた。


「また会おうね!」

「きっとだよ!」


 みんなに見送られて、達樹は教室を後にした。その様子を、先生や生徒は見ている。達樹は前を向いて廊下を歩き出した。これから僕はみんなと別れて、東京で頑張るんだ。そして、いつの日にかみんなと再会するんだ。

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