第3話 八月二十九日 夜
――八月二十九日 夜
クラブ「ツインスティング」は、サンライトの事務所に負けず劣らず、深河繁華街の奥まった場所にあった。
「資料を見ておいて」
少し離れたファーストフード店でストローに口を付けながら、俺は彼女のスマートフォンを借りて資料を確認していく。
その資料には、麻薬取引の情報や、人身売買の現場が写されていた。淡々と列挙されていく罪状に、めまいを覚える思いだった。
「ところでさ、俺の能力って何なの?」
視界がブレたような錯覚は慣れてきたものの、このまま訳の分からない状態が続くのは、勘弁してほしかった。
「資料には、不幸を避けることができる能力……って書いてあった」
「不幸を避ける?」
そう言えば、レオがペン型のライトを投げた時、俺は何かがぶつかるような気がして身を屈めた。結果としてぶつからなかったが、つまりはそういう事なのだろうか? しかし――
「でも、能力……って普通の人間の機能を発展させたものなんだろ? そんなことができるのか?」
「うん、原理はまだよくわかってないけど」
「へー、じゃあもしかして、レオって人も?」
「そう、基本的に能力者はバディで行動するから、彼にも相方がいる。その人も覚醒者」
そう考えると、意外と俺みたいに能力があるけど封印された人間ってけっこう居るのかもな。
そう思いつつ、資料のページをめくっていると、ターゲットであるオーナーの顔写真で手が止まった。
「こいつ……」
紫色に染められた髪と、刺々しい鋲や厳ついバックルのパンクファッション。そしてこれ見よがしのサソリタトゥー、幻覚の中で高笑いをしていたあの男だった。
「見覚えがあるの?」
「ああ……いや、見覚えって言うか、何だろうな、とりあえず、気を付けたほうがいいと思う」
自分でもよく分かっていないことを、上手く説明できる筈もなく、しどろもどろになってしまう。
「うん、ナナシに言われるまでもなく、中心人物は彼――スコピオだから、彼だけは絶対に殺す」
彼女は少しページをスクロールさせ、写真の注釈を見せる。そこには「『ツインスティング』シンジケートオーナー・スコピオ」と書かれていた。
彼は一体何なのだろうか。あの中には沢村の顔もあった。これから起こることだとすれば、彼をどうにかしなければならない。そんな気がした。
「じゃあ、そろそろ行こう」
「……うん、でも、本当に大丈夫なのか?」
「問題ない」
そう言って、アイはずっと持ち歩いている竹刀袋を叩いた。
堂々としていれば問題ない。というのはどうも本当らしく、裏路地に入って数人とすれ違ったが、意外と誰からも声を掛けられることは無かった。
「だから言ったでしょ」
「う、うん……」
まさかこんな二人がクラブに殴り込みをかけるなんて、全く思われていないんだろうな、そう思いつつ「ツインスティング」の前に出る角を曲がった。
「うわっ……」
目に入ったクラブの入り口階段は、毒々しく、危険な香りを孕んだネオンサインで彩られていた。そして裏通りは通る人間がほとんどいないというのに、そこだけは大勢の人が出入りしており、どうにも堂々と入れる空気ではない。
「入り口はここで間違いないようね」
「そうだね――っ」
隣でアイがそのまま飛び出そうとしていることに気付いて、慌てて止める。一体何を考えてるんだこの子は。
「? どうしたの」
「いや、いやいや、正面からっておかしいでしょ、避難経路が資料にあったんだからそっちから入ろうよ!」
