負傷

 消毒液の匂いが漂う空間で、ルーベウスは丸椅子に座り、ベッドに横たわるイグニディスを見守っていた。

(イグ、頼む。目を覚ましてくれ)

 個室内、点滴の管を腕につけ、白いシーツに身を委ねている彼。ただ呼吸だけを繰り返している。もう三日もこの状態だ。

(魔法による治療ができないからなぁ。なんで効かねぇんだ?)

 病院にいる、あらゆる医師が治療を試した。けれども、誰がやっても、魔法が発動しなかった。……確かに、イグニディスは昔から、治癒魔法の効きが悪かった。ちょっとの怪我でも多くの魔力を消費する必要があったのだが、今はまったく効かないのだ。それどころか、この部屋では一切の魔法が使えない。


 医師の一人は、エーテラがいないのではないかと言っていた。そのためルーベウスは、レキシャに頼んでエーテラ密度のマップを入手した。この場所にエーテラが少ないのなら、別の場所に移ればいい。無理に動かすと危険だが、魔法が効かないよりマシだ。だがドルギアでは、エーテラの薄い所など存在しなかった。そもそも、そんな場所に病院が建つわけがない。

(俺のせいだ。俺が未熟だったから)

 もう何度も、魔獣との戦闘を思い返している。自分は何度もイグニディスに庇われた。彼の重傷はそのせいだ。

(俺はイグの兄貴なのに。庇われてばっかりで、守ってやれなくて。ああ……お願いだ、目を覚ましてくれ!)

 すがる気持ちで彼を見つめる。すると、微かに彼のまぶたが震えた。


「イグ? おい。イグニディス!」

「……」

 イグニディスの目がゆっくりと開く。焦点はあっていなかったが、頭が微かに動き、こちらを見てくれた。

「良かった、意識が戻ったか!」

 椅子を倒さんばかりの勢いで、ルーベウスは立ち上がる。相手が重度の怪我人でなければ抱きついていたところだ。

「……、……」

 イグニディスはもの言いたげに口を動かしている。ルーベウスは、102は討伐したこと、此処が病院であることと、魔法が効かず、傷が完治していないことを伝えた。

「魔獣の毒はもう抜けているが、当分は絶対安静で療養だ。何か欲しいものはあるか? 食べ物とか、飲み物とか」

 彼はまた何度か口を動かした後、かすれた声で「水」と言った。

「了解」

 欲しがるだろうと思い、あらかじめ氷水を水差しに用意していた。イグニディスの口元に寄せてやる。

 自力で飲もうとしたのか、彼は左手を上げた。だがすぐ、顔をしかめて動きを止める。

「無理をするな。腕を動かしたらダメだ」

 イグニディスは水を飲んだ後「どうなっているの」と呟く。

「え……っと」

 ルーベウスは水差しを引っ込めて口ごもった。

(イグは剣士だ。それも二刀流だ。左腕は動かせず、右手はものを握れないなんて……伝えたら、どう思うだろう)

 だが、遠からず分かることである。ルーベウスは、あまり重苦しい雰囲気にならないよう事実を教えた。それでも、相手の目から光が失われるのが分かる。


「大丈夫だ。魔法が使えないから、治るのには時間がかかるが、それでも、さっきも言ったように、毒はもう抜けている。いずれ傷は塞がる」

「ダメ……だ」

 イグニディスの息は荒くなっていた。起き上がろうとするように体がびくびく動いている。ルーベウスは慌てて、寝ていろと指示した。

「落ち着け、傷が開いたら大変だ!」

「僕……戦わなきゃ、いけない。機動隊員で、それで……ヴァルハラードを。あの男を殺す。殺したいのに!」

「落ち着け、動くな! 取り返しがつかなくなるぞ。いいか、深呼吸だ」

 イグニディスの前で、自ら深い呼吸を繰り返してやる。彼はまだ取り乱し気味だったが、つられたのか、ゆっくりと息をしだす。

「よしよし。いいか、暴れても傷は回復しない。先生を呼んでくるから、じっとしていろ」

 容態を気にしつつ、ルーベウスは椅子を立つ。一縷いちるの望みを抱いていた。イグニディスが意識を取り戻した今なら、魔法による治療ができるかもしれない。

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