時神と暦人5⃣ 東国・御厨に流れる時間物語
南瀬匡躬
第1話 ♫ テッポウユリと許婚-桃酒の時間旅行-
--暦を司る神さまを
お見合い
「勘弁してよ。私、やっと仕事にも慣れてきたのに」
マンションのエントランスホール。ベレー帽にピンクのトレーナーの女性の声が響く。声の主にとっては、あと少しで自宅という場所だ。そして、ホールに響く声に驚いたのは提案した兄の方である。
「その、お見合だって言ったって形だけのものだから……」
「いーやっ!」
聞く耳持たない妹の
承諾を美和に貰えなかった為、この後、一色は父にこっぴどく怒られるのが目に見える。板挟みという損な役割だ。
「あのな、おまえが生まれたときから、許婚の相手がいるんだよ」
「わー、わー、わ-」
耳を塞ぎ、雑音を発する美和。ほぼ小学生並みの行動レベルである。これ以上の交渉は見込めないと踏んだ一色、出直す事にした。
偶然帰りが一緒になったので、自宅マンションのエントランスホールで切り出したのだが、予想だにしない抵抗にあって、心が折れた兄だった。
「もういいや」
一色はやつれ顔のまま、重たい足取りで自分の部屋へと戻る。結婚して、実家のあるマンションと同じフロアの区画を中古物件で買った一色は、両親と同居する美和とはお隣さんである。
「やれやれ、夏見の兄貴にでも相談するか……」
夏見の兄貴とは、
一方の完全に頭に血が上った美和は、そのまま自分の家とは逆向きに引き返し、エントランスを背にした。そのままマンションの敷地の外へと出る。そして建て物とは、目と鼻の先にあるチェーンの牛丼屋に入った。
顔なじみの店員が、
「こんばんは、今日も並で良いですか?」と訊ねる。馴染みとなっているため、『いつもの』が通用する客である。
「ううん。今日はむしゃくしゃするから牛皿を大盛りでちょうだい。それと日本酒とお新香」
「かしこまりました」
男前な注文に店員はお辞儀をすると、厨房に戻っていった。
「許婚って何よ、今、何時代。私にだって子供の頃から好きな相手くらいいるんだから……、勝手に決めないでよ」
彼女はカウンターテーブルに置かれた冷酒を猪口になみなみ注ぐと、一気に飲み干した。
それは周りの男性客が感心するくらいの潔い飲みっぷりだった。
時結びの御曹司ー託宣終了
「ういっす。
首にヘッドフォン、Tシャツにはアニメのキャラクター。
一九九〇年代、いわゆる七色の御簾とは違う、黒い穴が不気味に落とし穴のように口を開く流山街道の脇の茂み。御神酒の後で、
「意富吏さん。またこんな自分ひとりでスタンドプレイみたいなまねして、隣の
「今誰に、って、言った?」
「隣の時空御厨の、
「だってあの子の兄、
「あんたがいいのならいいんだけど」
狛犬のような獅子のマスコットは、それ以上は言わなかった。正しいかどうかは、ここではそれほど必要な事ではないという事を、意富吏自身もまた理解していないのだ。獅子と意富吏は並んで友達同士のように帰り道を探し始めた。
作業が終わった直後に、スタイルの良いクールな女性が、二人のいる場所にやって来た。手には地図が握られている。
「ここだわ。
見れば、膝下スカートに、ハイソックス、頭はベレー帽。見た目ほぼ七十年から八十年代の少女漫画家だ。そもそもそんな洋服、どこで手に入るか知りたいくらいだ。きっと熱帯陳列のお店でも売ってない。そんな不思議な女性が、意富吏の前に現れた。
彼女もやはり同じようなマスコットの獅子を従えている。それは雲野と呼ばれていた。
彼女の手には、桂花の御神酒の小瓶、そして託宣場所を示す赤ペンが記された地図が握られている。顔つきは悔しそうにも見える。
「美和ちゃん?」
意富吏は片手を挙げて、挨拶をする。一見二人は知り合いのようだ。
「あら意富吏君。阿漕もいるのね」
「もし時空穴の件でここに来たのなら、もう終わったよ」と伝える。
「もう解読しちゃったの?」
「解読はもちろんだけど、もう埋めちゃった」
みるみる美和の顔が赤く変わり、体は怒りに震え始める。
「なんで、あんた、私が来る前に全部やっちゃうのよ」
『ほら、言わんこっちゃない』
小声で独り言のように、阿漕がぼやく。
彼女の後ろには怒りの炎が逆巻く。
「だって俺一人で十分だったし……それ程解釈に時間かからなかったから……一色兄にも許可取ったし……」
両手の人差し指の先をトントンと合わせながら、
「兄貴もグルなのね……。まるで私が一人前に託宣解釈の出来ない馬鹿な暦人とでも言いたそうね」と美和。暦人にとってはあまり気分の良い話ではない。何より先日のお見合いの話もあるので、この時、兄である一色の名前を出した事は、意富吏には得策ではなかった。火に油である。
彼女はやさくれた目で、見下すように意富吏を睨む。そして加えて、
「苦労して、御神酒まで用意して、地図の解読までやって、ようやくここまで辿り着いた私の努力をどうしてくれるのよ!」と吐き捨てた。
「ごめん」
謝る意富吏の横で阿漕は、「なんで謝る必要があるのかね?」としかめ面で、それでいて笑う。
「二十五歳にもなって、なんでそんなこと分からないのよ」
「ごめん」
仁王立ちで腕組みをしながら、「ほかに言えないの?」と美和。癇癪持ちの爆発タイプ女子である。
「ごめん」
何を言っても彼からは「ごめん」しか出てこないと悟った彼女は、諦めて話題を変えた。
「で、帰りのルートは?」
「
「はい、正解。じゃあ一緒に帰りましょう。またいま来たあの距離を歩くのね。私、何もしていないのにとんぼ返りで、一九九五年さようなら!」
埋められた時空穴にお辞儀をする美和。所作言葉ひっくるめて、十中八九は意富吏への嫌みである。
「本日は単独行動で、一人で時空穴の整理してしまい済みませんでした。このところ、この時代に来ることが多くて、結構詳しくなったんで、土地勘、地理にも明るくなって……」と意富吏。とりあえず、憤慨する彼女に素直に頭を下げた。
「もういいわ」
プイと横向いて、美和は「行きましょ、雲野」と言って、連れてきた獅子のマスコットを傍らにすたすたと歩き出した。実はこの二人が持つマスコット、一対の狛犬であり、今回の陰の立て役者と言うことになる。二人は、勿論、単なる付喪神と思っているので、一対であることも、もとは狛犬であったことも知らないのだ。
横に並んだ時、美和は意富吏の腰元に何か光るものを見つけた。金属の
