第2話 サンライト

 深河駅に着くと、俺はアイに手を引かれて繁華街の方へ歩きはじめた。繁華街と言っても、テーマパークやショッピングモールがある方ではなく、そこから外れたネオンサインやお城みたいな形をしたホテルがある方向だ。まあつまり、言ってしまうと制服を着ていたら一発で補導される地域である。


「早く歩いて」

「いやいや、俺らここに来ちゃダメでしょ」

「堂々としていればバレないから」


 そうは言っても、俺は普通の男子高校生だ。こういう場所には疎いし、慣れていない。


 そんな俺の戸惑いをよそに、アイはずんずんと先へ進んでいき、ネオンの輝く表通りから、薄暗く、埃っぽい裏通りへと足を進めていく。それにつれて人気が無くなり、両側にある黒く重量のある外壁が、俺を押しつぶすようにのしかかってくる。


「ここ」


 そう言ってアイが指さしたのは、ビルとビルの隙間に何とか立っている小さな廃墟――いや、雑居ビルだった。


 いくつかある表札のほとんどはボロボロに崩れていたが、二階の部分にはめ込まれている「NPO法人 サンライト」という表札だけ真新しかった。


 茶色くくすんだタイル張りの床を通って、ガムテープで補修されたエレベーターの上ボタンを押す。しばらくするとドアが開いて、塗装の禿げたおんぼろエレベーターが到着する。


 シールをはがした跡が大量に残っている行先指定パネルの二階を押すと、エレベーターは動き始める。


「えっと、今から行くところって、何してるところ?」

「サンライト、ニュースで何回か見たことあるでしょ?」


 確かに、サンライトはニュースで何回か見たことはある。確か二十年くらい前に起きたナノマシンの全世界散布事故の後始末を目的に設立されて、現在は貧困者向けの慈善事業をしている機関だったと思う。


 機械音声と共にエレベーターの扉が開くと、いくつかの鉄扉のうち一つに、サンライトのロゴステッカーが貼られた扉があった。どうやらそこが目的地らしい。


「レオ、バディを連れてきた」


 扉を開くと同時に、アイが声を上げる。


 その声に反応したのは、部屋の中にいた人影だった。


「そうか」


 男の声だった。そして、印象的な瞳をしていた。なんというか、理科の資料集で見た琥珀のような色をしていて、獰猛なライオンみたいな感じがした。


 外観もボロボロだが、内装も同じようにボロボロだった。そこかしこにひび割れや錆びつきがある。いつ建て替えや取り壊しが行われてもおかしくないし、冷房すら備え付けられていないのには、さすがに驚いた。


「はじめまして、私はNPO法人サンライトのレオという者だ。そちらのアイとは上司と部下の関係になる。とはいえ、先輩後輩くらいの関係性だがね」

「は、はあ……」


 いきなり連れて来られて、そんな自己紹介をしたところで、俺の疑念が無くなるわけがない。というよりも、ボランティア活動をしている団体の職員が何の用だろう? という疑問がさらに増えた。


「そういわれても、訳が分からないですよ、アイにいきなり連れて来られて、全然状況が分からないんですけど」

「アイ」

「説得するから」


 レオと名乗った男は、表情を変えずに彼女の名前を呼ぶ。彼女は短くそう答えて、俺に向き直った。


「ボランティアは一人じゃできない。協力して」

「え、ちょっと待って、それが『説得』なの!?」


 アイが言ったあまりにも短い説得に驚く。普通もうちょっと詳しい説明があってしかるべきじゃないか?


