探しもの
ルーベウスは白衣の袖をまくりあげ、間近にあった大きな図録を両手で避けて首を傾げた。
((昨日のあの紙、一体どこに行きやがった? ちゃんとファイルに入れておいたのに)
紙には、異精霊契約を会得するための魔法陣が書いてある。未完成品だが、この研究は極秘なので、紛失はシャレにならない。
(持ち出してねぇから、研究室のどこかにあるはずだが)
机の上に積み重なっている書類の山を一瞥した後、白衣の前ボタンを開け、裏地を確認する。機動隊の支給服と同じように、複数の魔法陣がプリントされている。
(昼休みになったら、風魔法で書類を一気に吹っ飛ばすかな。羊皮紙は普通の紙より重いから、真っ先に床に落ちてくる)
そんな事をつい考え、いや、と頭をガリガリと掻いた。
(やめよう。収集がつかなくなりそうだ。それにしても、本当、どこに行きやがった? ええと、昨日は確か――)
「……ス君、ルベス君」
考えている最中、名を呼ばれる。顔をあげると女性が立っていた。彼女はフレデリカ・ノエル=キサラ。第ニ皇女であり、研究部のリーダーだ。編み込みを施した緑の髪は、先端が金色に染まっている。メガネの奥の瞳は美しいオレンジで、いかにも利発そうだった。
「これを」
彼女は赤いフタのついた、小さな瓶を二つ差し出してくる。
「先ほど購買に行ったら売っていた。ジルゴ村特産のヨーグルトを再現したものだそうだ。君と、イグニス君にどうかと思って」
「ありがとうございます」
ルーベウスは丁寧に瓶を受け取った。
「此処でも手に入るんですね。ティルが聞いたら驚くかな」
「ティル? お友達かい?」
「弟です。血縁上は従甥ですね。従姉妹の子供だから」
だが、そうした細かいことは、普段まったく意識しない。そもそも、それを言い出したら、イグニディスとの間に血縁関係なんてない。
「研究員になってから、ご家族とは面会したかい?」
「一回だけ会いました」
面会に回数制限はない。ただし、相手に、王城の面会室まで来てもらう必要がある。許されている時間帯は、平日の午後十時から四時までの間。一度に呼べるのは、子供を含めて三人まで。かつ、一日三十分までだ。しかも監視員が付き添う。
「相手も仕事があるんで、なかなか会えないんですよね」
「寂しい……と、感じるかい?」
「そりゃまぁ。でもイグがいるし」
「彼の具合はどうだろう。私、たまに様子を見に行っているのだが、私が相手では、イグニス君は本音を出せないだろうし……」
「あ~、あいつは人見知りする性格ですからね。すみません」
「いやいや、知り合って間もないんだ、仕方ないさ。……で、どうだい?」
「順調だと思いますよ。剣を持ちたいって、たまに騒いでいます。けっこう元気ですね」
「それならいいが。しばらくは、イグニス君の言動をよくよく観察してくれるかい。彼が、どのように今の事態をとらえているか……少しでも気になることがあったら、私でもプディルでも、誰でもいいから、是非相談してくれ」
「はぁ」
「よろしく頼むよ」
フレデリカは立ち去り、ルーベウスはもらった瓶を机に置き、再び探す作業に移る。イグニディスなら大丈夫だろうと考えていた。それより、なくした書類のことが気がかりである。だがフレデリカの言葉に触発され、一つ、思い出した。昨日、イグニディスを訪ねたライトテスが、似たような事を言っていたと。
『イグニスの態度、顔色、何気ない言葉……注意を払うべきだろう。あいつは、磨いてきた技術をふいにされる境遇に陥った。普段どんなに冷静でも、何をしでかすか分からない』
だが、イグニディスが滅多なことをするはずがない。
(ちょっとずつだけど、傷は治ってきてるんだ。大丈夫だろ)
「ルベス君、ルベス君」
今度は細身の男性が声をかけてきた。わずかに波打つ黒髪と、薄紫の瞳を持つ。
「どうした、ィユア?」
「ちょっと思ったですけど、イグ君の血から取れる、あの……あれ」
「抗魔物質か?」
「そう、それ。入手できるですか?」
「医療部に頼めばいいんじゃねぇかな。血中から、抗魔物質だけ取り除く方法を探してくれている。方法が確立したら手に入るかも」
「なるほど。分かりました」
彼は頷き、やりかけの作業――資料の解読――に戻る。
「入手できるとして、何に使うんだ?」
「ちょっと思いついたですよ。抗魔物質はエーテラを忌避させるでしょう。異精霊にも効くんじゃないかって。だから」
「あら?」
ふいにプディルが声をあげた。
