焦りが滲む

 リーグ戦二日目。今日も今日とてジャンケンで決まった相手は、同じ一年生の井場真柚さんだった。そう言えば、彼女とこうやってまともに戦うのは始めてだな。稽古で相対することはあるけど、試合形式となるとまた感覚が違ってくる。

 宝珠山に行った時は、彼女の試合の間、私は席を外していたし、まともに戦っているところを見たのは昨日のリーグ戦が初めて。印象としては、落ち着いた剣道をする子だ。慌てず機を伺って、ここ一番で仕掛ける。お手本のようなスタイルだ。

 そして特筆すべきが――

「メンあり!」

 三人の審判旗が井場さんの方に上がる。文句のつけようがない払い面だった。

 彼女が得意とするのは払い技。読んで字のごとく、竹刀で竹刀を払って、強引に相手の構えを崩し、空いたところに打つものだ。特に巻き込みがピカイチで上手い。ただ払うだけと違って、切っ先で小さく円を描くようにこちらの竹刀を巻き込んで、上に下に、右に左に、変幻自在に構えをズラされる。清水さんが、身体全体を使った大きな円の動きだとしたら、井場さんは切っ先だけの小さな円だ。

 そして、払い技の真価は、竹刀を払った後にある。メンを打つのか、コテを打つのか、ドウを打つのか。竹刀を下に払って、がら空きのメンを狙うように見せかけて、こちらが守るために竹刀を振り上げたところでコテやドウを狙ったり。逆にコテを狙うと見せかけてメンを狙ったり。

 要するに〝払った瞬間〟と〝払った後〟の、コンマ数秒にわたる二重の駆け引きが発生する。払うことで駆け引きを強制する。

 動きは最小限に、落ち着いた剣道を。その実、攻撃的。

「二本目!」

 だけど、やられっぱなしの私じゃない。払うのが得意なら、払わせなきゃいい。まだ磨いている途中だけど、私には上段がある。

 仕切り直しの直後、私が上段に構えると、井場さんが小さく息を飲むのが分かった。彼女もまた、上段のない中学剣道からあがって来たばかり。まともに相対するのは始めてのことだろう。不得手を突くのはちょっと卑怯っぽいけど、これは試合だから、使えるものは全て使うべきだ。

 目の前から払う竹刀が消えた井場さんは、見た目こそ落ち着いているけれど、明らかに〝見〟に回っている。上段相手にどう攻めるべきか、様子を見ながら必死に考えてるんだろう。

 その処理が追いつかないうちに攻める。上段は火の構え。払い技とはまた違ったベクトルで、より高圧的で、より一方的な、〝超〟攻撃的な剣道だ。

「――やられたぁ」

 試合を終えて面を脱ぐなり、井場さんは笑顔で、それでいて悔しそうに溢す。私の不格好な上段相手だったけど、得意の剣道を封じられた彼女は、目に見えて調子を崩した。その隙に、どうにか勝ちを拾うことができた。

「高校剣道だもんね。上段の対策は立てないとダメだなぁ」

「私も上段練習したいし、一緒に稽古しよう」

「うん、よろしくね」

 どちらからともなく、やわらかい握手を交わす。同世代対決の一戦目は、なんとか面目を保てたかな。


 それから日に一戦ずつ、リーグ戦は着々と進んでいく。表に刻まれていく白星と黒星。こうして改めて部内で実力を比べ合うと、今まで見えなかったものにも気づいていくものだ。

 まずは見たまんまの実力差。部長と黒江がここまで全勝で、そりゃそうだよねっていう結果を残している一方で、それに追従して全勝をキープしている存在がいる。日葵先輩――ではなく中川先輩だ。練習試合の時は、申し訳ないけど、力任せの剣道であまりパッとしない印象だった。だけど部内での勝負となると、彼女はれっきとした実力のある選手であることが分かる。レギュラー組だし当たり前と言えば当たり前なのだけど。そういう視点で見れば、あの時戦った宝珠山の選手も、私が思っているより高レベルの選手だったのかもしれない。

 一方で、引き合いに出した日葵先輩だけど、彼女も彼女でまた極端な戦績だ。二、三年の上級生相手には勝ち。一方で黒江には負けて、井場さんにも引き分け。〝慣れた相手にだけ強い〟完全なる内弁慶。それが見ず知らずの他校の選手相手となれば、実力が半分も発揮されないのも頷ける。私相手に本気を出してくれたのも、単純に「私に心を許してくれただけ」ってことかぁ……嬉しくはあるけど、チームとしては複雑だ。どうしたら彼女の意識を変えられるのかな。合宿から続く作戦の成果は、まだまだほど遠い。