「ちょっと、あんた。Tシャツの裾に何か光っているわよ」
そう言って、帰りかけた意富吏の腰に手をやる。真っ直ぐな金属の先端は鋭く尖っている。
「危ないじゃない、これ縫い針よ。怪我してないわね? あんた体に刺さっていない? ほかにはない?」
何かと世話をしてくれる美和は、口喧しくても意富吏には、安心出来る女性である。
「うん。大丈夫だと思う」と体を見回す意富吏。
「本当にだらしないんだから、全くもう」
ため息の美和。
「美和さんはしっかり者の良いお嫁さんになるよね。流行のDJとかやっているから、もっと今風なのかとずっと思っていた。このところ同じ場所に託宣で来ることが多くて、接する機会も多くなったから分かったんだ。意外に古風で面倒見良いんだね」
偶然同じ場所に来る事が多くなったと思っているこの台詞には、裏がある。状況からも分かるように、狛犬の容姿でヒントを与えている彼らの付喪神、この
『古風で面倒見の良い』が美和の脳裏に焼き付く。
率直で、素直な意富吏の褒め言葉に、少しだけ顔を赤らめると、プイと向きを変えて、
「何馬鹿なこと言っているの。どっかに頭でもぶつけたんじゃないの? さっさと行くわよ」と先を歩き始めた美和。その顔の口元には少しだけ嬉しさの笑みがこぼれていた。
FM葛西公園の社屋スタジオ
「はい、それでは次のお便り。美和さま、僕の好きな人が大好きな曲。達郎さんの『高気圧ガール』をお願いします、って、私もこの曲大好き。十歳近く離れた兄がよく聞いていたんですよ。だけど、随分渋いねえ。何歳の彼女なの? それでは『水族館のおひとりさま』さんからのリクエストで、『高気圧ガール』でお別れです。また明日のお昼ちょうどにお会いしましょう」
美和はお昼の帯番組を終えると、手元のヴォリュームレバーをオフにした。頭につけていた業務用のヘッドフォンを外してテーブルに置く。代わりに置いてあった彼女のファッションの定番であるベレー帽を被る。
ふとなぜかマイクのコードが自分のスマホを糸巻きのようにして三回巻いてある事に気づいた。遊びの悪戯とは思えない凝った技である。
察しの良い暦人ならここで既に託宣の存在に気づく。だが彼女は、既にご存知のように限りなく鈍感である。そんなことに気づく由もない。
「何じゃこりゃ?」とたごまったマイクコードをほどいて、スマホを見る。画面には大きな杉玉の写真である。酒蔵の前で良く見かけるあれだ。
「どっか変なとこでタップしちゃったのかな?」
ここまで出てくれば大抵の暦人は大神神社の存在を示唆できるのだが、彼女は伊勢系、しかも成り立てである。三、四年程度の知識で、ほかの神社の特徴までも分からない。そして何と言っても限りなく鈍感。すべてはこれに尽きる。ここまで何度も託宣の見逃しをしていれば、先日の出遅れは必然である。意富吏に時空穴の託宣解読で先を越されたのは当然だ。しかも彼女、自分が意富吏に本気で恋していることすら気づいていない、超弩級の鈍感女性である。二十五歳過ぎて小学生並みの恋愛感情しか出来ない貧素な感性の持ち主と言うことになる。
デスクのマイク前に広げてあった番組進行表のキューシートを鷲掴みにして立ち上がる美和。そのまま彼女は、重壮な防音扉を押し開け、スタジオからミキサールームに移った。
PA機器の並ぶ傍らに、小さなテーブルセットが置かれている。
そこに紙コップを持った男性が座る。ネクタイを締めてスーツ姿だ。
「美和ちゃん、お疲れ」
「お疲れ様です」
プロデューサーの木場、彼は美和にコーヒーを差し出す。
「どうかな? 先日の話」
コーヒーを受け取り会釈する美和。
「夜の三時間枠、帯の話ですか?」
「うん」
「私よりも
オファーに対して、遠回しのお断りトークである。
「もう三年以上の女性DJって美和ちゃん以外、考えられないんだけど」
「夜は苦手なのと、結構他にもやることが多くて」
その言葉に、顔を曇らせ、過敏に反応する木場。
「余所に行ったりしないよね。メインはここじゃないと……」
語尾を濁し、少々心配な顔を見せる。
クスッ、と笑うと、
「こんな自宅から徒歩二十分の通勤圏にある便利な職場、やめるわけ無いじゃないですか。お願いしてでも残りますよ」と返す。
美和は、彼が杞憂にするほどの野心家ではない。ステップアップなど考えていない。現状に満足するタイプだ。
それに安堵した木場は、
「そっか、じゃあいいや。倫ちゃんに当たってみるよ」と笑顔で部屋を出て行った。いつのまにか美和の安定したディスクジョッキーは江戸川区民の昼の声になっていた。
そのポジションをまだ譲る気は無いというのが、本音なのと、夜の若者を相手にする番組は、流行のゲストも多く、気を遣う時間帯なのを知っていた。
自分の知名度も上がり、人気も出ることは確かなのだが、多くの企業や人々の期待も集まり、自由な時間配分は出来ない番組になる。下調べや商品知識などを求められるため仕事量も半端ではない。かなりの苦労を背負い込む仕事になる。二の足を踏んだというのが本音である。
美和の仕事場であるミニFM局は葛西臨海公園の駅前にある。つまりは臨海公園も水族館も目と鼻の先だ。
潮風香るこの地域は、古くから海路に開けた場所で、江戸になる前のこの地域は伊勢神宮の御厨である。伊勢への
美和の兄は地元の船宿兼食堂を経営する兼業の漁師だ。そして現役の暦人御師である。その昔、夏見が面倒を見た
さて話を進めよう。
美和がラジオ局の出口、扉を開けると、ヘッドフォンをした青年が立っている。もちろん昨日の彼だ。
既に次の番組が始まっているため、局の入り口からはラジオの声が流れてくる。
「意富吏くん?」
一瞬立ち止まる美和。
「美和ちゃん、昨日のこと謝ろうと思ってさ」
「別に良いわよ。あなたは桂花の御神酒を自前で用意できる技術を持っているんだもの、私が準備するより早く案件が片づくのは必然でしょう。そこから先は人間性の問題だから」
このように物わかり良い時の美和の言葉には、必ずと言っていいほどトゲがある。現に今も、故意に『人間性』を引き合いに出している。言葉を額面で受け取ってはいけない。すでに幼少期から学習している意富吏だ。
常に彼女の言葉は、一見、 シンプルな正論だけに、あの案件で独りよがりのスタンドプレーをした意富吏の胸には、心苦しさからか、そのトゲが二三本刺さっていた。