確か資料の中に見取り図があったはずだ。普通侵入するのはそっちからだろう。
「だめ、そっちは敵しか来ないことを分かってるから、警備に遠慮がない」
「遠慮?」
「銃とか、ナイフは顧客(カモ)を威圧するから表側で使いたがらない。裏側は敵対組織の襲撃者しか来ないから、遠慮なく銃とかナイフが出てくる」
そう言われて、俺はもう黙るしかなかった。今見えるクラブの入り口だって、屈強な男とか、明らかに目がイってる人がうろついているのだ。十分遠慮していないように見える。
「裏口は逃走経路、騒ぎに便乗すればうまくやり過ごせるし、警備の意識は外に向いてるから、何とかしやすい」
アイはそう付け加えると、堂々とした、変わらない調子で「ツインスティング」の前まで歩いていく。俺はその後ろを何とか普通を装ってついていく。
「待ちな、ガキの来るところじゃねえよ」
案の定、俺達は入り口を守る大男に行く手を塞がれてしまう。彼女はどうするのかと見ていると、おもむろに竹刀袋を地面に突き立て、中にある持ち手を掴んだ。男が慌てて竹刀袋を取り上げようとするがそれは遅く、彼女はその中身を抜き放ち、大男をそれでぶん殴った。
「ぐあっ!?」
「ナナシ! ついて来て!」
「えっ、あっ、はいっ!」
アイが駆けだしたので、俺はおいて行かれないように追いかける。横目で倒れている男の傷口を見ると衣服がボロボロに裂けて、いびつな傷口が露出していた。気分が悪くなりそうなのを、今の光景を無理矢理思考の隅に追いやることで堪える。ここで気分が悪くなっていたら、これよりひどい目に遭うかもしれないのだ。
しかし、傷口があんなにもずたずただったのが気になって、俺は前を走る彼女の手に握られた棒を見る。
それは竹刀でも日本刀でもなく、一見すると黒い鉄の棒だった。だが、出てくる用心棒は全てあの傷口を晒して倒れている。意識のある人間は痛みに悶絶し、昏倒している人は血を流してぐったりしている。刀で斬った方が、傷口が綺麗な分優しいのではないかと思ってしまいそうなほどだった。
「なんだ!?」
「早く非常口へっ! 裏の奴らをこっちに向かわせろ!」
「どけっ! 俺は――ぎゃああああああっ!!!」
レオが心配ないと言った理由が、よくわかった。当初のターゲットとして挙がっていたシンジケートの首謀者たちは全ていびつな傷をつけられて動かなくなっており、一般客の逃げ出した場所には、俺とアイ、そしてスコピオを筆頭とした私兵部隊が集まっていた。
「おいおい、どこの組だ? それか半グレか? すくなくねえ金を積んでショバ代払ってんだ。俺のケツ持ちに喧嘩を売るなんて度胸あんな、しかもガキ二人で」
「残念ながら私たちは誰の依頼でも動いていない。ただのボランティアだ」
警戒したスコピオは、部下に拳銃を構えさせながら俺たちに噛みつく。一方のアイは、その威圧感を無視するかのように、冷静に答えた。
「ボランティア……? いや、ちょっと待てその武器、見覚えがあるぞ、確か半年前――」
スコピオとアイが会話しているその一方で、俺は奇妙なものを見ていた。
いや視覚を使った訳じゃないので「見ていた」わけじゃない。感じていたとしか言いようがないが、拳銃の銃口それぞれから伸びる銀色の線のような物が、俺達を貫いていた。
「っ、アイっ!!」
それが何なのか理解するよりも早く、俺はアイの身体を引っ張っていた。
「へっゴミになるのはどっちかな――っと!」
スコピオが手を挙げると、部下が持っていた拳銃が一斉に火を噴く。拳銃の音がしたのと、俺達がテーブルの下に潜り込んだのは、ほぼ同時だった。
