逸る気持ち
「秋保さん、ちょっと疲れてる? 大丈夫?」
翌日、部活の時間に道場へ行くなり、先に来ていた戸田さんから声をかけられる。
「え……そんなに変かな?」
「変っていうか、なんか、顔色が悪いっていうか」
「うーん、あんまり寝てないせいかな」
昨日の部活が終わってから今日の今まで、空き時間さえあれば竹刀を振っていたような気がする。ほとんど衝動的だった。夜中なんて、布団に入っても寝るに眠れず、疲れたら寝れるかなって素振りをして、そのせいで余計にギンギンになって眠れなくって、ほとんど寝落ちするまでその調子。
そんなんだから、朝も早くに目が覚めてしまって、朝イチに登校して部室で素振り。お昼も十分そこらで弁当をかきこんで、また素振り。
一日で力がつくわけではないけれど、多少なりコツを掴んで、意識が変われば、力は変わらなくても動きが大きく変わって来る。求めているのは、清水さんと戦った時のあの感覚だ。今まで培われて来た、だけど引き出せていなかったものが、身体の奥底からあふれ出してくる感じ。五〇%しか引き出せていなかった力を、意識や感覚ひとつのきっかけで一〇〇%引き出せた瞬間。
私自身、いっぱいいっぱいだったせいで、再現しろと言われたって難しい。だからもう一度触れてみたい。二度目があれば、多少なり得るものがあるはずだ。
まあ、結局、これだっていう成果は得られなかったんだけど。
「戸田さん、道着似合ってるね」
「え……そ、そうかな?」
「うん。板についてきたっていうか」
買いたての道着は、なんていうか、洗濯ノリみたいなやつでパリパリになっている。だから着付けてみると、ゴワゴワの七五三みたいになって、なんだか「着られてる」っていう印象だ。でも洗濯して、数日袖を通して、生地が柔らかくなってくれば、すぐに身体に馴染んでくる。まだ防具をつけての稽古は始まっていないけど、すっかり剣士たちの仲間入りだ。
「あの、もし体調が悪いなら無理せず休んだほうが」
「ううん。そうも言ってられないよ」
戸田さんの優しさを、私は二つ返事で一蹴する。色んな意味で調子が悪くても、今はリーグ戦の真っ最中だ。とっくに折り返し地点を過ぎていて、残りの試合数も少なくなってくれば、もうジャンケンをする必要は無い。当たっていない相手と、機械的に試合が組まれるだけ。
そして、今日は逃げられない戦いのひとつ――日葵先輩との試合が待っていた。
いつも通りウォームアップを終えて、給水休憩の後にリーグ戦が始まる。覚悟は既にできている。上段との戦い方は、動画を見たりして、ある程度研究をしてきた。実際どう出るかは分からないけど、合宿の時ほど手も足も出ないってことはないだろう。ほとんど挑戦に近い。でも、今の戦績は二勝四敗の大幅な負け越しだ。
「鈴音ちゃん、今日はよろしくね」
休憩時間にリーグ表を見ていたら、いつの間にか日葵先輩が隣に立っていた。相変わらずの高身長。今の私の唯一の取り柄を、軽く越えてくる超恵体。
「先輩、今日は負けませんから」
「え? あ、うん。あはは、なんだか怖いな」
先輩は言葉を濁すように笑いながら、リーグ表に目を向ける。
「鈴音ちゃん、今回の目標とかあるの?」
「もちろんレギュラーです。そのためには……勝ち越しですかね」
残り四戦。残りは今日の日葵先輩を除けば、早坂先輩、竜胆ちゃん、そして黒江。勝ち越すためには、今日を是が非でも勝たなきゃいけない。
「そっか。鈴音ちゃんは、レギュラーになりたいんだね」
そう答えた彼女の言葉を、私は何の気もなしに聞き流していた。だけど、わずかに抱いた違和感は、その後の試合ですぐに現実のものとなった。
「――馬鹿にしないでください!」
二本目の仕切り直しの際、私は思わず声を荒げてしまう。順番を待つ他の部員たちも、そして〝私に旗をあげた〟審判たちも、みんな驚いた顔で私を見る。
「そんな、馬鹿になんて……」
「してるじゃないですか! なんで、上段を使わないんですか!?」
試合開始直後からおかしいと思った。日葵先輩は、合宿であれだけ見せてくれら上段を使わず、中段で挑んで来たのだ。どうして。私自身も驚きと戸惑いを隠せなかったけど、何か意図があるのかと思い、そのまま試合に臨んだ。
すると――ものの見事に、一本目を先取出来てしまったのだ。
日葵先輩は、苦い表情で視線を下げる。副審の中川先輩もまた、眉をひそめて小さく舌打ちをする。
「北澤」
鑓水先生の諫めるような低い声が道場に響く。リーグ戦においては、上座に座ったまま何も言わずに試合の行方を見守っていた彼女だったが、ここで始めて言葉を発した。
「それがお前の意志なら、私は止めはしない。だが、年長者としては最低の行為だぞ」
「……はい」
絞り出すように口にして、日葵先輩が頷く。始まる二本目。先輩は、気持ちを切り替えたように上段の構えを取る。だけどそれは、当たり障りのないレベルのもので、合宿の最後に見せてくれた、あの阿修羅の上段には気合も覇気も、何もかもが劣っていた。
それでも、私にとっては強大な相手。頭で思い描く上段対策も、実際に対峙してみると思ったように動けない。頭も身体も、まだ馴染んでいない証拠だ。自力の差で押し切られるように一本を返されると、そのまま時間いっぱいで引き分けになってしまった。
これで二勝四敗一分け。勝ち越しは絶望的となった。
「あの……鈴音ちゃん」