「そんなことより、あんた、こんなところで油売っていていいの? また上司に、どやされるわよ」
その目と鼻の先の水族館の魚類水槽を担当しているスタッフが意富吏なのだ。そして端から相手にする気もない彼女は追い払いの口実を探した。そのため、彼に早く仕事に戻ることを促しているというわけだ。
「今日休み。それでお詫びに食事でもご馳走しようかと思って……」
モジモジしながらも言うべきことは伝える意富吏。
「あら残念ね、私、これから
いとも簡単にフラれた意富吏。おおよそこっちからへりくだった時の彼女の態度の悪さは想定済みだ。だが彼の脳内PCはいい加減な屁理屈をはじき出す事にかけては天下一品である。
「お、おれも横浜に用事があるんだ、偶然だね」
「あんた、ストップ!」
彼女は振り返ると、五本の指を、彼の行く手に皆、パッと開けて、その行く手を阻み、動きを止める。
「JR以外で行って!」
パンチの効いた声で、そう言い残すと、颯爽と自動改札を抜けていく彼女。一緒の列車を避けた形だ。その後ろ姿を見送りながら、意富吏はまずスマホの地図で近くの地下鉄の駅を探す。割と律儀な性格だ。言いつけは守る。そして素早く画面を変えると、夏見粟斗の電話番号を確認した。
御曹司と世話好き娘
神奈川県横浜市。言わずと知れた港町。町中には歴史ある西洋建築があふれ、旅行者をエキゾチックな気持ちにさせてくれる大都市である。
その町の片隅、桜木町駅から坂を上った伊勢町と紅葉山のあたりに、桜ヶ丘神明宮という桜の綺麗な神明系の神社がある。読者の皆さんにはおなじみの朝日に反応して開くタイプのタイムゲートを有するお宮さんだ。
現在の横浜にある夏見家は、数年前に暦人の多岐から譲り受けた借家である。もともと音楽家にして暦人だった多岐の家だ。防音設備の整った離れのレッスンルームもあるということで、ピアニストの栄華にも都合良かった家を提供した。加えて、すぐ横は公立図書館ということで、粟斗にも都合のよい立地だった。
「今日だったかしら? 葛西御厨の青砥美和ちゃんが家に来ることになっているの。その時は応接室使ってもいいかしら?」
「ああ、一色くんの妹君だね。今日だったか。君に任せちゃってごめんね。女の子のだったんで、君の方が良いって一色くんに伝えたよ。なんでも許嫁がどうとかってことだよね?」
ピアノのレッスンを終えた栄華が、茶の間でくつろぐ粟斗に訊ねる。応接室は、彼が原稿の打ち合わせなどで使うことが多いため、予め許可を得ておきたいのだ。
「応接室の方は、別にかまわないんだけど、オレの方も、引き継ぎで分からない事があるからって、船橋の意富吏くんが訪ねてくる予定なんだ。今さっき連絡が来た」と返す。
「船橋夏見家の御曹司の
「そう」
「同じ夏見の家なのに、多野の夏見家とは随分違うのよねえ。確か船橋夏見家は商社とか自動車ディーラーとか、何社も企業をやっている家よね」と笑う栄華。
「済みませんね。それに比べて、うちの多野の家系は素朴な田舎人だから。華やかで、都会的な船橋の意富吏君のところとは違うね」と笑い返す。
「そんなのは別に卑下してないけど、暦人としては一つ気になる事もあるの。ねえ、なんで夏見家は二つに分けれているの?」
腕を絡めて、下から見上げるように、好奇心に満ちた瞳で尋ねる栄華。
「細かいことは知らないけど、大昔の平安以前に、奈良の桜井を離れて、三河で夏見を名乗り、船橋と相模の伊勢原に移った。そこで御厨を管理、相模の分家が八雲家に協力して、簗田の暦人を務めたんだ。後に、相模から足利、足利から多野に移って天文学研究や
「相模伊勢原ってことは、あなたはまた近くに戻ってきたことになるのね」
「まあ、オレ分家だけどね」と軽く笑う夏見。ほぼ他人事である。
「でも占星学か、気になる……って、あっ! じゃあ、時の館の鏡って……」と栄華、未来予知と卜占が紙一重であることを悟る。
「そう、多野夏見の本家筋のものだ。多野にも同じものがある。だから多野の夏見家は通称『時の御厨』って呼ばれている。多くの卜占の品を貸している。でもあくまで『時の御厨』というのは、俗称であり、本当の御厨ではない」
「多野に移り住んだのって、何時代?」
「安土桃山とか、江戸初期とか、そんくらい? よく知らない」
「ふーん。じゃあ、長い間かけて暦の勉強してたんですねえ。両本家の方たちは」
「うん、相変わらず、暦には携わってたから、本家同士連絡は取り合っているみたいだけど、伊勢の小宅家、大那君とアキエさんのところみたいに、何世代か毎に婚姻とかはないからね。どのみち三男だったうちの祖父の流れ、傍流のオレには、本家同士の関係については、あまり縁の無い世界さ。お伽話か、伝説レベルでピンと来ない。史実でないことも混じっている筈だね」
「なるほど」
頷きながら納得の顔の栄華。
「まあ、君のように立派な才能があるわけでもないし、折角お輿入れ下さったお嫁さまには悪いけど、結局は分家の普通の家系さ。山崎や八雲のように、何代も続く御師のご当主ではないよ」と済まなそうに話す粟斗。
「あら、わたしだって、普通の人だわ」
「ご謙遜を。ピアノ弾きっていう才能をお持ちでしょう」
「それなら文芸論考賞のネーチャー部門で、最終選考に残った粟斗さんだって、才能をお持ちだわ」
粟斗は、あきらめ顔で、「世界的な賞をもらった人に、慈悲のように言われてもなあ。全く慰めにもなってない。大体、オレの方は、山登り紀行文だったし、結局賞をもらっていないから、何もないのと一緒さ。無冠のおじさん物書き」と苦笑いだ。そして「まあ、オレの話も、我が家の話も、特におもしろくないので、この辺で終わりましょう」とバツが悪いのか、早々に話を打ち切る夏見だった。
「じゃあ、私と二人で横浜桜が丘御師の始祖になったということでまとめておきます。新しい御師役を作ったなんて、凄い事だわ」
栄華の言葉に、
「うん、それでお願いします。何もないオレには有り難い話だ」と気を取り直して、満足気な彼だった。
「ところで葛西御厨と船橋御厨って、お隣同士の御厨だけど、今日のお二人は面識あるのかしら?」
「さあ?」と肩をすくめる粟斗。そして「若者世代であるあの世代の人とは、交流が少ないから、人間関係までは知らないよ」と首を横に振った。
「ひとつ上の世代にあたる葛西の青砥一色くんは、オレがいろいろ世話したね。御師の仕事を教えたり……」