「ィユアさん。この資料、昨日、イグニスさんに渡すと言っていませんでしたか」
彼女はファイルをィユアに差し出す。
「あれぇ? 何で此処にあるんだろう。ライトぉ、イグニス君にこれ、渡してくれなかったですかぁ」
ィユアは、書類の整理をしていたライトテスに話しかける。相手はちらりとこちらを見た。
「俺は確かに、お前から預かったファイルをそのままイグニスに渡したぞ」
「じゃあどうしてぇ? おかしいなぁ」
ィユアはプディルからファイルを受け取り、中身を確認する。羊皮紙がちらりと見えた。
「俺にも見せてくれ」
ルーベウスもそれを確認した。自分の探している紙ではないかと思ったのだ。だが違っていた。
「なんだ、これも違うか」
「そういえばルベスさん、先ほどからずっと、何か探されていますよね」
「ああ。あまり言いたくないが……かくかくしかじか、というわけで」
「まさか」
ィユアが血相を変えた。
「もしかしてボク、書類……取り違えたですか?」
「マジで? じゃあ、イグの所に俺の羊皮紙が行っちまったのか! すぐ回収しに行かねぇと」
「俺が行く。イグニスに渡したのは俺だ、すまない」
「ボクが行くですよぉ。ライトに頼んだのはボクですから、ボクの責任です」
「待ってくれ」
ここでフレデリカが立ち上がった。
「私が行くよ。モノがモノだ、この手で回収したいし、念のため、聞き取り調査もしなければいけない。よそに持ち出さなかったとか、誰かに見せなかったかとか」
「えーと、じゃあ、フレデリカさんと俺でどうでしょう。必要に応じて、家ん中を探すことになりますし」
「では、私とルベス君の二人で行こう。ライト君達はこの部屋を探してくれるかい。此処にある可能性も、まだゼロではない」
「分かりました」
「申し訳ないですぅ……」
頭を下げるィユア達に、探しものの見た目を簡易に説明し、ルーベウスは、フレデリカと二人で研究室を出た。廊下と階段を通り、鍵を開けて自宅に入る。
しんと静まっていた。いつもと何ら変わりない。ただ、空気がざわついている。
(何か……妙だ)
とにかく、イグ二ディスに話を聞かなければならない。リビングは無人なので、おそらく自室にいるはずだ。
「おーい、イグ。開けるぞ」
彼の部屋のドアを開ける。その瞬間、不可思議な空気にまとわりつかれた。あるべきものが欠けている。もしくは、著しくバランスが崩れている。そんな気配だ。
「あ……れ? ルー? それと、フレデリカさん……?」
イグニディスの声。彼はこの時、ベッドに座っていた。体の上に羊皮紙がある。見覚えのある魔法陣が、いくらか加筆された状態で記されていた。中央から微かに、黒い煙が上がっている。
「イグ! おい、まさか――見せろっ」
ルーベウスはイグニディスの右袖をめくる。手首を囲むように、鎖を巻いたような模様が生じていた。左にも同じものがあった。さらに、両足首にも。
「き、君……。まさか、異精霊と『契約』したのか?」
フレデリカの声は、答えを聞くのを怖がるように震えていた。そんな彼女の隣で、ルーベウスは、ただ息をのむことしかできない。
(嘘だろ、イグ。お前がそんなことするなんて)
眼の前の景色がぐらぐら揺れていた。体が震えるのが分かる。
(研究者として、一番やってはいけないことじゃないか)
「ど……どうして」
疑問を口にした直後、フレデリカやライトテスに言われたことが蘇る。
『イグニス君の言動をよくよく観察して』
『磨いてきた技術をふいにされる境遇に陥った』
『彼が、どのように今の事態をとらえているか』
『普段どんなに冷静でも、何をしでかすか分からない』
(俺は、イグの一番近くにいたのに。理解しているつもりだったのに)
それは、しょせん「つもり」だった。
(これは俺のせいだ。俺……もっと、色々やれたはずなのに。俺は、イグに何と言ってきた?)
大丈夫だとか、休めとか、そんな言葉ばかりかけていた。だが、イグニディスが欲していたのは、ありきたりな慰めではない。今の体でもできる戦闘術だ。
(俺が言うべきは『大丈夫だ』じゃなくて『大丈夫だ、お前には、まだこんな方法が残っている』と、具体策を出すことだった)
戦えるという希望があれば、イグニディスは、異精霊契約には手を出さなかっただろう。フレデリカやライトテスの方が、よっぽど、イグニディスを理解していた。自分は兄として失格だ――そんな思いに、胸を締めつけられた。
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