誓い

「はぁ・・・ッ!はぁ・・・ッ!」


揺らぐ視界と上がる息。併せて上下に大きく揺れる肩。

タッタッタッと一定のリズムで刻む足音に、踏みしめた影が走る僕を離すまいと喰らいついた。


しかし───身体が重い。

早く走りたがっている意識とは裏腹に、重しのように身体が追いつかない。重い、とにかく重い。


息はもう既に上がっていて、たった50mを走るだけなのに何十分も走ったかのような疲労が身体にのしかかる。


それでも僕は、走った。

目の前にはストップウォッチを持った雫がいる・・・けど、何故かいつもより視界も悪い。まるで急に目が悪くなったみたいな、そんな感じ。


そんな状態で走ったから、結果は酷いものだった。


「・・・じ、18.6秒」


驚いた表情の雫が信じられないものを見つけたような声色で、ヘトヘトになっている僕にそのタイムを告げた。


「まじ、か・・・はは」


いやまぁ、薄々そんな気はしてたけどね?


でも、だとしてもこのタイムは酷い。“いつも”の僕なら、100mならきっと10秒台か・・・もしくは、10秒を切るくらいの速さはあったはず。前世で言えば普通に全国大会規模のレースで走れるくらいだ。

それが何故か、20秒っていう後ろから数えた方が早いくらいの数字になってしまった。


異変に気付いたのは、生徒会長と別れて教室へ戻ろうとした時だ。


まず、急に身体が重くなった。それで次は目、耳、鼻の順番で感覚が鈍くなったのが分かった。それも徐々にじゃなくて、いきなり悪くなるんだ。


あまりに突然の事だったから、風邪ひいたのかな?なんてちょっと不安になりつつも甘く考えていたけど・・・試しに走ってみればこのザマだ。


「心配。もしかして湊、体調悪い?」


「うーん、どうだろ。でもいつもより身体が重いって感じるかも」


心配そうな顔で雫が聞いてくるけど、正直僕には心当たりがある。

いやむしろ、気付かない方がおかしい。

きっとこれを皆に話しても信じてくれないだろうし、僕がこんな話をされても、イマイチ信じきれないと思う。


でも、断言できる。


今回・・・前回も含めて、僕の身体のパフォーマンスが低下しているのはとある人に会った瞬間だけ。それも分かりやすいくらいに下がってるから、誰が原因なのかはハッキリと分かった。


青峰生徒会長───あの人だ。


僕と彼女が初めて会った時は、リレー練習をする前に何故か男子達が鼻から血を出して倒れた時、青峰生徒会長が僕を庇った上でリレーの練習に向かわせてくれた。

そしてその時に、何故か僕にキスをしたんだ。

正直、なんで僕も彼女が原因だってあの時気が付かなかったか分からないけど、とにかくその日僕はキスをされた。


その結果、目に見えるほどパワーと速さが落ちた。

なんなら体幹も落ちた気がする。

トーカさんが足をもつらせて倒れた時も、何故か僕も一緒に倒れてしまった。いつもの僕ならきっと倒れずに、トーカさんを支えていただろう出来事のはずだ。


そして今日。

青峰生徒会長にキスをされた。しかも口に。

その瞬間、信じられないくらいの痛みと重苦しさが僕を襲ったのを覚えてる。その後は気絶してあんまり覚えてないけど、雫と遥から聞いた話によると、かなり苦しそうな顔をしていたらしい。