「先日ウチに連絡を下さった美和さんのお兄様ね」
「そう」
「じゃあ、文吾大伯父様と粟斗さんの関係に近いわね」
頷く粟斗が続ける。
「まあそういう意味では、船橋の意富吏くんも引き継ぎ半分でオレが教えたようなものだしね。何かとあの隣同士の御厨は繋がりがあるもんだ」
「そうね。私が飯倉を守っていたときも、船橋と葛西、飯倉は一緒に動くことが多かったわ。粟斗さんが文吾おじさまと仲良しになれた理由もそういう共同作業にあったりするのよね」
「うん、ただね。もう二つ。あの地域には、気に留めておかなくちゃいけない御厨が二つある」
夏見の言葉に、「ふたつ……」と応答する栄華。
「そのうちに分かってくるけどね」と苦笑いの夏見。
この時の彼の苦笑いを気付かない栄華は、後に嫌と言うほど思い出すことになる。それはまだ数ヶ月先のことであった。
何となくだが、御厨同士、御師同士の関係性が見えた栄華は嬉しそうである。
「関東の御厨の人とは久しぶりに会うわね」
栄華の言葉に、
「みずほや美瑠ちゃんとしょっちゅう会っているじゃない」と返す粟斗。
「二人は特別。お友達だもの。葛西の御厨はどんななの?」と栄華。彼女は実際に他の御厨のゲートをあまり使ったことがない為、気になる様だ。
「葛西は青砥神明社のタイムゲートを使うんだ。あそこは月明かりのゲートだね。なので満月前後の明るい夜だけしかゲートが開かない。毎日使えるわけじゃない。それで船橋と飯倉のゲートを借りる事が多いんだ」
「ふーん。一般的なタイプね」と栄華。そして「船橋は?」と尋ねる。
「朝日で出来るゲートが船橋之大神宮。あと流山三輪神社のゲートだねえ。結構、管理ゲートは多いよ」
「流山のゲート? 結構離れたところも受け持っていたのね」
「ここもやはり江戸川の水運で繋がっていたんだろうね、昔は。扱い方の違う大神系のゲートなので慎重に管理していたよ。はす向かいに
「相変わらず、川によって地域性が変わるのね、御厨同士は」
「でも流れの複雑な地域なので、性質は似通っているよ。特にあの辺は江戸時代に大工事の連続だった事からも想像つく様に、多くの河川が入り組んでいたからね。なので分かりやすかったのか、船橋が同じ流域の流山三輪は受け持つことになったのかもね」
「大神系のゲートが千葉にもあるんだ。
「あそこと同じように縁起的にも古いお宮なので、凄いゲートが残ってるよ。大神系の暦人たちが重宝がって使っているゲートだ。地名もあの近辺は流山三輪神社に由来するものばかりだ。古社なんだろうな。
「ゲートには乙女さんも来てたの?」
「勿論、彼女は毎年のように船橋に挨拶に来ていたよ」
「そっか、だから粟斗さんとは知り合いなのね。まあ郷里も近いし、ゲートの共有もあったしね。いまや旧友の夫人でもある」
「こうやってすりあわせてみると、大伯父のことも、乙女さんのことも、皆お知り合いなのが裏付け出来るわね。船橋の夏見家と御厨の話もおもしろそう」と栄華。
「でもオレがやっていた船橋御厨の時代のことは、家とはあまり関係ないけどね。雇われ店長みたいなものだから……。まあ、君のところみたいに、ご由緒のある御厨のゲートを直に守ってきた血族という訳ではないので、大した話もない。参考になるような話もないしね」
「あら私だって、分家だわ。文吾おじさまの家とゲートを代わりに守っていたに過ぎないわ。預かりの身よ。粟斗さんと同じよ。次の
「そうかも知れないね」と粟斗。
「ごめんください」
「ほら、噂をすれば影だ。出てくる」
軽いウインクの後で、粟斗は玄関に向かう。
「ごめんください」
再度、男性の声が玄関に響く。首にヘッドフォンを絡めた青年が立っている。リュックを背負って、ジーンズに、キャラクターTシャツというラフな出で立ちだ。私鉄の高島町からバスを使った意富吏の方が一足先に、美和よりも早く、横浜の夏見家に着いたようだ。
「いらっしゃい、待っていたよ。さあ上がって」
「ちわっす。突然済みません。いつもお世話になりやっす」
意富吏は、これで敬語を使っているつもりである。彼にとっては毎度のことなのだが、あまりの今風の言葉に夏見は、いや粟斗は今日も吹き出しそうなった。今回は夏見が二人いるので、ファーストネームで行こう。
「あの粟斗さん」
廊下を歩きながら、意富吏は訊ねる。
「ん。なに?」
「玄関~(げんかんー)、今チャイムー、鳴ったけどー、ほっといていいんすか?」
このラップ音楽のような口調、そのうち「ちぇけら」とか「よーよー」とか言い出しそうである。粟斗は面白い若者文化に興味深々である。
「うん、ありがとう。じゃあ、そこの居間で座って待っていて」と粟斗。
敬礼もどきで、額に手を当てると、
「了解っす」と意富吏は部屋に入った。
「栄華ちゃん、玄関の表で美和さん待っているみたいよ」と粟斗。縁側から物干し台の栄華に首を出して伝える。
「ええっ?」
洗濯物を干していた途中で、「粟斗さんバトンタッチ」とバスケットを渡される粟斗。
「ええっ! なんでオレ?」
洗濯物を粟斗に任せると栄華は「はーい」と玄関に出て行った。
意富吏と美和
改めて横浜夏見家の応接間に座る夏見意富吏と青砥美和。どうやら二人は顔なじみだと、粟斗と栄華は判断した。二人とはテーブルを挟んで、横浜の夏見夫妻がソファーに座る。
だがすぐに飲み物を用意するために栄華は席を立った。キッチンにいても、ここでの話は聞こえるので、問題はない。
しばらくして、栄華が乳酸飲料を持って戻ってきた。
「どうぞ」と二人に渡す栄華。そして「粟斗さんはこれね」と麦茶を出す。
「なんであんたがここにいるのよ」と小声で言う美和。
「用事あるって、言ったろう。船橋御師の話だよ」と、とってつけたような言い訳の意富吏。
美和の行き先を知って、急いで同じ場所に用事を作ったなどとは、口が裂けても言えない。
「二十五にもなって、
いつものお節介だが、意富吏は口うるさく言われて嬉しそうである。冷ややかな物言いで、とても助言とは思えない美和の言葉なのだが、人の好みはそれぞれだ。
遠慮のない二人の会話を聞いた栄華は、
「お二人とも、お知り合いなのね」と確認を取る。
「ええ、隣の御厨だったから、幼い頃から顔だけは知ってます」
あくまで他人の振りの美和である。だが今更という感じだ。
「まず、意富吏くんの方から用件を聞いて良いかい?」と粟斗。