「ちっ、避けやがったか」
スコピオの舌打ちが聞こえたが、俺はそれどころではなかった。
「アイ、大丈夫か!?」
俺はもともと陰にいて、身体の大部分を隠せていたから逃げるのが間に合ったが、アイはそうもいかなかった。スーツの右肩に穴が開き、そこから血が滲んでいる。
「大丈夫、即死は避けた」
「いや、致命傷は避けたって、ろくに動けないだろ、この状態じゃ!」
背中側にも穴が開いている。それは彼女の肩に弾丸が貫通したという事だ。吐き気も忘れて、彼女を心配するが、アイの反応はひどく淡白だった。
「覚醒能力:リジェネーター」
「……え?」
彼女はそれだけ言うと、怪我をしたはずの右腕を使って鉄棒を握りしめた。
「脳幹を破壊されない限り、私は死なない」
「おいガキども! 今でてくりゃ売り飛ばすだけで勘弁してやるぞ!」
スコピオの言葉に、少しも動揺していないようにアイは姿勢低く飛び出し、拳銃を持っている部下の腕を黒い鉄棒で歪に削ぎとっていく。
「ちっ、バケモノかよっ!?」
「う、腕が!!」
「あがあああっ!!!!」
距離を詰めてしまえば、同士討ちを避けるために不用意に撃つわけにはいかないのだろう。拳銃の銃口から見える銀色の線は、彼女が部下の懐に入り込んだ時点から、消滅していた。
「……後は、お前だけだ。スコピオ」
血で濡れた鉄棒を紫髪の男に向けながら、アイは静かに宣告する。その声には、一切の感情が存在していないようでもあり、怒りがすべてを塗りつぶしているようでもあった。
「ったく、この商売をやってると恨みを買いやすくていけねえ……で、ボランティアって言ったか? それでも情報漏らした奴がいるだろ」
俺がなんとか机の隙間から顔を出すと、丁度スコピオが針のように細い葉巻に火をつけたところだった。
「俺はそいつが気になってる。俺も碌でもねえ仕事してるが、相手も碌でもねえ奴らだって思うぜ、なんせ覚醒者の鉄砲玉を送ってくるんだからな。同じなんだよ……俺も、相手も」
「話す事はそれだけか?」
彼女がそう言って、鉄棒を振り上げた瞬間、彼女の周囲で「天井が壊れる幻覚」を見た。
「アイ! 後ろに飛べっ!」
「っ!?」
俺の声に反応して、アイは一瞬早く後ろに跳び、それとほぼ同時に天井が崩落した。
コンクリートが崩落した粉塵の向こうで、スコピオが葉巻の先を光らせる。その近くでは、二メートルはありそうな大男がコンクリートの中から立ち上がった。
「同じなら、そりゃ当然俺達も覚醒者を雇うよな。ははっ」
そう吐き捨てて、スコピオは非常口へと歩いていく。
「待てっ!」
「待つわけねえだろ、後は覚醒者同士よろしくやってくれや――おい、仕事ぶりがよければ報酬は弾んでやる。精々気張れよ」
スコピオは葉巻をふかしながら悠々と歩いていく。アイはすぐにでも追いかけそうな雰囲気だったが、目の前にいる大男を警戒して、上手く動けないようだった。
「……っ」
「ふぅ、覚醒者とはいえ、ガキ二人……しかも見たところ、片方は戦闘向きじゃねえな? こりゃ楽勝だな」
粉塵が収まったところで、大男はニヤリと笑う。その表情は、まさにいたぶる弱者に目を付けた暴漢そのものだった。
「せめて楽しませろよ? 仕事に張り合いが無いと、つまんねえからな」
男はそれだけ言って、拳を握る。どうやら徒手空拳で戦うつもりらしい。そして、今までの話を総合すると……もしかして、こいつは筋力が異常発達した能力者という事か?