その後は青峰生徒会長に裸に抱き着かれてしまった。

なのに何故かその時の僕は疑問を抱かずに、そのまま受け入れてしまっていたんだ。


おかしい。今考えてみれば明らかにおかしい。


そして少なくとも、今の僕の身体能力の低下には青峰生徒会長が関わってることは間違いないはずだ。

だとすれば、彼女は一体どうやって僕の身体能力を下げてるんだってことになるけど・・・そこが分からない。


まさか人を自在に操れる、なんてことあるはずないしね。


「大丈夫か湊?少し休憩したらいいんじゃねぇか?」


「あ、ううん。大丈夫だよ!多分きっと疲れが出ただけだから、ちょっと休憩したらもう少し走ってみるよ!」


「そ、そうか?それなら良いんだけどよ」


少し考え込んでいた僕をこれまた心配してくれたのか、遥が座っている僕の目線までしゃがんで話し掛けてくれた。

青峰生徒会長が関わっているのは間違いないと言っても、これはあくまで考察だ。親友の遥と雫に話すにしては判断材料が自分の意見しかないし、付き合わせる訳には行かない。


それでも心配してくれる遥と雫は天使だと思う。


とはいえどれくらい身体能力が下がってるから確認したいし、この疲れがある程度和らいだらもう少し走ってみることにしようと思った。


遥はまだ心配そうだけど、ここで弱気な姿を見せる訳にはいかないしね。

でもこんな走りじゃ・・・多分僕はリレーメンバーから外されてしまう。


青峰生徒会長のせいにはしたくないけど、それでも高校生っていう前世でも夢見た青春だ。それなのにこんな走りを披露してしまって負けたら、僕はきっと自分を許せない。


あーあ・・・辞退、するべきだよね・・・。


「みなちーさ」


「ん?どうしたの由良」


そんなふうに考えていると、さっきまで遠くから僕の走りを真剣に見守ってくれていた由良が声を上げた。


「・・・私、みなちーとハルルンに会えて良かったと思ってる。もちろんしずちゃんにもそう思ってるけど、リレーっていう体育祭の行事一つで、こんなに可愛くて優しい人たちに出会えて良かったって───心の底から思ってるんだ。みなちーはどう?」


「もちろん、僕も由良さんと会えてよかったって思ってるよ!」


「ふふ、だよね!でもね・・・私、別にリレーで負けちゃってもいいかなって思ってる」


「な、なんでさ!?」


「そのさ・・・お姉ちゃんが仕事忙しそうだから来れないかもって。だからもう、頑張っても意味ないかなって・・・」


そう言うと由良は、どこか達観したように笑った。

でも分かる。由良はきっと、こんなこと言いたくないんだと思う。

勿論、本当に由良のお姉さんが来れないのもあると思うけど、きっと彼女は僕に遠慮してるんだ。


つまり、早く走れなくなった僕を責めてるんじゃなくて、敢えて自分で僕のハードルを下げようとしてくれている。


───僕が辞退しないように。追い詰められて、心を病んでしまわないように。

気にしてくれているんだ僕を。

お姉ちゃんが来るかもしれないから頑張ろう、なんていう自分の言葉を捻じ曲げてでも、僕と一緒に走ろうとしてくれている。

そしてそれで本当にチームが負けたとしても、彼女は恨まずにしょうがないよーなんて言いながら励ましてくれるんだろう。


・・・何してるんだよ僕は。


女の子にこんな事させておいて、今更逃げようとするなんて・・・それじゃあ男じゃないよ。


だから僕は覚悟を決めた。


「ううん、大丈夫だよ由良。僕は負けない・・・負けないように何度でも練習するからさ!」


僕は決心した。必ず勝つと。

そして僕が今からすることは、確実に自分の首を絞めることになる。

けど、自分自身でやる気を出させるための着火剤にもなりうる。


「だから約束───絶対勝つよ」


そう言って僕は小指を曲げて、由良の前に掲げた。


「・・・もう、ずるいなぁみなちーは。皆がメロメロになっちゃうのもわかる気がする」


「んぇっ!?め、メロメロ!?僕そんなにモテてるの!?」


「うっそー、冗談だよー?」


「ですよねぇ・・・」


ちょっと落ち込む僕。

でも由良はそんな僕を見て、笑いながら小指を絡ませてくれた。

その後、ちょっと照れたような顔で僕に問いかけてくる。


「約束、してくれるんだ」


「うん、もちろん」


これは、僕と由良の約束。

男として人として、絶対に破っちゃダメな約束だ。

だから・・・負けるつもりはない。


「そっか・・・まぁ、人生諦めなければ何とかなるって言うもんね」


「なにそれカッコイイ。僕も使っていい?」


「ぷっ、あははっ!いちいち許可とるの?」


少し笑ってくれた。

まぁ、僕がそんなカッコイイ言葉を使うことなんて当分ないとは思うけど、由良が笑ってくれただけでも良かったと思う。


「もちろん!・・・絶対、勝つよ」


「ッ・・・もー、カッコイイなーみなちーは」


「ふふっ、でしょ?」


「ムカついちゃうくらいね」


由良はそう言って笑うと、いきなり僕の耳元で呟いた。


「───かっこよかったよ」


「っねぇーー!!ゆらぁーーー!」


「あっははぁー!にっげろぉー!」


思わずパッと耳を抑えて由良を睨んで追いかける。

それを見て由良は頬を染めてニヤニヤしながら、僕から走って遠ざかる。

今の僕の足じゃ絶対に追いつけないくらいの速さ。


でも僕はもう少し走っていたい。


ちょっと・・・ドキドキした心臓が収まるまで。

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