軽く咳払いをすると、意富吏は、
「自分、最近、自分の生まれた頃にタイムリープすることが多くなったっす」と始める。
「先日、何回か託宣で飛ばされたのが、昭和の終わりから平成の初め、バブルの頃でした。そこは自分が生まれる少し前の時代で、なんでか建て替えのために、現在の家の敷地が工事中で、夏見さんが以前使っていたヘルスセンター跡の敷地の一角に両親は暮らしていました」
「うん。その通りだ。その場所は君の家がもともと持ってた敷地にオレが事務所として借りていた場所だからね」と粟斗。
「問題はその敷地の隣に、角川文吾っておじさんが養魚場を作っていたっす。あの養魚場って、規模も大きくて、当時の我が家の収入源になっていたんだけど、なんでその後、我が家が譲り受けたのかを知りたかったっす。そして養魚場の事務所の神棚のお札には、大神系が入ってたっす。その場で文吾さんと知り合いになると、仕入れた知識、戻った時、他言出来ないので、解決に繋がらない。そんで、この自分の時代に戻ってから、現代で知識の共有が出来る粟斗さんから聞ければ、と思ったっす。で、本日ここにお伺いした次第っす。重ねて、奥さんが文吾さんのお身内とお伺いしていたので」
先に答えたのは栄華だ。
「残念だけど、私は分からないわ。大伯父が船橋に養魚場と事務所を持っていたって、初耳よ」
「そうっすか」
「それはオレ知っている。いけすの魚は、潮風食堂の食材と釣り船客の餌にする小魚」
「ウチの実家のものですか?」と美和。
「そう。安定供給のために先代の店主の青砥さんに頼まれた話。で、土地を貸してやるって言った太っ腹な地主が船橋夏見の家。もともとあの辺りの大地主だからね」
「それで謎が解けました。ありがとうございます」と意富吏。
「大神系のお札の話は?」と栄華。
「うんうん、そっちはもっと単純だ。その事務所の管理は大神系に縁のある人を使いなさい、っていう文吾さんの意向かな。素直に考えればね」
とりあえず表向き、意富吏の相談事項は片付いた。
「じゃあ、私の方ね。美和さんの用件もここで訊いて良い?」と栄華。
「はい」
そう言って、頷くと美和が話し始めた。
「わたしも行き先の相談で、最近彼と同じ場所、時代によくタイムリープします。バッティングし過ぎなくらいに。先日、やはり同じ頃、生まれた前後から幼少期辺り、平成の初めに飛ばされました。するといつも彼がいるんです。偶然とは思えません!」
栄華はクスリと笑うと、
「そこは暦人だったら、偶然とは思えないと考えるのであれば、必然と考えて筋立てを組み立てないと」と優しく諭す。
「必然?」
解せない顔の美和。
「そう。ニーズだったり、意図的な作為、あるいは恣意的な野望のシナリオ、とかね」
人差し指を立てて説明する栄華に、頷く粟斗。
「君たち二人を会わせる事にメリットがある人がいるのかもしれない」と加える粟斗。
スカートの折り目を直しながら、美和は、
「こう何度も、平成元年から平成十年あたりの託宣ばかりが続くと、いったい何でだろうとは思いました。しかも意富吏くんがいつも先回りして、全部かたづけてしまう。私が駆けつけると、もう終わった後なんです。何の為の託宣だか」と苦笑いだ。
夏見は優しく美和に言う。
「その済んでしまったところに駆けつけさせるのが、最初から託宣の思惑だとしたら?」
「どういうことですか?」
栄華は付け加えて、
「意富吏くんの託宣を終えた場所に、時神さまがお呼びになった、って事ね。そういう事も想定としてありうるという考え。解釈なので、色々な角度から検証することも必要って話だわ」と笑う。
「なんで!」と思わず声が漏れる美和。
「さあ? あくまでも、推測の一つに過ぎないわ」と肩をすぼめる栄華。
美和が、出された乳酸飲料に手をつけたそのとき、粟斗は二人の背後にある気配を感じる。壁に向かって話しかけた。
「出てくれば? 二人が心配なんでしょうから」と誰もいない場所を見つめる粟斗。
すると二人の背後に、付喪神が姿を現した。
「ばれちゃうねえ」と雲野。
「久しぶりだねえ、雲野」と粟斗。
「ご無沙汰です」
しっぽを振りながら笑う。
「こっちは初めてだ。でも外観は雲野とそっくりだな、狛犬ってことか」
「阿漕と申します。今は船橋夏見家に間借りしてます。雲野とは古いつきあいです」
「だろうね。『
「相変わらず、夏見さんには敵わないですね」と雲野。
「君ら本体はどこにあるの? 化けるとなくなっちゃう系、それとも本体は別にそのまま系?」
「いまも神社の蔵の奥深くにあります。二人仲良く」と雲野。
「二人仲良くねえ……」
含みのある粟斗の言葉に少したじろぎを見せた雲野。
「うん。仲良くねえ」
再び繰り返す言葉。思慮深く思いにふける粟斗。あごに手をやり、不思議そうな表情。相談しに来た二人の件よりも、こっちに分があると踏んだ彼だ。だが託宣がどのように雲野たちに渡されているかは、時神の密書。尋ねるわけにもいかない。
そして意富吏と美和の方に向きを変えて一言。
「今回の時神さまの思惑は、君たちのこともあるのだろうが、それ以上に君らの両家の繋がりが鍵になる。二人とそのお家事情に何かあるな」と粟斗。
「何となくそんな気がしていました」
意富吏の言葉に美和も頷く。
そして美和は、
「そのことでお持ちしたものがありまして……」と自分の鞄を手探りする。
すると、美和の表情が曇る。いや、苛立つのが分かる。持って来たものがなくなっている。
別の疑惑が美和を襲って来た。逆に鞄の中にある筈のないものを見つけてしまった。
「あんた、また私の鞄に悪戯したでしょう?」と意富吏を疑う。不意打ちの濡れ衣である。
「何を根拠に」
彼女は鞄中からむんずと掴んで、手延べ
「ほら!」
「そうめん? オレじゃないけど」
彼から嘘の匂いはしない。粟斗はそう踏んでいる。根拠のない美和の決めつけに感じた。
「こんなくだらない悪戯、あんたしかいないでしょう!」
冷静にこの台詞だけを分析すると、短絡的だ。栄華も彼女をかなり決めつけのひどい人と判断した。
「ちょっとその判断は、飛躍しすぎかな」と意富吏の援護にまわる。
「オレじゃないって、何のために素麺なんだよ!」
本当に身に覚えのない顔の意富吏。さすがに犯人扱いに怒ってしまう。
「昼間だって、私のメアドに杉玉の写真送りつけてきて」と加える。
「杉玉?」