「っ!!」
「おらぁっ!!」
男とアイが同時に踏み出して、戦いが始まる。正直なところ、俺はもう目で追う事もできない。ただ、目で見える戦いの光景と、謎の感覚でとらえられる少し先の戦いが繰り広げられているだけで、素人目にはアイの方が押されているように見えた。
「どうする……っ、どうする……?」
何かしなければいけない。あの時の幻覚がこの先起こるような気がして、焦燥感が頭を支配する。
周囲を見渡す。何か自分にもできることは無いのか、妨害したり、彼女を助けたりは出来るはずだ。そう思って見て回った先に、拳銃が握られたままの右手が転がっていた。スコピオの部下の物だろう。
「うっぷ……」
それを見て吐き気が昇ってくるが、何度目か分からないが無理矢理それを飲み込む。俺は悲しい事に普通の人間だ。だから、俺が殴り掛かったところで状況は一切動かないし、もしかするとアイの負担になるかもしれない。
だけど、銃があればそんなことは関係ない。力の不均衡を無視できる。俺は大男の意識から逃れるように意識しつつ、千切れ飛んだ腕から拳銃を捥ぎとった。
中身が入っていることを祈って振ってみるが、拳銃なんて持った事が無い。こんなことなら昼間、沢村から詳しく話を聞いておけばよかった。
だが、弾さえ入っていればあとは引き金を引くだけだというのは、なんとなく分かっていた。安全装置だとかそう言うのは、あの状況なら全部解除してあるはずで、現に部下たちは撃っていた。
「……」
静かに銃を構えて、昼間に沢村から聞いた話を頼りに、狙いを定めていく。
その時、俺の銃口から銀色の筋が現れた。俺はさっきまでの事を含めて考えて、これが弾丸の軌跡だと推測をした。銃口から真っすぐ、激しく動く男の身体に当たるように狙いを定めていく。
狙いすまして、後は引き金を引くだけという所で、再び手が止まる。アイは「自分は頭さえ無事なら死なない」と言っていて、現に肩の傷はすぐに埋まっていた。だとすれば、あの大男も身体のどこかに打ち込んだところで意味がないのでは? むしろ、俺が挑発したことで攻撃がこっちに向くことも考えられる。
だとすれば、頭を撃ち抜くしかないが……それはつまり、俺があの男の命を奪うという事だ。今までの大立ち回りで麻痺していたが、俺に人が殺せるのか?
――お願い。
協力することになったきっかけの、アイの言葉が蘇る。その事を思い出すと、固まりかけていた身体が再び動き出すのを感じた。
動く頭に命中させるのは、無理だ。だとすれば、アイと男が止まるまで待たなければいけない。確実にそのタイミングが訪れるのはいつか、俺は冷静にそれを考える。
「くっ……!」
俺が考える間もなく、アイの手から鉄棒がはじき飛ばされた。丸腰になった彼女は、男から岩のような拳を食らって、床に倒れ込む。
「へっ、ちったぁ楽しめたな」
その姿を見て、男は悠々と拳を揉む。アイは何とか飛んでいった鉄棒に手を伸ばそうとするが、その手は男に踏み潰され、潰れたトマトのように辺りに赤い液体がまき散らされた。
「あぐっ……!」
「ちっ、これだからリジェネーターは……痛みに慣れ過ぎて泣かねえからつまらねえ」
完全に勝ち誇っている男は悠々とアイの髪を掴んで、彼女を引き上げた。
「安心しな、今は殺さねえ、ていうか脳幹破壊しない限りは死ねないんだったな、どっかに隠れてるガキ共々スコピオの所で確実に処刑させてもらうぜ」
そう言って、男は彼女の首に手を掛け、力を込める。
「がっ……!!」
アイは四肢をじたばたさせ、抵抗をする。直りかけの腕からは血が飛び散り、凄惨な光景が広がる。
「おうおう、暴れろ暴れろ、次目が覚めた時は死ぬ時――」
聞いていたよりは、拳銃の反動は大きいものではなく、想像していたよりも、頭に命中した時の音は聞こえなかった。
男はそれ以上言葉を発することなく、焦点の合わない瞳でアイに覆いかぶさった。
「はっ……はっ……」
上手く呼吸ができない。
焦点が定まらない。
殺したのか、俺が……
「ナナシっ!」
今更になって両手が震え、血の気が引いてきた俺は、アイの呼びかけでようやく我に返ることができた。
「助かった。ありがとう……!」
彼女は再び生えた右手で肩を掴んで揺すってくれる。その手は何の変化も無いようだったが、血臭を纏っていた。
そう、それが限界だった。
「うっ……」
胃の中から内容物がこみ上げてくる。それを止める事は出来ず、俺は盛大にその奔流を口から溢れさせた。
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