オカルト・パンクと未練が詰まった冷蔵庫

小村ユキチ

1

 朝のニュース番組が、昨夜S市で起きた大規模停電の様子を伝えていた。なんでも市の照明の7割を担っていた廃ビルの地縛霊がうっかり成仏してしまい、ポルターガイストたちによる緊急発電が間に合わなかったのだという。

 眠い目をこすり、夏場の動物園のシロクマのように寝室からのそのそ這い出した私は、アクビを噛みつつリモコンを手に取りテレビを消した。そもそも点けてもないのに勝手についたテレビである。この部屋はかつて貧しい親子が心中自殺をしたという事故物件であり、こういった霊障はしょっちゅうなのだが、その分だけ電気代は安く浮いている。勝手にライトがつく、カーテンが開く、外から何人分もの足音が聞こえる、鏡に知らない顔が映る……霊が引き起こす超常現象は結局のところ何らかの形で物理的な作用をしているわけで、ようするに、電力が取り出せる。かのアインシュタイン博士が相対性理論に続いて発見した偏在性魂魄こんぱく原理が世界の幽霊事象を完全に事実として解明したのが1911年。続く霊冷式冷蔵庫の発明を皮切りに始まったオカルト現象の経済利用競争が新たな産業革命を促し、以降、急速に、世界は生きた人間が使うエネルギーを死んだ人間が賄う時代へとパラダイムシフトした。大型機械たちはエンジンを悪霊と置換し、鉄道は地縛霊が旅人を呼び寄せる引力に沿って敷かれるようになった。かくして世界は大オカルト時代へ突入、今や蓄積された膨大な亡者たちの記憶領域を利用したゴースト・グローバル・ネットが地球上を……。

 頭の中で鳴り響く声を消し飛ばすように、思い切り鼻をかんだ。

 まったく、わずらわしい。

 どうやら大学での講義助手のバイトを一年も続けたせいで、すっかりあのメタボ教授の爆音演説が耳に残ってしまったらしい。この手の他人の記憶や思念が繰り返し脳裏に浮かんでしまうのは一種の霊媒体質であり、比較的霊の"本体"に触れることの多い私のような人種にとっては職業病のようなものである。

 冷蔵庫を開け、オレンジジュースを取り出してコップに注ぐ。幽霊の力を生活に利用する最も簡単な方法の一つがこの冷蔵庫だ。なにせ適当な箱に怨霊を取り憑かせるだけでいい。おばけがいる空間は温度が下がる。最初に開発された換霊装置だけあって仕組みは単純なものである。この冷蔵庫は、憑着された霊のこだわりなのか、特にビールがよく冷える。

 残留した誰かの未練で冷やされた果実ジュースを喉に通しながら私はメガネをかけ、昨夜読むのをサボってテーブルに投げっぱなしにした封筒に手をかけた。宛名に書かれた名は柊紗英子サエコ様と今日も「瑛」の字を間違われている。資料を請求したのは私なのだが、ひとまずはやはり活字に目を通すのを諦め、ついでにまた勝手についていたテレビを消すのも諦め、昨日のうちにシャッフルしておいたタロットカードを引いてみることにした。


「"吊られた男"?」

 朝の喫茶店で、コーヒーに二袋めの砂糖を入れていた薪人マキトが、その生茶色い液体とは正反対の苦々しい顔を見せた。

「うわぁ……まずいんじゃないの、それ」

「まずいってことないでしょ」私は肩をすくめる。「一枚だけの簡易占いなんだからさ」

「だからこそってこともあるよ、サエコ」

「うーん……」真面目な表情の薪人になんと答えてよいかわからず、私はうつむいて意味もなくコーヒーをかき混ぜた。この時代、正しく施された"占い"は未来の予測としては完全に有意なものと証明されている。薪人は現在こそ音楽関係の仕事をしているものの大学では占星学で修士号まで取っただけあり、この手の話には人一倍敏感である。

「吊られた男のアルカナって、普通思われてるよりもだいぶ不穏なんだよ」薪人は言う。「象徴するものは『試練』。不思議だけど統計上、死人が直前に引くカードとしては死神や塔よりも頻度が高いって話だし」

 私は彼の顔よりも苦いブラックコーヒーに口をつけ、片目だけ閉じて笑ってみせた。「それってつまりさ、死神とかを引いた人はしっかり用心するから、結果的に死を回避できてるってだけの話でしょ?」

 薪人はまだ不満げに何か言おうとしたが、私が手帳を取り出してメモを取り始めたこともあって、諦めてドーナツをかじりだした。その仕草をこっそり見つめる。私よりも少し背が高いだけの小柄で華奢な男で、歳は二つ上の29。やや女性的な顔立ちをしているが声は低く、見た目や口調のイメージと違って意外な行動力にあふれている。ちょっとした仕草で首筋や腕にすぐに血管が浮き出るのはきっと、その細い体に似つかわしくないバイタリティの証拠なのだ……と、私は勝手に思っている。何かと性格や趣味が合う相手なのだが、味覚だけはまるで真逆に近く、それが潜在的に面倒な障害にならないといいな……と、これも私が勝手に思っている。

 いくつか思いついたことをメモに残していたら、視線を感じたので、1センチだけ顔を上げて彼の顔を伺ってみた。テーブルに肘を置き、アクセだらけの指をもみ合わせて私を見つめている。想像以上に眼差しは真剣だった。

 手帳を畳む。「……わかったって。ちゃんと死神を引いたつもりで用心しますよ」

「ホントに気をつけてね? いい店予約したんだから」薪人は口元を歪める。「その手帳も"いわく"つき?」

「違うよ、ほら」表紙に描かれたアザラシの絵を見せる。

「ああ、動物園で買ったやつ。去年のじゃん」

「そ」

「新しい眼鏡、かなりかわいいね」

「……ありがと」不覚にも、少し返事が遅れてしまった。「でもこっちはちゃんと曰く付き。めっちゃおばけが映るから運転とかできないよ」

「はは、霊媒職こっわ……」そう言って薪人は甘いドーナツを甘いコーヒーで飲み下した。

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