その様子を見ていた粟斗と栄華は顔を見合わせる。苦虫かみつぶしの表情を見せる夫婦。
「聞きしに勝る、凄い鈍感だね。美和さん。しかも決めつけが酷い、暦人独り立ちの日は遠そうだなぁ」と粟斗。どちらが言っても良かったが、今回は粟斗に譲った栄華。
「えっ?」
唐突な言葉にたじろぐ美和。しかもかなりの比率で彼女の推測は否定された。
「それ託宣だと思うよ」とさらりと言う粟斗に、優しく頷く栄華。
一瞬、気難しい顔をした後で、暫く間を取って、ワンテンポ遅れてから、
「エー!」と驚く美和。
おでこを抱えた粟斗は、
「こりゃ重症だな。暦人としてはハンディかもな」と悩む。
栄華はこそっと頷く意富吏の表情を見逃さなかった。相当彼女の決めつけに悩まされてきた事が窺える。
「時神さまはなぜ、彼女を暦人に選んだのかしら?」
栄華の言葉に、
「それが今回の託宣の答えなのかもよ」と肩を落とす粟斗。
「なるほど」
栄華も難しい顔で、頬杖付いていた。
「まあ、今までの与えられたヒント、ピースを繋ぎ合わせて見えて来るメッセージだと、お呼びになっているのは、時神さまと
栄華の結論を二人は首を傾げて、半信半疑で受け入れた。
「その顔は納得していないわね。じゃあ、答え合わせが必要ね。説明するわ」
栄華は、「そうめんは三輪そうめん。
「送られてきた画像は褐色を通り越して茶色でした」
「じゃあ、そろそろ新しい世代を仕込まなきゃ、ってサインじゃないかしら?」と言って、確認がてら粟斗を見る栄華。
「そういう見方も出来るね」
腕組みの粟斗は、栄華に『続けて』という仕草。無言で手のひらを持ち上げるジェスチャーをする。
「あと、サインとして見做せそうなのは、三輪神話の糸巻きの話かしら? 縫い針と三回回しの糸巻きね」
栄華のその言葉に思い当たることがあるようで美和は、「あっ」と声を出す。
「何か、それらしいことあったのね。教えて」
栄華のその言葉に美和は、
「託宣を消化しての帰り際に、意富吏くんのシャツの腰のところに縫い針がありました。そして今日仕事場のスタジオで私のマイクにコードがくるくると三回転巻いてありました」
さすがに偶然にも言えなくなる頻度だ。言い終えた美和も託宣である事に確信を得る。
「ハイ、ビンゴ!
「そこまでピースが揃えば、間違いなく託宣だね」と粟斗。
粟斗は思うとこがあるようで、立ち上がると、応接室を出てキッチンへ向かう。用事はシンク下の開き戸の中にあるらしい。
大事そうに手繰り寄せる二つの瓶。一つ目のその中には濁り酒。もう一方の瓶の中には桃の実をつけた焼酎。それら二つを調理用のボールで混ぜ合わせる。そしてそれを水筒に
最後に人数分のプラコップを用意して、
「さて、これからだな」と呟いた。
水筒とプラコップを持って、応接室に戻る粟斗。
「どうするの?」
興味津々な顔で栄華は粟斗を見つめた。大神系暦人の時間移動法を初めて見れるためだ。
大神系のタイムゲート
「ちょっとみんなで桜ヶ丘神明宮にお参りに行こうか。なにか託宣のヒントの続きをもらえるかも知れないよ。ラストピースってやつ」
粟斗は、託宣の続きが気になったこともあり、二人を誘う。
「私も行って良いですか?」と栄華。
「もちろん」
優しく頷く粟斗に「どうも」と笑顔で返す栄華。
伊勢町の外れ、紅葉山の公園の上に位置する現在の粟斗の家は、目と鼻の先が桜ヶ丘神明宮である。このお社は伊勢系のアマテラスさま、月読さまは勿論のこと、大神さま、そして住吉さまのご神徳をいただけるお宮さんである。そういう意味では時間の旅人、暦人にとっては重要な神社と言うことになる。
四人は家を出ると、すぐ横にある脇参道から境内に上がった。図書館や音楽堂など文化施設のあるエリアである。鳥居の前で、挨拶にお辞儀をする一行。そこで鳥居をくぐると水の膜をくぐったように、違う時間の流れに飛び込んだ不思議な感覚に見舞われる。境内もモノクローム、なぜか時の鐘が置かれる鐘楼だけが色をつけている。
どこかいつもの境内と様子が異なることに粟斗と栄華は気付く。
「やっぱりな」と粟斗。
粟斗は「美和さん、ちょっとこっちへ」と手招きする。本殿の脇に摂社としてご鎮座される大神神社。そう大神系の
「大神系のゲートだ。たぶんあなたに使ってほしいという暗示です。要はあなたを大神系の暦人にスカウトしてるとオレは踏んでます」
粟斗は下がってズレた偏光グラスをこめかみの上に指で戻す。
「私に?」
「うん」と真剣な顔で答える粟斗。そして、
「でもまだゲートには入らないで、ここにいてね。彼にも説明があるので」と粟斗。
「はい」
粟斗は意富吏と栄華の元に戻ると、意富吏を今度は正面の参道へと続く、
「ここのお宮さんは、ここに朝日のゲートが出来る。知っているね」
「はい。よく使うっす」と意富吏。
「時越え偵察活動や下見活動の話を訊いても良い?」
夏見の言葉に無言でうなずく意富吏。
「託宣で飛ばされない時は、どうやって現地の事実確認してた?」
「時の玉手箱っすかね。目的の時代に実際に行けるから、下見がてら」と意富吏。
「正解。結構、手の込んだ事やってるんだ。でもただ調べるだけとか、事実確認の為だけに、毎回時間移動してたら疲労度は半端ない。君の行動範囲、行動時間も制限されて、手間もかかる」
「そっすね」
「あっちにある大神系のゲートが使えるようになったら、どれだけ良いだろう」と粟斗。
「船橋なら流山の扱いゲートっすね」
「うん」
「あれ前からどうやって使うのかが、いまいちわかんなかったっす」
「そうだね。最初はオレも苦労したよ。空間ゲートって言って、
「?」
「
「まあ、そうっすね」
意富吏と栄華、返事はしているがいまいちイメージがわかないようだ。
「ゲートの前で説明しよう」
そう言って、粟斗は美和のいるゲートの方に、意富吏と栄華を導く。
仕切り直して、意富吏が訊く。
「最初は分からなかった、ってことは……」
「うん。今は使えるんだな、大神系の時間移動。軽くだけどね」と笑う粟斗。
「きっと君たちが時を同じくして、我々の元にやって来たのは必然、時神の神威、そういうことなんだろうね」
「よく分からないっす」
「今現在、神明系のゲートと大神系のゲートの両方を持っている御厨は、オレの知る限り三つだ。以前は二つだった。思川乙女さんの
「はい」
