十二話

 鈴子が宮に邸へ帰ると言われてから二日が過ぎた。既に帰り支度は終わっている。局にてほうと息をつく。

側には周防がいて鈴子は安心していた。東宮から文がまた届いて返事は送っている。

「姫様。後宮へ来てから一月と少しは経ちましたね。東宮様が諦めてくださると助かるのですけど」

「そうね。東宮様は良い方だとは思うのだけど。わたくしが妃になるのは畏れ多いというか」

「確かにそれはわかります。姫様は吉勝殿がお好きですからね」

周防の何気ない言葉に鈴子は顔が熱くなるのがわかる。

「何を言ってるの。吉勝殿が好きだなんて。そんな事あるはずないじゃない」

「いえ。申し訳ありません。ただ、宮様付きの伊勢の君がそう言っていたものですから」

周防はしまったという顔をしながら謝ってくる。鈴子も成る程と言いながら咳払いをした。

「伊勢の君が言っていたのね。宮様がおっしゃっていたのかしら」

「私にはわかりかねますけど。宮様が何か仰せだったのですか?」

「…その。宮様がね、吉勝殿か東宮様のどちらかに決めなさいとおっしゃっていたものだから。わたくし、まだ気持ちを決めていないのに」

困ったわと言いながら鈴子はうつむいた。周防もそうですねと頷いた。


そうして、後宮を出る日となった。鈴子は宮とではなく周防や伊勢の君の三人で牛車に乗っている。宮は厳重に警護された牛車に乗っていた。

「姫様。やっと大炊宮に帰れますね」

周防がそう声をかけてくる。鈴子は前を見つめたままで答えた。

「そうね。何だか、長かったような短かったような。変な感じだわ」

「ほんに。東宮様とお文を交わしておいでですから。これでこのご縁も終わりになるかと思いますと。何だか、残念と申しますか」

「…周防?」

周防はふうとため息をついた。

「だって、姫様。入内できるせっかくの機会を逃してしまうかもしれませんのよ。これで本当によいのですか?」

鈴子は周防の言葉にかちんときた。開いていた扇を乱暴に閉じる。ぴしゃりと音が響いて周防は体を震わせた。

「…周防。わたくしは畏れ多いと言ったでしょう。東宮様とはお文を交わすだけで十分だと思っているわ。今は自分でも決めかねているというのに。勝手な事を言わないで」

鈴子が眉を潜めながら言うと周防は項垂れてしまう。側で聞いていた伊勢の君もはらはらとした様子で二人を見ていた。

「申し訳ありません。まさか、姫様がそんなに悩んでいらしているとは思わなくて」

「…わたくしも言い過ぎたわ。けど、今度からは気をつけてちょうだい」

はいと周防は言ったのだった。



大炊宮に戻ると鈴子は牛車から降りて自室に向かった。中に入ると早速、正装から気軽な普段着に戻る。袿姿になってようやく息を抜けた。

「姫様。今日は暗くなったら早めにお休みなさいませよ」


「なら、寝るわ。周防は準備を頼むわね」

「わかりました。失礼いたします」

周防は手をつくと立ち上がる。衣擦れの音もさやかに部屋を出ていった。

鈴子はふうとため息をついたのだった。

その後、鈴子は早めに寝ることにした。周防は局に戻っていていない。悶々としながらも寝返りを打った。

(うう。眠れないわ。宮様のお部屋で休ませていただいてもよかったかしら)

そう思いながら瞼を開ける。体を起こすとふわりと花の香りがした。

『姫。起きている?』

ふと、声がする。鈴子は気がついて立ち上がり御簾の辺りまで近づいた。桜の季節ではないはずなのに花びらがひらひらと舞う。

幻影だと気づいたがしばし見いる。

「…桜花なの?」

『うん。そうよ』

確かに以前会った桜花の声だった。

『久しぶりね。宮も吉勝もいなかったから寂しかったわ』

桜花は拗ねたように言うと鈴子もくすりと笑った。

「そう。ごめんなさいね、しばらく後宮に行っていたから。宮様も参内しておられたの」

『そうなのね。姫もいないからどこに行っていたのかと思ったわ』

桜花は笑ったらしい。くすりと言う声が聞こえた。

「桜花も一緒に行ければ良かったわね。けど、後宮はそうおいそれとは入れない所だから。せめて、お話ができれば困らなかったのだけど」

『良いのよ。姫も気を使わないで。わたしは帰ってきてくれればそれでいいから』

「ふふ。そうね。桜花は謙虚なのね」

『そんな事はないわ。けど、誉め言葉として受け取っておこうかしら』

桜花はそう言うとまたくすくすと笑った。鈴子は彼女にお休みなさいと告げると部屋に戻る。今度こそ深い眠りについたのだった。

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