第13話 同類

 弥生と住んでいる家を出て、2日が経ってしまった。その間、弥生からの連絡は一度もなく、その代わりに何故か家族からの電話が絶えない。今も母さんと表示された画面を見て、思わずため息が漏れてしまう。


 弥生から電話なんかくるはずがないって分かっている。けれど、どうしても弥生からの連絡を期待してしまう自分がいるから、終始ため息が漏れてしまうのだ。


 こんなにも家族から電話が絶えないというのは何かあったのだろう。出なくちゃいけないって分かっていながらも、俺は出る気にはなれなくて無視を続けていた。


 やっと母さんからの電話が切れ、ポケットにスマートフォンをしまおうとすれば、またスマートフォンが震え始めるから期待をして急いで画面を見れば、弥生からではなく今度は兄からの電話だった。はぁ……とため息をつき、肩を落としながらスマートフォンをポケットにしまう。電源を切ってしまおうかとも考えたけど、弥生から連絡がきた時に出れなかったという状況になるのは嫌だったから、切りたくても切れなかった。


 弥生の連絡を待つのではなく、俺から連絡をしないといけない状況なのも分かってる。けれど、また拒まれるかもと思うと……なかなか行動に移すことが出来ないでいた。



 全て、俺が悪いってきちんと理解してる。

 同情してしまったのも、強く突き放すことが出来なかったのも、受け入れてしまった俺が全て悪い。


 弥生に悲しい思いをさせてるって分かっていながらも、もう少し……もう少ししたらと考えれば考えるほど、彼女を突き放すことが出来なかった。



 〝死〟という重い言葉が、その度に俺を縛りつけていたから。



「好きです」


 仕事の帰り道、急に後輩が声をかけてきたと思えば告白をしてきた。


 俺は職場に弥生と婚約していることを話しているし、何なら彼女だって婚約したことを報告した時にはとても祝ってくれていた。だから、正直そんな気持ちを抱かれているだなんて知らなかったし驚いたけど、玉砕するって分かっていながらも告白するという気持ちは俺にも理解できたし、最後の思い出作りみたいな気持ちなんだろう。と勝手に彼女の気持ちを美化させながら、俺は当然彼女の告白を断った。


「ごめん。俺、婚約者がいるから」

「……知ってます」

「そうだよね。気持ちは嬉しいよ。でも君の気持ちには応えられない」

「…………」

「君の仕事に対する姿勢とかは本当に感心してるし、仕事のことで困ってたらこれからも遠慮なく聞いてきて」


 こう言えば、そこまで傷つけないで済むと思ってた。諦めてくれると思ってた。

 でも現実は、そんな簡単なことではなかった。


 周りにも人がいるというのに、彼女は突然泣き喚きだしたのだ。


 俺は混乱に陥ったけど、目の前で泣いている彼女に早く泣き止んでもらいたくて、口癖である「ちょっと」を声に出しながら肩に手を置けば、彼女は勢いよく俺に抱きついてきた。


「な、何……?」

「本当に好きなんです……お願いします……」

「お願いって何……君も知ってると思うけど、婚約者以外の女性にこれっぽっちも興味ないんだよ。だから君の気持ちには応えられないし、はっきりって今すごく迷惑だよ」

「じゃあ! もし……婚約してなかったら、私のこと受け入れましたか?」

「受け入れないよ」


 話聞いてないのかよ。

 眉間にしわを寄せながら力任せに彼女を自分から引き剥せば、予想もしていなかったことを言われたことにより、俺の思考回路は一度停止した。


「私、もうすぐ死ぬんです!」

「…………え」

「あと半年で死ぬんです……! 半年だけでもいいから、私と付き合ってください……」

「それは……」

「死ぬって分かってから毎日死にたかったんです! でも、弘樹さんと出会ってから最後まで頑張って生きたいって思うようになって……だから最後は弘樹さんに見届けてもらいたい……」


 あまりにも身勝手すぎる彼女の条件に、俺が付き合う理由なんてなかった。


 本当に病気なのかも分からないし、必死にお願いして俺がその条件を飲んだとしても、彼女はあまりにも自尊心というものがなさすぎると思った。けれど、周りを見れば俺が彼女を泣かせたと思っている人たちが大勢いて。早くこの場から去りたい気持ちが生まれ、背中を丸めながらとにかく彼女に泣き止んでほしくて「俺はどうすればいいの?」と口にしていた。


「半年……半年でいいので恋人になってください」

「ごめん。それは出来ない」

「え?」

「俺は君の恋人にはなれない。でも、そばには居る」

「…………」

「君を好きになることは、奇跡が起きたとしてもないから」

「……好きになってもらうように頑張ります」

「君がどれだけ頑張っても無駄だよ。俺が愛してるのは弥生だけだから」

「わかりました。でも、死ぬまで私のそばに居てください。時間がない私の生きる意味になってください……」

「……分かった」


 そう返事した瞬間から、俺は完全に道を踏み外した。


 半年以上彼女と毎日のように過ごすようになったけど、彼女に愛が芽生えたとか、そんな綺麗なことは一切ない。彼女の死を見届けるまで一緒にいなくちゃいけないという、謎の使命感に駆られているだけで……手を繋ぐことも、抱きしめ合うことも、キスをすることも、勿論その先も一切していない。

 ただ彼女の隣に寄り添い、肩を貸してほしいと言われたら貸したり、同じ香水を一緒にいる時はつけてほしいと言われたから従っているくらいで、恋人らしいことは一切していない。


 その先のことを彼女は求めているみたいだけど、俺はそんなの無理だ。弥生以外に触れるなんて嘘でも考えたくないし、君に時間を使ってあげているんだから、それ以上のことは求めないでほしかった。


 薬指でキラリと光る婚約指輪を見る度に心を痛めていた。

 こんな状況になっていなかったら、今頃弥生と夫婦になっていたかもしれないのに、下手な言い訳をしながらズルズルと籍を入れるのを引き延ばしにしていたけど、当事者だというのに俺はどこか、今の現状を楽観的に考えているところがあった。


 この事は弥生にバレないという自信が謎にあったし、俺の使命も終わって籍を入れるとなったら全て話そうって。弥生なら全て理解してくれると思ってた。現実は当然違ったけど。


 弥生は俺のしてしまっていた事を知っていたし、弥生が俺を理解してくれることはなかったし、俺の愛すら弥生はもう信じていなかった。それが死ぬほど悲しかった。



 許してくれなくてもいい。一生恨んだままでもいい。

 ただ、俺も本当は大変だったってことを知ってほしかった。


 なのに弥生は突然、自分も病気だと言い出した。



 最初は戸惑った。でも、弥生がそんなことを言う人だと思っていなかったから、無意識に眉間にしわが寄った。


 自分もそう言えば俺が感心してくれるって、少なからずそう思わなかったら言えない言葉なわけで。俺がこんな状況だって分かっていながらそんなことを言えてしまう弥生に腹が立った俺は酷い言葉を弥生にかけて、今は弥生と顔を合わせていたくなかったから〝頭を冷やすために〟なんて嘘をついて家を出た。


 兄の家に行こうとも考えた。けれど、弥生に知られてしまった以上、彼女と一緒にいるのはもう無理だったから話さないと。という理由で2日間も彼女の家に上がり込んでいる。


 電話で出来た話しだというのに、弥生との関係に罅が入った元凶の彼女の家に来た俺は相当馬鹿で、話しをしに来たというのに全然話しが進んでいないのも含めて、俺は本当に救いようのないクズだ。

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