「なんで時巫女と多岐さんがオレにこの場所を託したか、それが今分かった。大神系のゲートの使い方も案内役として教えてあげてほしいと言うことだ。大神系のゲートの使い方を知っている伊勢系の人間が少ないからだ。乙女さんはいつもここのゲートや船橋のゲートにいるわけじゃない。でも大神系のゲートを必要とする暦人も結構な人数いる。折角の大神ゲート、宝の持ち腐れにならないように、そういった人たちに大神系のゲートのノウハウを与えて、使ってほしかったんだな。そして船橋扱いの大神ゲートも専門の暦人にいてほしかったってことだ。その役目が美和さん、あなただ」
「ええっ? 私、神明系の葛西の暦人ですけど?」
人差し指を口に当てぽかんとする美和。
「これからあなたの歴史を見に行くよ。あなたの受けた運命の託宣。今、オレは自分の予想に確信があるんだ。間違いなくあなたに、大神系のゲートの使い手になって欲しいという託宣だ。お見合いの件で、なんでオレのところに一色さんが連絡をしてきたのか、って事にも繋がる事実だ。そしてお見合いを断った理由は、お見合いをする理由にもなるのさ」
粟斗の意味深な言い回し、謎掛け問答と重みと哲学が同居した台詞だ。
「お見合いを断る理由が、お見合いをする理由になる……」と栄華。
「深い。謎かけか哲学っす」と意富吏。
「ニワトリとたまごの類だわ」と美和。
ここで栄華が少々意味ありげに話す。
「分かっちゃった。ふふふ。船橋の人と一緒になれば、船橋の暦人よ。あなた答えは分かっているでしょう?」
「どういうこと?」
意富吏と美和は傾げた首が戻らない。
そのまま我に返る意富吏は、
「ちょっと待った! 美和ちゃん、お見合いするの?」と焦り出す。
「私だって、したくないわよ」と少しキレ気味で返す美和。未だ納得していない刃物のように研ぎ澄まされたセリフが宙を舞う。
「した方が良いわよ」と栄華。
「ダメだよ」と意富吏。間髪入れずに阻止を表明して不安げな表情だ。
「お見合いなんて興味ないから」と強気の姿勢で鼻息あらい美和。
おかしな空気の中、粟斗は、
「まあ結論は事実を見てからでも遅くはないよ」と笑う。
真剣に悩む美和と意富吏、事実を知ってる故にからかいがてらの粟斗と栄華。二組のペアには若干の温度差があった。それは結論を予測できる者とそうではない者の違いという事でもあった。
平成初めの『潮風食堂』
「大神系のタイムゲートの面白いところは、オレたちの実体はこの場所にいて、魂、いや意識だけが、映画を見るようにその時代に飛べることだ。つまり疑似空間移動になる。今風に言えばヴァーチャル体験みたいなもんだ。その場所に行って、託宣を遂行したり、人に会ったりするのには、やはり神明系の『時の扉』、すなわち虹色の御簾が必要なんだけど、観に行くだけでいいような、偵察移動の時は、大神系ゲートを使うと便利なんだ。まあ、百聞は一見しかず、だ」
そう言って、「まずは美和ちゃんからどうぞ」と粟斗は背中を押した。
ゲートの中はいつものゲートとそう変わらない。体も一緒に入ってきている感覚はある。自分たちの姿も、体も、しっかりと見えている。魂だけというのは意富吏は少し違うと思っていた。
暫くして皆の前に視界が開けた。
「あ、ここは、昔の父がやっていた頃の潮風食堂です。使わなくなった引越し前の家」と美和。
部屋の天井部分から俯瞰するようにその場面を皆は眺めていた。こちらの様子はあちらからは見えていないようだ。そこにいる者たちは全く美和たちの存在に気付かない。そして今の美和の台詞も全く聞こえていない様子だ。
「今起きている事は事実だけど、見えているものは映画のスクリーンと一緒で、実体はない。触ろうとしても通り抜けてしまう」
粟斗は簡単に説明を入れる。
粟斗の言葉に頷いた後、美和は続ける。
「私の家は江戸川の近くに代々あったのですが、父の代に、臨海公園駅の近くの居住性の良いマンションに引っ越しました。今は江戸川の一戸建て、つまり今いるこの場所は、住もうと思えば住めますが、改装して食堂の店舗としてだけ使ってます。たまに別宅代わりに使う程度で。でもこの時代はまだここで生活している頃です」
「多分、臨海公園が出来たのはこの少し前頃だね。平成のはじめ、部分開園頃には、もう駅も出来ていた。その頃、よくバードウォッチング、鳥の写真を山崎と撮影に来てたから覚えているよ」と粟斗。
「そうなんですね」と美和。
「とりあえず何か分かるかも知れないいから、少しお父さんたちの会話を聴いてみよう」
そこにはまだ二十代後半の美和の父親と四十歳過ぎの意富吏の父親がいた。
店内のカウンターでしみじみと話している。まだ店を開ける前、すなわち開店準備前の段階だ。
「船橋御厨のゲートはさ、一旦多野の親戚の流れである粟斗くんに預けようと思ってさ。時巫女にも相談している」
「彼、暦人としては優秀だよね、勘がいいのかな」
「夏見さんのとこは、ウチの下のチビ、美和と一緒の年齢だから、父子の世代間で隙間がどうしても出来るよね。五十歳近くで暦人続けるのはちょっとハードだもんな。オレはまだ二十代だから動けるけど、分かるわ」
「歳行ってようやく授かった子でね、彼がせめて中学か高校に入るまでは船橋を誰かに任せたくてね」と意富吏の父親。
「しかも船橋のゲートは、飛び地ゲートの東条と流山付きだ。オレはよく分からないけど、流山の大神系はゲートを使うメンツが違うんだろう? 前にもちょこっと訊いたっけなあ」と美和の父親が返す。
「そうなんだ、覚えていてくれたか。栃木の思川、神奈川の多岐、そして名古屋の金山、桜井の初瀬、そしてウチを入れた六人だけ。いつか廃れてしまいそうでな」
「そりゃ、いけないな。希少なのは覚えているさ。だからあん時、ウチのチビは船橋に嫁に出すつもりで、名前を美和って付けたじゃないか。二人で夜通し考えたんだ」
「うん、許婚って、現代っぽくないけど、そういうことだよな」
そこで美和が大きく「はう」と息を呑む。驚きと喜びが混じったような表情だ。
『お見合いって、許嫁って、意富吏くん? 渡りに船じゃないの。何を悩んでいたのよ、私!』
そう納得して、ひとりごちた美和。
「ウチのはさ、歳いってからの子だから、男の子なのに甘くしちゃってさあ。優しいけど、泣き虫で、愚図なんだよ。いつも目に涙一杯ためて帰ってくるんだ。親馬鹿だからすぐに甘えさせちゃうんだよなあ……」