稽古が終わって、更衣室で日葵先輩が声をかけてくる。今日の試合のことを謝るつもりなんだっていうのは、すぐにわかった。だけど、私の煮えくり返った腹もまだ冷めておらず、つんと澄まして無視をする。
どうせなら、ぐうの音も出ないほど叩きのめされて負けた方が良かった。清々しいくらいに負けを受け入れられた。でも、与えられかけた勝利、そして結局の引き分け。最悪だ。すべてが最悪だ。
「日葵先輩は、レギュラーになる気が無いんですか?」
「それは……私よりも出る意義のある人がいるなら、その方がって……」
「先輩以上に出る意義のある人なんていないでしょ!? あこや南は全国を目指しているんですよ!」
しどろもどろの先輩に、ここぞとばかりに詰め寄る。半ば、鬱憤を晴らすためだった。でも、私の言っていることは間違ってないはず。全国を目指すなら、日葵先輩はレギュラーであるべきだ。そして、あの上段でチームを勝利に導くべきだ。
強いのに。居場所があるのに。それを心の都合で発揮しない彼女の姿が、どうしようもなく私をイライラさせた。口に出したら止まらない。畳みかけるように次の言葉を発しかけたところで、間に割って入る影があった。
「はいストップ。いっぱい動いてお腹減ったのかな~?」
早坂先輩だった。彼女は私たちそれぞれに手のひらを向けて、「どうどう」と馬をなだめるように静止させると、笑いながら更衣室を見渡した。
「お腹減ってる人、どんどん焼き食べに行かない?」
先輩のひと言で急遽企画された買い食い会で、私たちはメインストリートである七日町から少し離れた地域の商店街に連れて来られた。どんどん焼きなる謎の食べ物の正体もつかめていない私だったけど、通りに出た瞬間、些細な疑問も、それまでの不機嫌も全て吹き飛んでしまった。
「わっ、お祭りだ!」
商店街は歩行者天国状態となり、路肩にぎっしりと出店が立ち並んで、お客でにぎわっていた。
「そっか、今日は植木市だったんですね」
「植木市?」
「この辺りの初夏のイベント……っていうか名前の通りの植木販売会。今ではこうして、露店が並ぶ普通のお祭りみたいになっちゃったけど」
山形の地元情報に疎い私に、戸田さんが丁寧に教えてくれる。この辺では「花笠まつり」に次ぐ大きなイベントだそうで、パレードがメインの花笠と違って露店がメインであることから、若い子たちにはこっちの方が人気があるそう。実際、あこや南に限らず、学校帰りらしい他校の生徒たちをひっきりなしに見かける。
「それで、どんどん焼きってのがこれさ!」
早坂先輩が、屋台のひとつの前で「じゃーん」と手を振る。そのまんま「どんどん焼き」と書かれたテントの中で、ハチマキ姿のおじさんが、せっせと鉄板で何かを焼いている。
なるほど、見たところ薄く焼いたお好み焼きを割り箸に巻いた、箸巻きとかそれ系の食べ物だ。具材はシンプルに青海苔と紅ショウガと魚肉ソーセージ。器用にくるくると割り箸に巻き付けると、上からたっぷりのソースをかけて完成だ。
「てか二〇〇円!? やすっ!」
何より驚くのはその値段。安い。安すぎる。他の屋台でちゃんとしたお好み焼きや、広島風を五〇〇円とかで売ってるのに比べるとコスパが良すぎる。
「山形のB級グルメってやつですか?」
「そんなとこ。お祭りって言ったら欠かせないね。逆に、お祭り以外で食べる機会があんまりないんだけど」
変に専門店とかがあるわけじゃないのが、余計に昔ながらのB級グルメっぽくていい。持ち手がついて食べやすいし、これなら三個でも四個でもいけそう。
でも、どうせなら他の屋台も見てみたいし……ここは一個だけで我慢しておこう。
「鈴音ちゃんとこには、お祭りないの?」
いつの間にやらどんどん焼きを購入していた竜胆ちゃんが、もがもがと咀嚼しながら尋ねる。
「いろいろあるよ。おっきいのだと夏祭りかな? 花火大会もセットで」
「花火! いいねぇ~」
「あとは函館に行けばもっとたくさん。部活忙しくって、あんまり行ってなかったけど」
「まあ、あたしも島のお祭りくらいしかちゃんと行ったことないかも。本土のお祭りに行くってなったら、ほとんど旅行だしね」
わざわざ海を渡らなきゃいけないってなると、そうなっちゃうか。島暮らしって密かな憧れはあるけど、いざやってみるかと考えると、いろいろ不便の方が目について踏ん切りがつかなさそうだ。
「鈴音ちゃん。あたし、明日、黒江と戦う」
不意に、竜胆ちゃんが真剣な面持ちで語る。真剣って言っても、口元にソースがついてて、ちょっと締まらないけど。
「あたしが先に勝っても、恨みっこなしだよ?」
「え……う、うん、それはもちろん」
反射的にダメって言いそうになったのを、突然改まった彼女に、半ば頷かされた形だった。そもそも私にダメなんて言う権利はないんだけど、いつもと違って……って言うと失礼だけど、大真面目な彼女相手に、なんだか本当にそうなってしまいそうな気配すら感じる。なんていうか、一世一代の大勝負感。自分が黒江を倒してやるんだっていう、捨て身の覚悟。彼女が黒江に対してそれほどの熱意を見せたのが始めただったから、面食らってしまったって言った方が正しいのかもしれない。
本音なら「イヤだ」って言いたい。でも、こんな時かけてあげる言葉は――
「頑張って。応援してる」
そう答えた私は、きっと間違っていない。
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