 だが、それでも彼女はじっと俺を見て、返答を待っている。畜生、美人だからってそういうわがままが簡単に通るわけが……


「……」


 だが、アイはそれ以上何もしゃべらない。それは自信があるとか、はいと答えることを強要しているとか、そういう事ではなく、それ以上何も言えないという事のようだった。


 なぜなら、表情が読み取りにくい彼女だったが、その時だけは表情がはっきりと読み取れたからだった。


「うん、分かった。分かったよ」


 こんな表情をされては、手伝わざるを得ない。というかこの状態で帰っても寝覚めが悪いし、ボランティアくらいなら、別に夏休みの思い出として、一回くらいしてみてもいいかもしれない。精々町のゴミ拾いとかだろうし。


「ありがとう」

「いや、いいよ」


 言葉はそれだけだったけど、彼女の乏しい表情は、確かに明るくなったように感じる。ゴミ拾いで好感度を稼げるなら安いものだ。


「では……そうだな、君はまず、精神的な暗示を解除しなければならない。ボランティアはその後だ」


 そう話すと、レオと呼ばれた獅子瞳の男は、ペンのような物を取り出す。


「君は攻撃的な能力ではない。これである程度の暗示は解けるだろう」

「え、一体何を――」


 俺が聞き返そうとした瞬間、凄まじい光が網膜を焼く。それと同時に、俺の中で何かが変わった感触があった。


「……っ」


 目がチカチカする。だが、それだけじゃない。視覚とは別に『何かが見えている』感覚がある。


「何が起きたか分からないようだな」

「っ!」


 レオがそう言った瞬間、俺に向かって手に持っているものを顔面に投げつけられたように錯覚をして、俺は身を屈める。


 しかし、それは俺が思っていたタイミングでは来ずに、一瞬遅れてから背後の扉にぶつかった。


「何が見えている?」

「わ、分かりません」


 何が見えているかと聞かれても、言葉にできない。ただ、感覚としてそこに「ある」ように感じるのだ。


「……なるほど、本来の力が復活した感想としては妥当なものだ」


 レオは満足したように頷くと、アイの方へ向き直って、言葉を続ける。


「では、ボランティアの対象だが、深河繁華街のクラブ『ツインスティング』の壊滅だ。オーナーが麻薬売買に絡んでいる。加えて薬漬けにした女を売りさばいたり、その他諸々は後で資料を送っておく。十時までに開始しろ、それ以降の時間はオーナーたちが各々の隠れ家に戻ってしまう」

「わかった」

「ちょ、ちょちょちょっとまった!」


 自分の知らないところで、ヤバすぎる話が進んでいるように感じて、俺は思わず口を挟んでいた。ボランティアだろ? 掃除とか美化活動じゃないの?


「な、何そのヤバいネタ! 俺そんなのやらないからね!?」


 麻薬だとか人身売買だとか、冗談じゃない。俺は普通の人間で、とてもそんな危ないネタに首を突っ込む勇気はない。というかそもそも、サンライトって慈善事業とかそういう事をする団体じゃなかったっけ? ここまで危険な裏社会に立ち向かう団体じゃなかったような……


「そうか、不安だろうが私たちが相手にしているのは、そう言う手合いが多いのだ。慣れてもらうしかないな」

「な、慣れるも何も――」

「優紀」


 勝手に死地に赴かされそうになって、声を上げようとするが、アイに遮られてしまう。


「お願い」

「あ……」


 彼女と目が合った瞬間、いくつかの光景が脳裏をよぎる。


 発射される拳銃の弾と、頭を撃ち抜かれるアイ。

 そして次に映るのは、高笑いするパンクファッションと胸元にある二つ尻尾のサソリ型タトゥーが目を引く紫髪の男。

 彼の足元にはいくつもの死体があり、その中には沢村の顔があって――


「っ!!!」

「どうかしたか?」


 眉一つ動かさず、レオは俺に問いかける。


 幻覚……?  それにしては、あまりにもリアルすぎるような。俺は昇ってきた胃の内容物を、何とか胃の中に戻した。


「っ……いえ、何でもないです」


 一体俺の頭はどうしてしまったんだろう。不安と同時に、今まで無意識に行っていた事が、何をしていたのか理解したような納得感がある。さっき見た光景は、どうにも無視してはいけないような気がした。