 他の部員たちは、比較的、実力が拮抗している印象だ。ただし得意不得意はハッキリしている。熊谷先輩や早坂先輩はガツガツ攻めて一本を取りに行くスタイルの反面、隙が多くてカウンターも食らいやすいタイプ。一方の安孫子先輩と五十鈴川先輩は、慎重な試合運びがウリのオールラウンダータイプ。井場さんと黒江も、系統としては後者だ。

 そして私はと言えば、どちらかと言えば前者――なのだけど、今は狭間というか、どっちつかずタイプ。上段ならガツガツ攻めるし、黒江に習っているカウンター剣道を使うなら、じっくりと試合を運ぶ。聞いてる分にはなんだか良さそうに見えるけど、表に刻まれた戦績をなぞるなら、二勝三敗の負け越しだった。井場さんに対しての一勝を除けば、八乙女部長と中川先輩に惨敗。安孫子先輩に惜敗。そして五十鈴川先輩に辛勝。結果だけを見れば、私も部内ヒエラルキーの中庸。実力が拮抗してる組の一員だ。

 原因は分かっている。どっちつかずっていうのは、どっちも中途半端ってこと。今の私には、これだって誇れるスタイルがない。鑓水先生風に言えば「武器の使い方を学んでいる」段階だ。手にしたばかりの見知らぬ兵器を、やたらめったら振り回しているだけに過ぎない。

 だからと言って、中学の時に培った剣道に今さら戻ることもできない。あの日の研鑽を捨てたわけではないけど、三年間で学んだのは、黒江にだけ勝てる剣道だったから。他の選手相手に振りかざすっていう選択肢が無い。

 まあ、その黒江にも結局及ばなかったんだけど。

「今日の相手は秋保チャンっすね」

 リーグ戦五日目。相変わらずジャンケンで決まった私の相手は熊谷先輩だった。中学のころは柔道をやっていたらしい先輩は、剣道をはじめてまだ二年目。レギュラー人数ギリギリだったとは言え、それでもスタメンの先鋒を担っていた伸び盛りの剣士。たぶん、もともとスポーツは得意な方なんだろう。

 だからこそ負けるわけにはいかない。私の九年の研鑽を、先輩の二年の研鑽で覆されるわけには――

「――勝負あり!」

 主審が試合終了を告げる。勝敗を示す審判旗は熊谷先輩のほうにあがっていた。

「よし、よし! 勝ち拾えたっす!」

 喜び勇んでリーグ表に結果を書き込む熊谷先輩。それを横目に、私は今の試合を繰り返し、頭の中で反芻していた。

 全く動けてなかった。先輩の剣道は、竜胆ちゃんのとよく似た、絵に書いたような先制型。自分から動いて、動いて、相手が追いつけなくなったところで一本をかすめ取る。体力と運動量に任せたスタイルだ。

 初めは、黒江のカウンター剣道で対応してみた。相手と同じ土俵に上がっては、相打ち勝負になってしまうし。それよりかは、落ち着いて一手ずつ捌いて、確実な一本を狙った方が得策だと思った。でも、黒江から習った〝決め打ち〟を読み違えた。応じ技を決めるコツは、ある程度決め打ちしてしまうこと。相手がメンを打って来たのを見て応じるのではなく、メンを打って来るとキメ込んで動く。

 当たれば金星。外せば黒星のギャンブル剣道。これを外して、コテを取られてしまった。

 先取されてしまっては、流石にもうギャンブルに身を置くことはできない。私は上段に構えを変えて、仕掛け合いに応じることにした。でも、その判断も大きなミスだった。上段は、技の破壊力こそあるものの隙が大きく、手数も少なくなる。日葵先輩みたいな強靭な手首があれば別だけど、私にはまだその力が備わっていない。結果、攻撃の回転数で圧し負けてしまった。私が一本を準備して放つまでに、熊谷先輩は二本も三本も技を積み重ねる。私はただただ対処に追われることになって、焦りが出てしまった。コンマ数秒で勝負が決する世界で、焦りは最大の敵だ。その時点で、私は負けたようなものだった。

「秋保チャン、なんだかガチガチだったっすね」

「すみません。まだ、技を自分のものにできていないみたいで」

 結局のところは、やはり練度不足。カウンター剣道も、上段も、どっちも中途半端だから、先輩の正面突破な剣道を相手に完封されてしまった。高校剣道に身を投じていた分、先輩は上段相手にも比較的戦い慣れた様子だったし、井場さんみたいに動揺を誘うこともできなかった。

 別の意味で、脳裏に焦りが滲む。ダメだ。こんなんじゃ大会まで間に合わない。稽古しなきゃ。もっと、竹刀を振らなきゃ。身体を鍛えなきゃ。手首を鍛えなきゃ。

 今のままじゃ、私はレギュラーになれない。

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