「ウチのは女の子なのに、自然優良児だ。魚でも、蟹でもなんでも手づかみで持ってくるんだよ。アホだろ。嫁にもらってくれる先があって良かったよ」
「甘ったれな男の子と自立心の強い女の子か、こりゃ大変だ」
「でも二人が仲良しで良かったな」
「ああ、美和なんか、意富吏くんをお婿さんにしてあげるから、感謝しなさい、って威張っていたぞ、幼稚園のままごと遊びで」
「で、そのとき意富吏はなんて?」
「ありがとうございます、ってお礼なんか言ってやンの。律儀だねえ」
「あいつらしい。このまま二人が恋仲になってくれれば、時神さまも安心なんだがね」
「保険かけときますか?」
「保険?」
「二人が暦人になったときに、お供に付けておく付喪神ですよ」
「そんなこと出来るんですか?」
「ウチの船橋御厨には一対の狛犬の付喪神がいるんです。それを二人に其々付けておきましょう。彼らはともに時神さまの同じ託宣を受けることができる。つまり二人は常に同じ託宣を追うことになります。いつも現場がおなじになるってわけですよ」
「なるほど」
「それなら、いやでも会うことになる」
「いいですね。賛成です」
この話から意富吏と美和はあの付喪神の獅子たちの存在意義が理解出来た。阿漕と雲野のことである。あの付喪神は両家の親の思惑だったのだ。
二人の父親は、穏やかに御厨とゲートの行く末を案じながら杯を交わしている。男同士の渋いサシ呑みである。
「これがオレが船橋を任された時の理由と君たち二人の許嫁の決まった理由だ」
粟斗は微笑むと、
「分かったかな?」と加えた。
「幼稚園の時の話だね、今はいつも嫌がられてばかりだ」と意富吏。
「今でも変わらないわ」と呟く美和。意外にも素直だ。
「えっ?」
「意富吏くんは、私の口調が昔と変わっていないの気付かないの?」
「やってあげるし、結婚してあげるのよ」
「正義をかざしているわけじゃないの? オレがだめ人間だから」
「違うわよ。あの頃から、ずっと小言を言いながら世話してあげているのよ。でも最近は意富吏くんが何でも自分で出来ちゃうから、小言だけになって、文句言っているみたいになっちゃってるだけ。本当は、小言を言いながらお世話したいの!」
照れた顔でそっぽを向く美和。結局のところ彼女は彼が好きなのだ。
「母性ね」と嬉しそうな栄華。
「なるほど」と粟斗。そして「謎は解けたようなので、帰りましょうか。ラストピースってヤツ、回収したね」と夏見。
「どうやって帰るの? ゲートを探すのかしら?」と栄華。
夏見は持っている水筒の桃酒を皆に配った。
「一気に飲み干して下さい。過去を清め流しちゃいます。これも大神流」
そう言って、皆が飲み干すと、桜が丘神明宮のゲートの前にカップを持ったまま戻っていた。
「すげえ」と意富吏。
桜ヶ丘神明宮
「何、このゲート?」と栄華。
「体力を使わずに、偵察を出来る便利なゲートです。お金も持たないし、滞在費もいらない、四次元ルートの時間の屈折を利用した三輪山のご神徳をいただいたタイムリープってわけさ。自分たちの一番知りたい事実に、魂だけが飛んでいく、まるで三次元化したインターネットの画面ような世界だね」
夏見はそのまま二人に、
「知らん顔して、二人でお見合い会場に行くといい。ご両親も喜ぶよ」と話す。
「はい」
「素直になることね。お互い好き同士なんだから」と栄華。
笑顔の美和は意富吏の目を見つめる。
「意富吏くん。あなた、私の番組に『水族館のおひとりさま』ってペンネームでリクエストメール送ってきてたわよね」
一瞬、ギクッとしてから愛想笑いの意富吏。頭を掻く。
「バレてた?」
「当たり前でしょう。あんな私へのラブレター、毎週送られたら、好きにもなっちゃうわよ。毎回女神さまって、曲ばかりリクエストしてさ。だからお見合い断ろうと思っていたんだから」
「効果あったんだ」と照れる意富吏。
「大ありよ。私のハート打ち抜いていたわ」と傍らに咲くテッポウユリを指でっぽうで打ち抜く真似をする。
二人の会話に粟斗と栄華は、渋い顔で、
「ごめん。ごちそうさま、愛のささやきはどっか二人きりになったときにやってよ」と目線を外す。そして、
「まずはお世話になった桜ヶ丘の神々をお参りしてお礼をしよう」と粟斗。
「そうね」と栄華も納得顔だ。
「あと桃酒のレシピは美和さんに後日送ってあげるから。船橋御厨の大神系暦人の就任が決まったようだから、オレからのお祝いだ。時神さまは大神系の暦人に美和さんを推した。適材適所だね」
美和は嬉しそうに、
「ありがとうございます」とお辞儀をする。
全て解決の満面の笑み。美和は上機嫌だ。
「晴れ晴れした笑顔だね。やっぱり僕の高気圧ガールだ」と嬉しそうな意富吏だった。
お見合い
「まあ、美和ったら、そんな綺麗な晴れ着で、ジャンプしないの」
弾む気持ちが抑えられない美和。大好きな意富吏と会えるのだ。
黒地に鶴の和服で金の帯、母親は心配そうに船橋駅近くにある料亭の庭にある太鼓橋にいる。
「もう先方もお待ちかねよ」
普段、作業着とヘッドフォン姿しか見ていない意富吏がスーツで出迎える。
「へえ、馬子にも衣装じゃない! 意富吏くん」と茶化す美和。
「ありがとうございます」と嬉しそうな意富吏。いじられて嬉しい、いつも通り、通常運転の彼。
「あんた、わたしのこと大事にしなさいよ」と既に嫁に行く気満々の美和。押しかけ女房になりかねない勢いだ。
「はい、大事にします」
この二人のやりとりを聞いていた二人の父親は、
「幼稚園の時と同じだね」
「こりゃ、尻に敷かれるな」と意見の一致を見た。
「甘ったれな男の子と自立心の強い女の子、変わらないもんだね」
懐かしそうに顔を見合わせる父親たち。
「三つ子の魂百までか?」
そう言いながら上機嫌であの時と同じように杯を交わし、勝手に始めているふたりの暦人御師たち、船橋殿と葛西殿であった。
『初恋・御厨・託宣』と三位が一体となった二人の未来、至福の瞬間である。
語らい声のすぐ横、料亭の庭の隅にも、テッポウユリがしおらしく咲いている。筒状の長くて純白色の花弁は、やがて来る白無垢の吉日へと続く序章、今日の晴れの日を祝っているように見えた。
テッポウユリの花言葉は「純潔」、幼少期からの無垢な心の二人、その結婚準備にはふさわしい花であった。
了
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