「分かりました。そのボランティアをやります」


 もし自分がここで断ったら、さっき浮かんだ光景が現実のものになるような気がして、俺はそう答えていた。


 レオは俺のそんな表情に安心したのか、口角を少し緩めて口を開いた。


「忘れていた能力を思い出したんだ。少し落ち着くといい」


 忘れていた……? どういうことだ。皆目見当がつかなくて、俺はレオの顔を見た。


「ナノマシンの全世界散布事故以来、奇妙な能力に目覚める人間が後を絶たなかった。多くの場合。それは傷の治りが早い、異常な筋力があるなど、人間の能力を強化したような特性を持っている」


 彼は俺の疑問に応えるように、話を始める。何のことを話しているのか、見当もつかなかったが、レオは理解が追いつくのを待ってはくれなかった。


「だが、一部でそれを大きく超える能力を得た人々がいる。彼らは催眠や暗示、投薬により能力を制限、忘れさせられていた」

「その話と俺に何の関係が?」

「覚醒能力:フォーチュン。それがあなたの忘れさせられていた能力」


 俺の問いに答えたのは、アイだった。


「私達は病院の処置記録から、あなたが能力を持っていることを突き止めた。本当はもう少し身辺調査をして勧誘するけど……」

「けど?」

「あなたは、大丈夫だって私が思った」

「えっ……軽くない?」


 そんな個人の裁量で、こんなあからさまに危ない橋を渡らせようとすることに驚いた。普通なら、初対面の相手にいきなり「麻薬売買してるクラブに殴りこもうぜ!」なんて言えるはずがない。


「そこは私達も危ない橋だと思っていた」


 そう言って、レオは両手を顎の前で組んだ。


「だが、アイが大丈夫だと言っている事と、能力を持つ人間を狙う組織がいる事を鑑みて、半ば拉致するような形になってしまった。それは申し訳ない」

「いやまあ、それはもう良いんですけど」


 無理やり巻き込まれたとはいえ、さっき見えた幻覚があまりにも気になる。まあその、すこしの理不尽さは感じているが。


「なんにせよ、アイの能力は戦闘向きだ。君自身は彼女のサポートをすることになるだろう」

「安心して、あなたは絶対に守るから」


 レオが言うと、アイが俺の肩に手を置いて声を掛けてくれる。二人とも表情が読み取りにくかったが、心配させまいとしてくれていることはよく分かった。だから俺は、その言葉にうなずいて、とりあえずは納得することにした。


「……さて、行く前にコールサインを決めておこうか」

「コールサイン?」

「呼び名の事、彼のレオとか、私のアイとか」


 本名とか愛称じゃなかったんだ……


「正確には私は獅子瞳(レオイリス)、彼女は鬼目(デーモンアイ)だ。さて、普通は名前や身体的特徴、能力から名前を取るんだが……」


 レオが俺の身体をじっくりと見回す。何か特徴を探しているのだろう。しかし、残念ながら俺は普通であるという事に関しては絶対の自信がある。そして能力も、実際にどういう物なのか分からない。身体的特徴も能力も無理となれば、名前だが……


「うん、今無理に決める必要はないか」


 志藤の「シド」か優紀の「ユウ」だとばかり思っていた俺は、予想外の言葉に肩透かしを食らう。


「とりあえずは、ボランティアをするうちに分かってくることもあるだろう。アイと一緒に行ってくるんだ……ええと『名無しくん』」

「え、ちょっと、もしかして俺のコールサイン『名無しくん』ですか!?」

「行こう。ナナシ」


 アイもこの名前で呼んでくるし……まあいいか、本当に決まるまでの間に合わせだし、もっと言うと、二回目は無いだろうし。さすがにそう何回もこんな犯罪とかそう言うヤバそうなの相手に喧嘩する奴らと一緒にはいられない。


 俺はそう考えて、アイの後を追いかけることにした。

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